ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

将王 9手目「軽蔑」

2015-12-30 22:07:18 | Weblog
それでも、小倉は自分が上座に着いたことは正しいと思っていた。対戦相手だった川野も「もし僕が先に来ても下座を選択していた。小倉さんは間違っていないのでは」とコメントしている。

しかし、新聞や雑誌の論調は小倉に厳しいものだった。それらを要約すれば「確かに小倉は強いが、もっと礼儀や伝統を重んじるべき」という事らしい。

将王の地位に君臨する棋士が、将棋界の第一人者という考えに異論を挟む者はほとんどいない。しかし、60歳を過ぎたベテラン棋士や将棋関係者の一部には、将王と金将を同等の地位とみなす考えが根強くあるのも事実だった。

小倉はそうしたベテラン棋士を軽蔑していた。彼らは「遊びも含めた人生経験が盤上に滲み出る」という考えを持っているものが多かった。小倉は口にこそ出さないものの、「くだらない考え」と決め付けていた。

どう遊ぼうが、どう生きようが、そんなものは関係ない。答えはもっと単純で、高い才能を持ち、それに加えてたゆまぬ努力をした者が勝つのが当然と小倉は考えていた。
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将王 8手目「上座」

2015-12-30 15:17:08 | Weblog
小倉は安堵した。川野が定刻前に間に合ったことで、この得体の知れないざわつきは収まるだろうと予測していた。

そしてそれは止まった。しかし、今度は張り詰めた空気が占拠した。小倉が周りを見渡すと、視線は川野に集中している。皆の顔がやや引きつっているようにも見えた。川野が将棋盤を挟んで小倉と相対した。川野は普段どおり穏やかな表情をしていた。それでも周囲の緊張した面持ちはまだ解けていなかったが、午前10時を過ぎるといつもと変わらぬ対局風景に戻った。

対局は陽の傾きに合わせるように、4局それぞれに優劣が決していき、小倉・川野戦も小倉が優勢を維持したまま終盤を迎え、最後は川野が「負けました」と丁寧に頭を下げた。
しばらく感想戦の後、川野は立ち去った。

川野と入れ替わるようにベテランの記者が小倉に近づいてくる。そして話しかけた。

「お疲れ様でした。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「話は変わるけど、座る場所は上座でよかったの?」

「えっ?、上座?」

川野は同僚の先輩棋士に何か聞かれている。その棋士は小倉をちらちらと見ながら川野に話している。

「なるほど」

小倉はようやく理解した。この金将戦は序列に重きを置く棋戦である。前年度の金将戦の結果から川野が序列2位、小倉が序列6位となっていた。だから「川野が上座ではないのか?」という他の棋士たちの思いが、あのざわつきとなって現れていたのだ。
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将王 7手目 「大棋士」

2015-12-30 10:54:08 | Weblog
これまで長らく将棋界牽引してきた中多を破り、21歳という史上2位の年少記録で将王の座を手にしたことから、いよいよ小倉時代が始まったという空気感が急速に広まった。比較的年齢の近いところでは6歳上に川野がいるくらいで、同世代には太刀打ちできる存在は確認できなかった。

小倉は翌年の将王戦、今度は挑戦者として登場した中多を4勝2敗で返り討ちにし、さらに次の年は川野の挑戦を4勝0敗のストレートで片付け3連覇を果たした。23歳の若さにして小倉には大棋士の風格すら漂い始めていた。

その間、ちょっとした事件が起きた。問題視されたのは最古のタイトル戦である金将戦の挑戦者を輩出するトップリーグでの小倉と川野との対局だ。

先に会場に現れたのは小倉だった。まだ棋士たちの姿はなく、和室には4台の将棋盤が並んでいた。この日はトップリーグ8名の一斉対局だった。小倉は自分の席を確認し、座って川野の入室を待った。

棋士たちが次々と入室し、ゆっくりと腰を落としていく。川野を残した7人が揃った。会場がわずかだがいつもよりざわついている様に小倉は感じた。「川野さんが姿を見せないからか」。

小倉が腕時計に目を落とした。対局開始時間は午前10時。あと2分だ。その時、戸が引かれた音とともに、和服姿の川野が姿を見せた。
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将王 6手目 「新将王」

2015-12-29 22:05:32 | Weblog
2年後、21歳になった小倉は再び将王への挑戦権を掴んだ。時の将王は中多である。中多は前年、川野を下し将王に復位した。将王在位は通算9期となり前人未到の通算十期に王手をかけていた。

戦前の予想は割れていた。若さの小倉か、それとも実績、経験の中多か。すでに40才を過ぎた中多に衰えを指摘する声もあった。

悲願の十期達成か、初の将王位で世代交代か。注目の中で始まった将王戦7番勝負は第一局を小倉、第二局を中多が取り返し、1勝1敗で迎えた第三局。互いに一歩も譲らぬ熱戦となった。形成不明のまま終盤までもつれ込んだが、最後は小倉が超手数の詰みを読みきり、勝利した。

この勝負で小倉が勢いに乗ったのか、中多が落胆したのか、四局、五局は小倉が力で中多をねじ伏せ、4勝1敗で初の将王の座に就いた。

「嬉しいです。将王になるのが子供の頃からの夢でしたから。地位に恥じないような将棋を指していきたいです」。

局後のインタビューで小倉は笑顔を交え、そう話した。
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将王 5手目「初挑戦」

2015-12-28 21:41:06 | Weblog
小倉が初めて将王への挑戦権を手にしたのはプロ入りから5年、19歳の時だった。相手は川野将王である。

川野は25歳。色白で端正な顔立ちをしている。小倉同様、10代から天才棋士と言われ続け、昨年、初めて将棋界最高峰である将王の座を手にした。今回が初防衛戦となる。

下馬評は川野優位が大勢だった。いかに小倉が強いとはいえ、まだ19歳。他のタイトル経験もない。それに対し、川野は将王位に就いたのを皮切りに、5大タイトルのうちの3つまでを保持していたのだから、無理もなかった。

この大方の予測に小倉は苛立っていた。育成倶楽部時代の一時期は、川野に憧れの気持ちを抱いたこともあった。しかし、川野との初対決こそ敗れたものの、2度目の挑戦で彼を倒した時、小倉は川野も大したはないと思い始め、憧れの気持ちは次第に失せていった。

川野将王対小倉六段の7番勝負は、2勝2敗のタイで迎えた第5局を小倉が制し、王手をかけたものの、初挑戦ということもあってか、6局目以降は小倉のミスが目立ち、結局、4勝3敗で川野が辛くも初防衛に成功した。

負けた日の夜、床に就いても小倉は寝付けなかった。ミスで負けた悔しさと、次は川野に間違いなく勝てるとの確信で、自らの興奮を抑えることができなかった。
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将王 4手目「恋心」

2015-12-28 21:20:59 | Weblog
出席日数に縛られない単位制の高校に進学した小倉はますます将棋に没頭していった。伸び盛りの勢いも手伝って、快進撃を続けた。

通学用のバスを降り、校舎の敷地内に入ると、後ろから「小倉君」と明るい声が聞こえた。彼がひそかに恋心を抱く女子生徒だった。

「凄いね。私はぜんぜん、将棋のことは分からないんだけど」
「いや別に、そんなに凄いわけじゃ・・・」

小倉は頬を赤らめ、言葉を詰まらせた。その間、女子生徒は何かを発見したようで目を輝かせた。「じゃあ、がんばってね。応援してるから」との言葉を残し、足早に立ち去った。

駆けていった場所は、背が高く、よく日焼けした男子生徒の隣だった。何を話しているのかは聞こえない。しかし、彼女の楽しげな横顔は確認できた。小倉は男子生徒を遠巻きに睨み付けるぐらいしか術がなかった。
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将王 3手目「感謝」

2015-12-27 22:44:41 | Weblog
かくして、小太りめがねの先生こと伊田六段に弟子入りした小倉は、プロ養成機関である育成倶楽部に入会。わずか3年、中学2年で最終リーグに駆け上がる。そしてさらに半年後、14勝2敗で並んだ25歳の元天才少年との相星決戦を制し、わずか14歳でプロ棋士となった。この時、すでに師匠である伊田六段は小倉に歯が立たない状態だった。


あどけない中学生棋士に取材が殺到する。小倉は注目されること自体悪い気分ではなかったが、緊張しやすい性格も手伝ってインタビューでは頭が真っ白になり、口をつぐむ事もしばしばだった。

それでもプロとしての実感は彼が通う中学校でも感じることができた。自分よりはるかに頭の良い生徒、運動のできる生徒、女子に持てる生徒。劣等感を抱く対象だったはずの連中が小さく思えた。小倉は将棋との出会いに感謝すると同時に、将棋に出会えなかった自分を想像すると、背筋の凍る思いだった。
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将王 2手目「先生」

2015-12-26 23:14:43 | Weblog
「ここの道場に天才少年がいる」。噂は広まり、プロ棋士の間にまで届き始めた。

ある日、小倉が将棋道場を訪れると、見慣れない小太りのメガネをかけたおじさんが、見慣れたおじさんたち数人を相手にいくつかの将棋盤を世話しなく行き来していた。皆、がその小太りの中年男を「先生」と呼んでいた。しばらくして少年の存在に気づき、小太りの「先生」が歩み寄る。

「君か。いま何年生?」

「4年生です」

小倉は「先生」と将棋を指した。彼自身、初めてというくらいの惨敗だった。悔しさと驚きで混乱している少年に小太りの先生は言った。彼にとっては意外な言葉だった。「君はスジが良い。必ず強くなる」と。

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タイトルはとりあえず「将王」としました。
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将王  初手 「希望」

2015-12-26 22:02:35 | Weblog
いったい、いままでの自分の人生は何だったのだろう?自宅ベッドにねころがりつつ、ふと小倉は思ったのだ。これまでの40年近い人生のほとんどを将棋に費やしてきた。

幼稚園の頃だった。大人たちの縁台将棋を見よう見まねで覚え、その大人たちを負かすようになるまで時間はかからなかった。自宅近くの将棋道場へ通い、自信過多の大人たちを次々に負かし、そして驚かせた。「坊や、ほんとに強い。ひょっとしてプロになれるんじゃないか」。そうした言葉たちは小倉少年の自尊心をくすぐった。

勉強ができる訳でもない。運動もどちらかといえば苦手だ。友達も多くない。イケメンでもなく、女子にもてないのも、子供ながらに漠然と納得していた。それでもみんな自分に一目置いている。将棋はこれといって取り柄のない小倉少年の希望そのものだった。

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短編小説を書いてみようと急に思い立ちました。題材は将棋ですが、将棋を知らなくても理解でき、楽しく読めるようなものにしていきたいです。
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いろいろ

2015-12-06 22:58:58 | Weblog
お久しぶりです。

今年も何とかここまで乗り切ってきました。パニック障害を発症して26年が過ぎ、27年が迫りつつあります。正確に言えば不安神経症。不安神経症の中にパニック障害も含まれているという方が適切なのかもしれません。

いまはパキシルという抗鬱薬を減らしているところです。やはり自分には抗不安薬のレキソタンがよく効くようで、パキシルを減らしても、日常生活に特に影響は見られないようです。むしろ眠さやだるさは改善しているような気がします。

今年の流行語大賞が発表されましたが、僕が気になった言葉の一つは「下流老人」です。財産を持っているのも高齢者ですが、生活保護の半数以上も高齢者。だから高齢者が最も格差社会の只中にいるというのが現実です。自分の店にも自動販売機が置いてあるのですが、硬貨の取り出し口に手を入れていくのはいい年のおじさん、おばさんです。現在、非正規で雇われている中年世代もその予備軍でしょう。

そんな中、僕が期待しているのは人工知能です。少子高齢化がさらに進む中、労働人口を外国人労働者で埋めるか、人工知能で埋めるかの二択になったように思います。女性の社会進出は女性も含めた意識改革が必要で、徐々に進むことはあっても、カメの歩みになる気がします。

このブログを始めて11年。綾瀬はるかが成人式の時に期待の若手女優としてこのブログに記したような覚えがあります。あれから10年。綾瀬さんは国民的な女優になりましたね。菅野美穂も念願の子宝に恵まれ、彼女にとっては忘れられない年になったことでしょう。そろそろ菅野さんの女優としての姿を見たいですね。

今日も下町ロケットは面白かった。ではまた。
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