ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(34)

2017-05-27 21:11:40 | Weblog
私は多くの人と同じように、麻衣さんの引退をネット記事で知った。
「山崎麻衣は引退することになりました。これまで、お世話になった将棋関係者の皆さん、ファンの方々、本当にありがとうございました。理由についてですが、昨年末に入籍して、仕事と家庭の両立が難しいと感じました。若い人も育ってきましたし、女流棋士としての未練はありません。棋士は辞めても、将棋界を側面からサポートできればと考えております」
大方、このような内容だった。

当然、私は納得がいかない。とりあえず麻衣さんと話したい。人づてに麻衣さんと連絡を取り、近日中に将棋館で会う約束を取り付けた。

将棋館で麻衣さんを探していると、誰かが私の肩を二度叩いた。麻衣さんだった。
「さおりちゃん」
「こんにちは」
私は軽く会釈した。笑顔なんて作れない。
「ちょっと待ってて。あと30分ぐらい」
麻衣さんは、いつもと同じ、柔らかな物腰だ。
「分かりました。ここの近くの喫茶店でいいですか」
「うん、いいよ」
「じゃあ、私、そこで待っているので」
「分かった。悪いけど少し時間潰してて」
私は、将棋館に来た時によく立ち寄る、徒歩2分の喫茶店へ向かった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(33)

2017-05-27 08:25:19 | Weblog
数日後、私は森村先生宅を訪れた。玄関のドアは奥さんが開けたが、その後ろに先生の笑顔が確認できた。
「こんにちは」
「よくやったね、さおり」
先生の感情は忙しく、今度は涙を堪えていた。家の中に入ると、下宿していた頃のリビングの椅子に、違和感なく腰掛けた。奥さんがケーキと紅茶を運んできてくれた。
まさか、さおりが麻衣ちゃんに勝つなんて思ってもみなかったよ」
先生は目を細め、私の実家から送られてきたお茶をすすった。
「私も無欲で、麻衣さんにぶつかっていったら、1局、2局と連勝して。でもそこから、勝ちを意識して、3、4局は連敗。それで最終局はまた開き直って、運よく勝てた感じです」
「よく最後で開き直れたもんだ。大変な成長だ」
「ありがとうございます。あの、先生に聞きたいんですが」
「うん、何かね?」
「最終局の終盤、もう勝負は決まってるのに、麻衣さんがなかなか投げようとしなかったのは、何故ですかね?」
「ううん。そりゃ、麻衣ちゃんだって負けたくなかったからじゃないか?10歳も年下の小娘に」
「それだけですか?」
「うん。あの子ほど負けず嫌いの女流棋士も珍しいよ。さおりと双璧だ」
「私は認めますけど、麻衣さんはそんなに負けず嫌いでしょうか?」
いまひとつ先生の推理には納得がいかない。
「俺はあの子をもう20年も見てるんだから間違いないよ。さおりと同じぐらいの年の頃までは、結構、態度に表してたんだよ。でもねえ、そこがおじさんには可愛かったけど」
「当時のことは知りませんが、今も変わらないんでしょうか?私には凄く品のある人にしか思えませんけど」
「まあ、それは地位が人を作るっていうだろ。でも、勝負師としての中身は変わってなかったと思うよ」
そして先生は最後にぽつりと言った。
「10歳でさおりを弟子にした時、いつか、麻衣ちゃんを負かすような日が来ればと、夢を見ていた。君はほんとに才能があったから。それでも夢で終わると思ってたんだよ」
涙声だった。

それから1週間後、女流棋界に衝撃が走った。麻衣さんが引退を発表したのだ。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(32)

2017-05-26 21:02:09 | Weblog
感想戦の麻衣さんは、穏やかだった。私も平静を装っていたつもりだが、自分の声が震えているのに気付いた。観戦記者やカメラマンがなだれ込んできた。私は麻衣さんを破り、女流名王を獲得したことについて聞かれると「まだ実感が湧きません。山崎さんに勝ったことも、女流名王を獲得したことも」というような受け応えが精一杯だった。

私に向けられていた目線やマイクの矛先が麻衣さんに移る。「残念な結果になりましたが」「敗因は?」「北園さんについて一言」と矢継ぎ早に質問が飛んだ。麻衣さんはやはり穏やかだった。「力は出し切れましたので悔いはないです」「力負けです」「ここ1,2年で急激に強くなった印象があります」とひとつひとつ丁寧に答えていた。私に対する感想を述べている時、麻衣さんがこちらに目線を向けた。少し笑ったように見えた。

先生には電話で報告した。彼は興奮していて、何を言っても仕方のない状態だったので「後で伺います」とだけ伝え、電話を切った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(31)

2017-05-26 08:23:19 | Weblog
優位という感覚に間違いはなかった。指し手が進むごとに、私の優勢が明るみになっていく。私は大福を完食し、コーヒーも飲み干した。麻衣さんはロールケーキには手をつけることなく、盤上を見つめ続けている。「さおりちゃん、ロールケーキ、食べてもいいよ」。遠い記憶の中で、麻衣さんの優しい声が聞こえたような気がした。

もはや、誰の目から見ても私の優勢は明らかだった。普段、投了が早いことで知られる麻衣さんが、こうした局面まで指すのは珍しかった。いや、私の知る限りでは、負けがはっきりしたにもかかわらず、投げようとしない彼女は記憶にない。私は少し不安になった。まだどこかに逆転の筋があるのだろうか。しかし、何度見返しても勝負は決している。麻衣さんは持ち時間を使いきった。私の駒たちが麻衣さんの玉の周りを躍動しながら取り囲む。記録係の声が響く。50秒、1,2,3,4、5,6,7。「負けました」麻衣さんが駒台に手を置き、頭を下げた。ついに私は山崎麻衣から女流名王の座を奪った。しばらく二人で、盤上を眺めていた。幸せな時間だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(30)

2017-05-25 21:45:36 | Weblog
昼食の間も考えてはいたのだが、なかなか考えがまとまらない。どの変化を選んでも、あまり思わしくない。すでにこの局面での形勢は、私が不利なようだ。結局、無難な手は選ばず、激しい変化を望んだ。下手をすると、大敗の可能性もある。しかし、最も見込みのある指し手だと判断した。

今度は、麻衣さんが長考している。どうやら私の指し手が予想外だったようだ。彼女の表情から、少し迷いの色が垣間見えた。これだけ考えさせただけでも、私の指し手は正解だったかもしれない。穏やかな展開に引き戻す余地もあったが、麻衣さんも激しい変化を選んできた。挑発を堂々と受けて立つ。彼女らしい指し手だった。

しばらく互角、いや形勢不明の展開が続いた。しかし、終盤が近づくにつれ、私は少しづつ優勢を意識した。麻衣さんが記録係に棋譜を要求し、それを眺めている。その間におやつが運ばれてきた。麻衣さんはロールケーキとミルクティー。私は大福とコーヒー。森村先生に言わせれば「和菓子なんだから、コーヒーじゃなくて緑茶だろ。さおりはまだ子供だな」となるだろう。しかし、このおやつの組み合わせは、今日のアンバランスな将棋内容にはよく似合っている。

麻衣さんは棋譜の書かれた用紙を記録係に渡すと、決意を固めたように、駒音を響かせた。しかし、その後、少し首をひねりミルクティーを口に運んだ。手数はすでに90手に達した。中盤と終盤の境目で、この将棋は蠢いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(29)

2017-05-25 08:19:17 | Weblog
振り駒の結果、私が先手となった。少し盤上を見つめた後、右の指で歩を挟み、7六に駒音を響かせると、一斉にフラッシュがたかれた。昨日の夜、先手の時は矢倉でいくと決めていた。勿論、麻衣さんは私の意志を汲み取ってくれて矢倉を組んだ。麻衣さんは居飛車、振り飛車のどの戦法でも自在にこなすオールラウンダーだが、私は居飛車党で、得意戦法も限られている。数少ない持ち球の一つが矢倉だった。麻衣さんも矢倉好きである。もしかしたら、変則的な戦法で仕掛けたほうが、実力に劣る私が勝てる確率は高くなるのかもしれない。しかし、敢えて本道で、麻衣さんと力比べをしてみたかった。正統な将棋で勝てれば、麻衣さんも少しは認めてくれるのではないかと思った。私は麻衣さんに認められたかった。

私が歩をぶつけて、中盤に突入した。せっかくの先手、先に仕掛けたかった。麻衣さんは背筋を伸ばし、悠然としている。彼女の表情から、心の内を読み取ろうとするが、黒目がちな瞳は、万丈の歩がぶつかり合った地点を凝視して動かない。結局、麻衣さんは私の手を無視するかのように、また別の場所で歩をぶつけ、戦闘を複雑にした。難しい将棋になりそうだ。私は10分ほど考えたが、決断できないまま、昼食休憩となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(28)

2017-05-24 21:23:56 | Weblog
しかし、勝負は分からないものだ。女流名王戦は先生、いや、自分自身ですら予想しなかった展開になった。第1局、2局と、私が山崎麻衣女流名王に連勝したのである。通算8期、現在4連覇中という永久女流名王を、天女のタイトルを保持しているとはいえ、戦前の下馬評を覆し、高校卒業したての18歳が追い詰めた。この時、女流棋界では「新旧交代」の言葉や文字が踊った。先生には「あと一つが難しいんだよ。あと一つが」と諭された。

結果はその通りとなった。女流名王の座に王手をかけた第3局は、わずか85手で私は負けた。その流れを引きずったまま第4局も完敗し、麻衣さんに逆王手をかけられた。手のひらを返したように、多くの棋士やマスコミは、山崎女流名王、圧倒的優位説を唱えた。

麻衣さんはこれまでの4局、従来どおりの彼女らしい将棋を指した。相手の指したい将棋に付き合うのだ。王手をかけられた、彼女にとっては崖っぷちの3,4局でさえ、私のやりたいようにやらせてくれた。相手の力を出し切らせた上で、最後には勝利をものにするという、女王の名にふさわしい将棋なのだ。

2勝2敗のタイで迎えた最終局は、渋谷の将棋館で行われた。私は白を貴重としたアンサンブル。珍しくプリーツスカートを穿いてきた。上はブラウスにカーディガンを羽織る。初夏の季節。冷房が効き過ぎるのを警戒して。ファッションに無頓着な私にしては、気を使ったつもりだった。しかし、麻衣さんが白のワンピース姿で現れた時は、着物を予測していたので、しまったと思った。それと同時に、神々しい美しさに見惚れた。麻衣さんはこの時、重大な決意を固めていた。まっさらな気持ちで戦いたかったのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(27)

2017-05-24 10:22:27 | Weblog
「そうか。女流名王戦への挑戦が決まったか」
久しぶりに、私は森村先生宅を訪ねていた。
「はい、ようやく」
「夢だったんだもんな。女流名王戦。それと麻衣ちゃん、いや、山崎さんと番勝負で対局するのが」
もっと興奮しているかと思ったが、意外にも先生は冷静だ。静かな喜びや感慨は、私には伝わっているが、それでも、興奮を抑制するだけの余裕があるのか、穏やかだ。そして、その理由が分かった。
「俺は一度だけ、名王戦に挑戦したことがある。もう20年以上前の話だけどな。その時は1勝4敗。完敗だった。さおりは俺に並べるかな?」
「どういうことですか?」
「つまり、山崎さん相手に1勝出来るかということだよ」
「私は勝つつもりです。名王を奪うつもりです」
私が真顔で言うと、先生は「う~ん」と首を捻りながら、苦笑いを浮かべていた。
「勝負は時の運も左右するから、可能性はあると思う。ただ山崎さんは女流棋士の中では、頭ひとつ抜けている。さおりも、菜緒ちゃんもまだ及ばない」
「それは分かっていますが、必ずしも強い方が勝つとは限りません」
「うん。名王を奪うつもりで挑むのは、勝負師として当然だ。しかしだな、結果はどうであれ君の棋士生活は長い。今回の経験をこれからの将棋に生かして欲しい」

なんだか先生らしくない。普段なら「お前など勝てるはずがない」とか「勝てるぞ、さおり。タイトルを奪って来い」などと私にけしかけてくるはずなのだが。それだけ、今回のタイトル戦は、私の勝ち目が薄いと見ているようだ。私の心に火をつけたところで、どうにかなる相手ではないと。

「ところで、さおりのご実家から新茶が届いている。ゆっくり飲んでいきなさい。本当においしいぞ」
自分を取り戻すように張りのある声で、先生は言った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(26)

2017-05-23 21:48:38 | Weblog
私は高校卒業と同時に、都内のワンルームマンションで一人暮らしを始めた。森村先生からは、毎日のようにメールが届く。「淋しくないか」「帰ってきてもいいんだぞ」といった事から、将棋のアドバイスまで様々である。そうした生活に慣れ始めた5月下旬、私に大きなチャンスがやってきた。女流三冠の中でも、最も権威のある女流名王戦の挑戦権を得たのだ。菜緒や早田さんとの三つ巴の混戦を制して、初めて得た切符である。やっとあの人と最高の舞台で戦える。いや、将棋を指すことができる。

山崎麻衣。私が将棋を始めた頃からの憧れの人。彼女と初めて対局したのは、10年ほど前にさかのぼる。地元の静岡に、プロ棋士たちがイベントで来た。父は幼い私の手を引き、私を指導対局に参加させたのだ。その時の先生が麻衣さんだった。先生といっても、彼女は今の私と同じような年だった。まだ高校生だったかもしれない。麻衣さんはひとりで10人ほどを相手にしていた。勝ったのは私だけだった。「麻衣ちゃんに勝った」と喜ぶ私に彼女は言った。
「さおりちゃんがプロになったら、また将棋を指そうね」
私はその言葉を忘れなかった。麻衣さんはあの時の、勝ち気な女の子の事など忘れていたとしても。夢の舞台は、すぐそこまで迫っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(25)

2017-05-23 08:17:08 | Weblog
デパートでは、私が先生のスーツやネクタイを選んだ。「これはあなたにはちょっと。もう還暦でしょ」。奥さんが口を挟むと「いいんだよ、さおりが選んでくれたんだから。それに俺はまだ59だ」と譲らない。そして、「さおりの欲しいものは?」と尋ねる。私はモノトーンの服をリクエストした。
「いつも、さおりは地味な服ばかり着ているな。もっと菜緒ちゃんみたいに女の子らしいのは駄目なのか?」
先生は不満げだ。そういえば、対局の時も、たいてい白のブラウスと黒のパンツスーツといった組み合わせが多い。これまでは高校の制服で対局することもあったが、これからはそうもいかない。
「おっ、これなんかはどうだ?対局やイベントの時に着てもいいんじゃないか?」
先生は目を輝かせた。真紅のワンピース。私にはとても無理だ。ワンピースまではいいとしても、せめて黒にして欲しい。
「うん、これだよ、これ」
結局、先生は私に欲しいものを聞いておきながら、自分の好きなものに決めてしまう。その視線は遠くを見ている。どうやら、私がこの服を着て、対局している姿を想像しているようだ。でも悪いけど、この真紅のワンピース姿で対局することは絶対にありえない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする