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ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

うぴ子は中島みゆきの再来か?

2025-05-02 16:12:02 | 音楽
YouTubeで中島みゆきの「ファイト」を路上で歌う女性の動画を何気なく聴きました。再生回数が700万を超えていたので、相当上手いのだろうと想像しながら。しかし、彼女の歌声は予想を裏切りました。推測を遥かに超えていたのです。上手いという表現では足りない迫力が明らかにありました。

音程がしっかりしているのはボーカリストの最低条件として、それに加えて一流には声量か表現力が優れているケースが多いのですが、彼女はその両方を備えています。その上で、訴えてくる力がとてつもなく強いのです。それは彼女が高い技術を持ちながらも、心で歌っているからでしょう。その心の揺れが絶妙な抑揚になっている気がします。

中島みゆきや尾崎豊の「Forget-me-not」の後、うぴ子の「カラス」などのオリジナルを何曲か聴きました。社会へのメッセージ性が強く、その中で苦しみながら生きる人々に寄り添うような曲を歌っていました。彼女は20代でどこぞのアイドルグループにいても不思議のないルックスですが、その表現方法は真逆と言えます。カラスの歌詞の一部です。



夕焼けを駆けるカラスの群れに逸れた
羽を痛めたやつが不器用に飛んでいる
私はお前の気持ちがよくわかるよ
普通に生きるって
なぜこんなに難しいんだろう


彼女の曲の世界観を象徴的に示しています。
ブレイク前夜か、それとも知る人ぞ知る存在にとどまるのか。ぜひとも大成することを願ってやみません。
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斉藤由貴「砂の城」

2025-04-17 11:52:23 | 音楽
唇より睫毛のキスが
好きだったけど
後のてれた眼が一番
素敵だった


「砂の城」は斉藤由貴9枚目のシングル。作詞・森雪之丞 作曲・岡本朗。1987年4月発売。オリコン最高位2位。

gooブログが終了しますね。どこかで、この先もずっと続いていくのだろうという思い込みがありましたが、それは錯覚で、この世のあらゆるものすべてが砂の城なのでしょう。

斉藤由貴の「砂の城」は恋愛の終わりを描いています。自分にとって大切なものが終わる時、いったい何が残るのかというのは、長らく人間のテーマだと思うのですが、この歌詞の結論としては、思い出という光る砂が残るとしています。
思い出というのは扱いが難しいですね。過去を振り返って明日を生きるエネルギーに変えられるのか。あるいは、あの頃に戻りたいという今や未来に対して、ネガティブな感情に流されてしまうのかは人それぞれ違いますが、思い出に罪はないのでしょうね。


愛はまるで砂の城ね
出来た瞬間(とたん)波がさらう
少し悲しいけど 思い出という名の
光る砂が残るわ
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いきものがかり「SAKURA」

2025-04-01 12:12:00 | 音楽
電車から見えたのは いつものおもかげ
ふたりで通った春の大橋
卒業の時が来て 君は故郷(まち)を出た
色づく川辺にあの日を探すの


作詞・作曲 水野良樹。2006年3月発売。オリコン最高位17位。いきものがかりのデビューシングル。

確かいつからか、ブログの記事を一定期間更新しないと、削除というルールができたと思うのですが、それもまたいいのではないかと。跡形もなく消え去り、明日になれば忘れられているというのも、未練がましくなくて。今年も咲き始めた桜の花のように。

「SAKURA」はいきものがかりの記念すべきメジャーデビューシングル。オリコンの最高順位が17位ですから、決して大ヒットした曲ではないのですが、今でも森山直太朗の「さくら」などと共に歌い継がれる名曲になっていると言えるでしょう。

それにしても、いきものがかりもデビューから20年近くになるのですね。当時は3人体制で、ボーカルの吉岡聖恵の声は青春の香りがしました。水野さんは吉岡さんが歌う姿を想像しながら、歌詞や曲を当てはめていったのでしょう。
しかし、歳月を重ねるにつれ、それが難しくなってきたところがあるのだと思います。いつまでも青春の曲は似合わない。水野さんは高い才能があるので、他のアーティストにも曲を提供しています。吉岡さんは結婚して子供も生まれ、これまでと同じペースでの活動は難しいかもしれません。ただ、いきものがかりにはまだ懐メロにならないでほしい。

1982年に発売された松田聖子の「制服」は4月の桜であったのに対し、21世紀発売の直太朗さんの「さくら」、いきものがかりの「SAKURA」は3月に咲く桜です。年々、開花が早まっているのが歌からも分かります。


さくら ひらひら 舞い降りて落ちて
揺れる思いの丈を 抱きしめた
君と春に願いし あの夢は
今も見えているよ さくら舞い散る



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尾崎豊「街の風景」

2025-03-17 12:11:53 | 音楽
街の風に引き裂かれ
舞い上がった夢屑が
路上の隅で寒さに震え
もみ消されてく


作詞・作曲 尾崎豊。ファーストアルバム「17歳の地図」に収録。1983年12月発売。
彼が生きている頃は、僕はさして尾崎に興味がなく、有名な曲を幾つか知っているぐらいでした。しかし、彼の死後、皮肉にも尾崎の曲は注目を浴び、僕は「17歳の地図」を手に取っていました。そのアルバムの最初の曲が「街の風景」でした。イントロから独自の世界観があり、「街の風に引き裂かれ、舞い上がった夢屑が~」。この一文に心を奪われた記憶があります。

アルバムのタイトルにもなっている「17歳の地図」の「歩道橋の上 振り返り、焼けつくような夕陽が、いま心の地図の上で起こる全ての出来事、照らすよ セブンティーンズマップ」。なんて眩しい表現だろうと感じたことを覚えています。紛れもなく早熟の天才でした。
尾崎さん自身もそれを気にしていたのか「ファーストアルバムを超えるものが出来ない」と悩んでいたといいます。逆風でなければ凧は上がらないように、学校という彼にとって強い縛りが、皮肉にも瑞々しい表現を生み出す原動力になっていたのではないでしょうか。

尾崎さんはこの世に適合出来なかったのだと思います。だからこそ数々の名曲が生まれたのも間違いありません。一部の過激な表現により誤解されがちですが、総じて尾崎さんの曲は優しい。凄く優しいと思うんですよ。


心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色を散りばめた街の風景
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柏原芳恵「春なのに」

2025-03-06 12:31:09 | 音楽
卒業だけが理由でしょうか
会えなくなるねと右手を出して
さみしくなるよ それだけですか
むこうで友達 呼んでますね


1983年1月発売。柏原芳恵12枚目のシングル。作詞・作曲 中島みゆき。オリコン最高位6位。

中島みゆきの卒業をテーマにした代表作と言えるでしょう。同世代のもう1人の歌姫である松任谷由実にも「卒業写真」という名曲がありますが、恋愛とは無関係ですし、「春なのに」に近い世界観は「まちぶせ」のような気がします。男性に対する女性の強い思いが共通しています。

「卒業だけが理由でしょうか」と疑問から入っています。舞台は高校で、主人公の女性は同級生の男性と付き合っていたのでしょう。
「さみしくなるよ、それだけですか」には彼女の不満が表れています。その男性の態度から卒業後は会うつもりはないと察した彼女が最後に
「記念にください、ボタンをひとつ」と彼に頼みます。そして私の推測ですが、ひとりになった帰り道で、近くを流れる川に、ボタンを思い切り投げ捨てたのではないかと想像します。しかし、それで吹っ切れたのかと言えば、そうではなく

「春なのにお別れですか、春なのに涙がこぼれます」と未練を滲ませています。メロディーも女性の内面をそのまま表現したようなものになっていますが、それと共に、どこか青春の匂いも漂います。柏原芳恵の10代とは思えぬ高い歌唱力が、より切なさ、淋しさを誘います。


記念にくださいボタンをひとつ
青い空に捨てます
春なのにお別れですか
春なのに涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息またひとつ
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浅香唯「セシル」

2025-02-04 12:28:39 | 音楽
あなたの悲しみ変われるなら
私はこのままそばにいたい
踵を揃えた二人の影
こんなに背の高さ違うの


浅香唯11枚目のシングル。作詞 麻生圭子・作曲 NOBODY。1988年8月発売。オリコン最高位1位。

松田聖子、中森明菜、小泉今日子がアイドルとしての時期を過ぎた後、そのポジションを埋めたのが中山美穂らアイドル四天王でした。浅香唯もそのうちの一人です。
この曲が流行っていた頃、私は月並みな青春を過ごしていたのだと思います。しかし、やがてパニック障害(当時は原因不明)となり、地獄の日々が始まりました。虚しく残ったのは若さだけ。人生にリセットボタンがあれば、躊躇なく押していました。しかし、そんなものがないことも分かっていました。苦しみの中で遠くから小さく、この曲が聴こえていた記憶がうっすら残っています。
勿論、曲も良いのですが、麻生圭子さんの少し哲学的な歌詞も好きでした。
「人は大人になるたび弱くなるよね」「恋は楽しい時より悲しい時に、そっと始まった方が長く続くね」。こうした文章が象徴的です。

「セシル」発売の翌年には「ザ・ベストテン」が終了し、1970年代から続いたアイドル黄金期は終わりを告げました。
諸説あると思いますが「日本で最初のアイドルは南沙織」と聞いたことがあります。彼女の代表曲の「17才」の溌剌さが溢れている世界に比べると「セシル」は深みはありますが、切なさが滲み出ています。そうした意味では、アイドルの終焉にふさわしい名曲だったのかもしれません。


人は大人になるたび弱くなるよね
ふっと自信を失くして迷ってしまう
だから友達以上の愛を捜すの
今夜私がそれになれればいいのに
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ブログ開設ほぼ20年企画 1980年、百恵から聖子へ 

2024-11-22 12:30:11 | 音楽
ブログの通算アクセス数が80万に近づきつつあります。この機能は私がブログを始めた頃には存在しなかったものなので、実際にはのべ100万人以上の方にお越しいただきました。何ヵ月も更新しない時期もありましたが、ほぼ20年このブログを続けてこられたのも、訪問者の方々がおられたからです。感謝申し上げます。

さて、そろそろほぼ20年企画に入ります。
1980年は時代の変わり目でした。野球では王貞治がバットを置き、その年のドラフトでは原辰徳が巨人に入団しました。音楽でも節目の年になりました。松田聖子がデビューして山口百恵が引退したのです。

1980年9月の月間オリコンランキングでは松田聖子の「青い珊瑚礁」が2位。山口百恵の「さよならの向こう側」は9位でした。ちなみに1位は長渕剛「順子」。
「青い珊瑚礁」は松田聖子2枚目のシングル。1980年7月1日発売。週間最高位は2位。年間15位。山口百恵31枚目のラストシングル「さよならの向こう側」は1980年8月21日発売。週間最高位は4位。年間41位。確かに「さよならの向こう側」は名曲に違いありません。しかし数字で見る限り、聖子さんが百恵さんを上回っています。
青い珊瑚礁で人気を不動のものにした聖子さんは3枚目の両A面シングル「風は秋色/Eighteen」から20曲以上連続1位という金字塔を打ち立てることになります。

70年代の山口百恵、80年代の松田聖子。年齢は意外にも3つしか違いません。聖子さんと中森明菜が3才差なので、同時期に並び立っても不思議ではありません。しかし、百恵さんの完成された容姿に比べ、聖子さんはベビーフェイス。若者から私のような子供までが関心を持ちました。
百恵さんはそれとは違い、幅広い層の支持があったのだと思います。その差がどこにあったのかと言えば、「お茶の間」の存在ではないでしょうか?

1970年代まではお茶の間があった。親、子、孫の三世代が揃って同じテレビを観ている光景が浮かびます。それが80年代以降、核家族の世帯が急速に増え、世代の分断、嗜好の多様化が進みました。象徴的なのは紅白で、70年代までは視聴率70%台が当たり前の時代。大晦日は家族揃ってこたつで暖まり、みかんを食べながら紅白を観るものだという国民的合意があったのだと思います。

しかし、80年代の途中から紅白の視聴率は大幅に下落し始めました。それは「お茶の間」が急激に消えていったことを意味します。例えば南沙織は子供からおじいさん、おばあさんまで幅広く知られていたと想像するのですが、80年代後半のトップアイドルだった浅香唯といっても知っているのは若者で、中年以降の人はほとんど知らなかったのではないでしょうか?この辺はリアルタイムだったのて肌感覚で分かります。世代の分断が進んでいたのです。

ましてや1980年末にテレビからベストテン番組が消え、90年代はテレビと音楽が切り離されました。音楽に飢えた若者たちは自室にこもってCDを聴くようになり、ミリオンセラーが続出したのです。その反面、ビジュアルと歌を組み合わせて価値が生まれるアイドルは不必要になってしまったのです。また、誰もが知っているヒット曲も消えていきました。

その後、21世紀に入って20年以上が立ちますが、嗜好の多様化や世代の分断はさらに進んだと言えます。1980年、山口百恵と松田聖子という二人の歌姫が、引退とデビューという形で入れ替わったことは、時代の変わり目の象徴的な出来事でした。
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小泉今日子の隠れた名曲「二人」

2024-09-03 12:03:48 | 音楽
冷たい雨に打たれ
愛しい人を待ってた
うつろう時の中で
砕けてゆく思い出たどりながら


「二人」 作詞・作曲 飯島真理。1985年7月発売。
私はバラードクラシックというアルバムでこの曲を知りました。実際にはその数年前のアルバムに収録されていたんですね。

松田聖子と中森明菜という二人の歌姫と同時代ながら、第3極の独自路線でスーパーアイドルに駆け上がった小泉今日子。40年以上の芸歴で、これほど浮き沈みなく現在に至った人も珍しい。アイドルからCMクィーン、そして本格的な女優に。読売新聞の書評欄を担当していた時期もありました。多才さを生かし、卓越した自己プロデュースで時代の変化に対応してきた稀有な存在です。

小泉さんとは対照的に「二人」は時の地層に埋もれてしまいそうです。憂いと眩しさが美しく混ざりあった名曲だと思いますが、シングル曲でもないですし、そもそもこの曲を知っている人が少ないですから。

曲にも寿命があり、クラシックのようにとてつもなく長寿なものもあれば、1年、2年で忘れ去られるものも多くあります。
「二人」は小泉さんの代表的なバラードの「木枯らしに抱かれて」「優しい雨」などと比較しても劣ってはいません。あとは好みの問題だと思います。小泉さんのセルフカバーもいいけれど、出来れば若い人に歌い継いでもらいたい


傷ついた心を
隠さずに見せたら
少しづつ惹かれていた
いつか私
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松田聖子の隠れた名曲

2024-07-23 16:33:03 | 音楽

松田聖子の夏の曲といえば「白いパラソル」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」など数々のヒット曲があります。私もリアルタイムで知っています。

大人になってからはベストアルバムを買い、シングルに加え、アルバムの曲も随分、知りました。なので、大抵は聖子さんの名曲は知っているのではないかと思っていました。しかし、まだまだあるものです。最近、You tubeで知った「ひまわりの丘」「サンセットビーチ」は素晴らしかったです。

 

アルバム「Pineapple」は1982年5月発売。オリコン最高位は1位。そのアルバムに「ひまわりの丘」は収録されています。作詞・松本隆 作曲・来生たかお

 

黒い小さなラジオ

耳に当てて歩く

ストライプのTシャツ

覚えているわ

 

冒頭の歌詞ですが、時代背景が分かります。来生さんの眩しいメロディーを聖子さんが溌剌と歌っています。

 

ひまわりの咲く

丘に座れば

入江はエメラルド

風が吹き抜ける

あなたの愛を

失うことを

ただ怖がっていた

あの夏の日

 

サビの部分にになると明るい曲調は維持しつつも、切なさも混じります。歌詞から夏の海が舞台で、恋人同士が楽しそうにしている印象が浮かび上がります。

しかし、最後の「あの夏の日」でそれが思い出であることが分かります。女性が相手の男性を忘れられない切なさが表現されています。

来生たかおさんのメロディーが素晴らしい。名曲だと思います。

 

「SUNSET  BEACH」

この曲もアルバム「Pineapple」に収録。いかにパイナップルというアルバムが名盤かが分かります。願わくばレコードの針を落として聴きたかった。当時、私は小学生でテレビの聖子さんのシングル曲に反応しているだけでした。

 

作詞・松本隆 作曲・来生たかお 

 

黄昏どき斜めの陽を浴びて

タオルを手に人が帰る

夕凪満しお足跡だけ

消し去る波

 

美しい風景が浮かびます。文学的ですね。「ひまわりの丘」に比べ、曲調も含めて寂しさが全体を覆っています。

 

ああ 夕日が海に溶ける

ああ 世界の終わりでもかまわない

渚の果て

ああ 夕日が海に溶ける

ああ あなたと生きてみたい気がする

渚の果て

 

「世界の終わりでもかまわない」と「死のうかってポツリ言うあなた」という言葉もあって、かなり後ろ向きですね。勝手に解釈すれば、この歌詞の中の男性は松本隆で、女性は松田聖子なのかもしれない。松本さんはどこか影があるように見受けます。ただ、こうした妄想や冒険が出来るのもアルバムならではでしょう。

 

初めて聴いた2曲で気付いたのは、私が来生たかおのメロディーが好きなこと。どちらの曲も来生さん作曲です。来生さんといえば中森明菜のイメージがありますが、聖子さんにも曲を提供していたのですね。そして松田聖子さんの並外れた歌唱力。当時は歌唱力の評価はそれほどされていなかったと思います。耳に心地よく、曲の世界観に入り込む天才ですね。

 

松田聖子と中森明菜。タイプが全く違かったからこそ二人は歌姫として奇跡的に並び立つ事ができました。そして豪華な作家陣。80年代は音楽的に幸せな時代と言えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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村下孝蔵「初恋」

2024-06-11 12:40:41 | 音楽

五月雨は緑色

悲しくさせたよ

一人の午後は

 

作詞・作曲 村下孝蔵。1983年2月発売。オリコン最高位3位。

 

私が子供だったこともあり、「初恋」を歌う村下さんは公務員のように映りました。アーティストと言えば沢田研二のようなイメージを持っていましたから。しかし、時が進むにつれて村下さんの歌詞の美しさ、歌唱力も高く、真のアーティストであることが理解できるようになりました。若くして亡くなられたのが残念です。

 

冒頭の「五月雨は緑色」

今年は少し遅れていますが、梅雨のしとしと降る雨。後方の木々が雨を緑に染めているイメージを抱きます。

二番の入りも「夕映えはあんず色」。くっきりと季節や時間帯、また光景を聞き手に印象づけます。そうすることで、後に続く歌詞の物語性もより高く、深く刻まれる事になります。職人技ですね。

 

「放課後の校庭を走る君がいた」

私はてっきり、この少女は陸上部というイメージを持っていました。しかし、「実際のところはテニス部だった」とどこかで見聞きした覚えがあります。初恋は実らぬからこそ美しい。メロディーラインは今で言う昭和歌謡に分類されるでしょうが、普遍的な想いを見事に描いた「初恋」は長く後世に伝わっていくのだと思います。

 

放課後の校庭を走る君がいた

遠くで僕はいつでも君を探してた

浅い夢だから 胸を離れない

 

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