ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(8)

2017-05-14 21:39:18 | Weblog
天女戦3番勝負。先に2勝した方がその地位に就く。初戦は硬くなり、いいところなく敗れた。後のない第2局は、開き直りが、思った通りの指し回しにつながり、勝つ事ができた。そして1勝1敗で迎えた第3局。

振り駒の結果、私が先手となった。私は持ち前の攻め将棋で、早田天女を押し込んだ。自玉の囲いもそこそこに、私の駒が前進していく。早田さんは守りが固い棋風で、防戦一方の中、耐えて反撃の機会をうかがっていた。それでも、この日の私の攻めは冴えていて、しだいに優位を拡大していく。そのまま攻め手を緩めず、117手目を指した。早田さんは少し考えていたが、118手目はなかった。水で喉を潤し、しばしの沈黙の後「負けました」との穏やかな声が心地よく響いた。

青い畳のい草の匂い、障子から漏れてくる斜陽、慣れない着物の重み。私は勝った。天女となった。森村先生は涙を流して喜んでいた。もう随分、遠い日の出来事になった。
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駒花(7)

2017-05-14 07:47:20 | Weblog
矢沢菜緒との初対局から2年が経った。将棋に集中する環境を整えるため、私は都内の単位制の高校に進学した。本音を言えば、高校へ行かなくてもよかった。しかし、森村先生に「高校ぐらいは行きなさい。今後の人生を考えたらその方がいい」と言われ、その意味は、いまひとつ理解できなかったが、進学を決めた。とりあえず、縛りの少ない、単位制高校で折り合いをつけた。私に青春はいらない。住まいはこれまでと変わらず、森村先生宅に下宿している。菜緒も育成部から女流に昇格し、同じ舞台での私と菜緒の戦いが幕を開けた。

あの対局以降、私は将棋に対し、真摯に向き合うようになった。そうでなければ、菜緒に太刀打ちできないと悟ったからだ。その甲斐あってか、菜緒が女流棋士昇格後、4度対局して2勝2敗。この数字に私自身は満足している。しかし、私の将棋に比べて、菜緒はまだ荒削りで、彼女が本気で才能に磨きをかければ、私はすぐに引き離されてしまう。そうした強い危機感が、私を突き動かしている。

16歳の私に大きなチャンスが訪れた。女流3冠タイトルのひとつ天女戦への挑戦権を獲得したのだ。予選で紅白5人ずつに別れ、赤組の私は3勝1敗で1位となり、白組の菜緒は1勝3敗で白組代表の座を逃した。そして私は白組1位の滝口女流二段を下したのだ。

初めてのタイトル戦。早田天女との3番勝負。年齢的には親子とまではいかないが、20近く離れている。私が生まれる前からすでに女流棋士として活躍していたベテラン。尊敬する棋士の一人だ。森村先生には「さおりの力では、まだ早田さんには勝てない。とにかく思い切ってぶつかりなさい」とアドバイスを受けた。しかし、私はこの勝負、勝てると踏んでいた。
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