ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

大竹まことの発言はそんなに悪いのか?

2017-06-28 10:17:35 | Weblog
大竹まことさんの藤井四段に対するテレビでの発言が取り上げられています。僕はそれを見ていないのですが、大竹さんはラジオでも藤井四段への発言をしていました。おそらく内容は、テレビと重なるものが多いのだと思われます。

ネットなどで文章化してしまうと、感情が伝わらないので、あたかも大竹さんが藤井君を、けしからん若者と発言したように捉えてしまう人も多いかと思います。これはマスコミの悪意です。

ラジオでの大竹さんは、終始、和やかに語っていました。大竹さんはあまり将棋には詳しくなく、何年もプロでいる連中が、昨日、今日プロになった中学生に負けるのは情けないと思われた部分はあるのかもしれません。まあ、それは誤解であって、藤井聡太という不世出の天才棋士に、ほとんど経験とか、段位というものは意味を成しません。大竹さんの本意は、あまりにも若くして、その世界のトップに上り詰めてしまうことへの危惧があるのだと推測します。

僕が大竹まことさんについて、ラジオでの印象として感じるのは、若者の味方、マイノリティーの味方です。テレビには映らない優しさがあるのです。僕は藤井君に好意を抱いているし、昨日も仕事を終えた後、新聞を買ってきたぐらいですが、大竹さんの藤井発言に対して腹立たしさは全くありません。

まあ、ここから見えてくるのは、社会の劣化ですね。こうしたことが積み重なり、発言が萎縮して何も言えなくなる。ネットは功罪ありますが、これは罪のほうです。

かつて、法学部に在籍していた自分が言うべきはないかも知れませんが、法はなくて済むなら、その方が、社会の質としては高いのだと思います。しかし、それでは世の中、成り立たないから法がある。監視カメラにも同じことが言えます。なくて済むのなら、ない方がいい。

しかし、ネットもこのままの状態が続くと、法で縛ることを考えざるを得なくなるでしょう。そうならないためには、ネットユーザーの寛容さが求められます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤井四段、新記録おめでとう!

2017-06-26 21:40:17 | Weblog
凄い。その一語に尽きます。10代対決として注目された藤井四段対増田四段戦は、91手までで藤井四段の勝ち。快勝です。これで29連勝となり、神谷八段の28連勝を30年ぶりに塗り替える新記録樹立となりました。

まあ、今日一日は藤井デーでしたね。NHKの9時のニュースでもスタートから藤井一辺倒。師匠の杉本七段もスタジオで解説。藤井君は谷川ファンなんですね。同じ谷川ファンとして凄く嬉しいです。彼の年齢では谷川さんの全盛期の記憶はないはずですが、棋譜が残りますし、日本一美しい棋士といわれる谷川さんの対局姿勢、人格そのものを尊敬しているのかもしれません。

ただ、僕は藤井君は谷川さんより強くなると思います。簡単に言ってしまえば、谷川さんは芸術家で、藤井君は勝負師です。勿論、これですべて語れる訳ではありませんが。その谷川さんも現地で見守る中での記録達成となりました。

藤井君は将棋のみならず、運動神経もよく、言葉の使い方にもセンスを感じます。14歳としては驚くほど語彙も豊富です。ここ数年、人工知能に振り回され続けた将棋界にとって、藤井君の存在はまさに僥倖です。

順調である時も、逆境にある時も将棋を愛することを、すでに藤井君は将棋の神様に誓っていると思います。新記録、本当におめでとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の清原・平成の藤井 天才新人たちへ

2017-06-22 21:18:57 | Weblog
30年以上前、清原選手がホームランを打つごとに、一般紙が一面で取り上げました。それと同じように今まさに、藤井君が勝利を重ねるたびに、一般紙が一面で取り上げます。この2人は天才新人の代表格といって間違いはないと思われます。

清原選手の場合、最初はプロのスピードについていけず、本格的に打ち出したのはオールスター後でした。最終的な成績は、3割4厘31本塁打。勿論、いまでも高卒選手としての最高本塁打記録です。

そればかりか、この年、西武ライオンズはパリーグを制し、日本一に輝くのですが、清原選手は最終的に、その日本一チームの四番打者の座を獲得しました。投手では、数年に1人、一軍で好成績を挙げることもあるのですが、野手ではおそらく今後、清原さんのような選手は現れない可能性が高いです。

清原さんが2年目以降、一流の成績は残すものの伸び悩んだ理由の一つに、モチベーションの低下があります。こないだ引退を発表した宮里藍選手も「モチベーションの低下」を引退の理由に挙げていましたね。

ルーキーの時の清原さんには、明確なモチベーションがありました。巨人、そして王監督を見返す。桑田には負けたくない。こうした強烈な思いが、彼にバットを振らせたのでしょう。その気持ちが2年目以降、持続しませんでした。

王貞治の868本塁打を超える男といわれた清原さんは200号までは、王さんを上回るペースで打ちましたが、生涯成績では525本で歴代5位、王さんには遠く及びませんでした。普通なら、本塁打500本台は、大変な記録と称えられるところですが、高校時代、新人時代の清原さんの強烈な記憶を刻んでいる野球ファンには、物足りなく感じられたのかもしれません。

そして野球のみならず、人生のバランスまで崩し、薬物に手を染めてしまいました。清原さんの弱さを感じると共に、鮮烈なデビューの記憶に苦しんだ野球人生でした。

そして藤井君。28連勝。凄すぎる。これがどこまで伸びるか分かりませんが、この記録もなかなか破られる記録ではありません。藤井君さえ、2度と破ることは出来ない可能性が高いと思われます。世間が「物足りない」と彼を叱咤する時期が来るかもしれません。しかし彼はいわゆる将棋バカではありません。受け応えなどから見ても、非常にクレバーで、強い精神力も感じます。やがて試練に晒されても、乗り切るだけのものは持っていると思われます。

藤井君にはこれからの長い将棋生活、今の謙虚な姿勢を崩さず、頂点に立ってほしい。そして清原さんも精一杯の人生を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫陽花

2017-06-21 09:17:44 | Weblog
紫陽花は雨に良く似合う

だからこの季節を好んで咲くのだろう

そうだ

みんな好き勝手にやればいい

好きな時に、好きな場所で咲けばいいんだ

何がそれを阻む

社会か、他者か、病気や障害か

それとも自分自身の弱さか



それでも多くの人は

理想との距離感に力なく笑いながら

好きでもない時に

好きでもない場所で

辛うじて花を咲かそうとしている

せめて少しでも自分らしくと



寂れた街での壮絶な生活

紫陽花のような自由はない

人通りも絶えた、豪雨と灼熱の地に

誰も見たことのない花を咲かせたい

季節も場所も選びはしない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和生まれの曲がり角、自分自身の曲がり角

2017-06-17 22:07:11 | Weblog
最近、特にスポーツの世界を見ていると感じるのですが、昭和生まれが厳しい戦いを強いられるようになってきました。昭和の最後に生まれた63年組、つまり昭和生まれとしてはいちばん若い人たちですが、例えば体操の内村選手。絶対王者の座を守っているものの、おそらく体はぼろぼろで、若い白井選手らを迎え撃たねばなりません。例えば、マー君こと田中将大投手も防御率6点台。全盛期には考えられない数字です。もはや時代は、藤井君や張本君のように平成生まれどころか、21世紀生まれの台頭が著しくなりました。

思えば平成も29年。社会全体に目を向けても、2年後に昭和生まれはすべて30代以上、つまり若者がいなくなります。30代といえば、成長というよりは、維持することがテーマになっていく年代です。日本は高齢化社会で、昭和生まれの人数が圧倒的に多いため、他の国に比べれば、年をとったと実感することは、少ないのかもしれません。しかし、確実に昭和生まれの老いは進行していきます。勿論、昭和の前半に生まれた人と、後半、末期に生まれた人では、その意味合いは違いますが。

自分自身も、パニック障害という病気を抱えながら、どう世の中で戦っていくかと考えてきました。つまり自分中心の人生を過ごしてきました。結婚して、子供でもいれば、自分より子供という発想も生まれやすいかもしれませんが、残念なことに独身です。

しかし、もうこの戦いの舞台から降りる時が来たのではないかと、考えることが増えました。人生三分論という考え方があります。最初は教育、よく学べと。そして次によく働け。これは自分のための戦いの期間と重なると思います。そして最後の3つ目が社会のために生きよと。

僕はそろそろ2つ目の段階を卒業して、最後の段階に入るべきなのではないかと思い始めています。自分のためより人のためというのは難しいですが、せっかく人間に生まれてきた事ですしね。具体的にどうすればいいのかも分からないし、今までの生き方が急に変えられる訳でもありません。しかし、自分の人生を少しでもマシにするヒントは、この辺りにあるのではないかと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トシちゃん効果でアクセス数が・藤井VS瀬川

2017-06-15 21:16:06 | Weblog
昨日、田原俊彦さんをブログで取り上げたら、アクセス数が飛躍的にアップしました。やはり田原さんのファンは熱烈ですね。苦しい時に応援してこそのファンだと思います。それと私と同じように30代で干されてからの田原さんに「トシちゃん、腐らずにがんばってるな。立派だな」という考えを持っている人も多いのではないかと思いました。トシちゃんといえばザ・ベストテン。では久米さんのニュースステーション風に、次は出来るだけ将棋。

今日はなんといっても順位戦C級2組。デビュー戦から25連勝中の藤井聡太四段と瀬川晶司五段の対局です。今このブログを書いている段階では、結果は出ていませんが、そろそろだと思います。順位戦は持ち時間が長いですからね。

片や中学2年でデビューし、そこから負けなしの天才棋士。片や奨励会の年齢制限により、一度は将棋を諦め、サラリーマン経験のある苦労人。この対照的な2人の対決は見ものです。8割から9割の確率で、藤井君が勝つとは思いますが、瀬川さんにも意地を見せてもらいたい気持ちもあります。

一時期、「将棋には生き様は反映されない」という羽生さんらの考え方が主流でしたが、今はコンピュータが棋士を超えてしまいました。レベルの高い将棋を見るなら、コンピュータソフト同士の対局を見れば済む話です。コンピュータに抜かれた今だからこそ、自らがこれまで背負ってきたものを盤上に反映する意味があります。再びドラマ性が求められる時代がやってきたのです。そうした意味ではデビュー戦が加藤一二三九段、順位戦初対局が特例でプロ入りした瀬川さんというのも、藤井君、記録だけでなく、記憶に残る才能も持っているのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院へ・トシちゃん

2017-06-14 19:50:05 | Weblog
4週間ぶりに病院へ行ってきました。率直に言って、難しさを感じます。僕が病気になったのは28年も前で、今の先生は、自分の担当になって1年にも満たない。おそらく真実は、ごくごく一部しか伝わっていないと思います。とりあえず今回は、倦怠感、店を休業していること、若い頃に比べ、孤独感が強くなったことを話しました。先生は僕の言葉に沿って薬を処方する。どちらかというと、気分を高める薬を新たに出されました。まあ、こちらとしては、レキソタンを貰うことが重要だから、新しい薬にはほとんど期待していません。

自宅に戻って、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」の今日のゲストが田原俊彦、トシちゃんであることを思い出す。しかし、パソコンの調子が悪くラジコが聞けない。僕は一瞬、途方に暮れたが、店に向かってラジオを聴きました。

「大竹さん、元気ですかあ」。いつもの明るい口調で田原さんは登場しました。田原さん主演の「教師びんびん物語」には大竹さんも共演していたので、しばらく昔話に花を咲かせていました。大竹さんが話したのですが、田原さんの幼い頃に亡くなったお父様は、教師をされていたそうです。初耳だったので、教師役を演じたトシちゃんは凄く親孝行だなと思いました。

僕は若い頃の田原さんをそれほど好きではなかったのですが、ジャニーズ事務所を辞め、ビッグ発言により干されたのが33歳。それが17年も続いたのに、田原さんは体型も維持して、ダンスに磨きをかけました。自分のため、家族のため、そして何より、どんな時でも支えてくれるファンのため。その生き方を僕は尊敬します。そして苦労を決して見せない。努めて明るく、前向きなスーパースター田原俊彦を演じている。ここで、さらに尊敬するわけです。田原さんの大ファンであるサッカーのカズさんも、プロとしていつまでも上を目指すストイックな姿勢が、田原さんと重なります。

デビューから38年。6月発売の新曲「フェミニスト」が70枚目のシングル。トシちゃんにはいつまでも歌って踊れる、スーパースター田原俊彦でいて欲しい。

「大竹さん、また呼んでくださいよ」との明るく響く言葉を残して、スーパースターは去っていった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天才・宇多田の陰に倉木麻衣の大記録

2017-06-10 16:36:29 | Weblog
半年ほど前に書いた「大人になるにつれ、かなしく」がいまだに読まれていることを嬉しく思います。

さて、本題に入ります。だいぶ前になりますが、4月に発売された倉木麻衣の41作目のシングルが、オリコン週間ランキングで5位にランクされました。これで41作連続のベストテン入りだそうです。デビュー曲からこれまですべてが、10位以内に入っているという事になります。勿論、ソロアーティストとしては前人未到の記録を更新し続けているのです。

倉木さんは、デビューした時期が、宇多田ヒカルと重なります。宇多田さんが、少し早く世に出ました。「Automatic」からファーストアルバム、「First Love」へと畳み掛けた天才少女の出現は、20世紀末の世の中にひとつの衝撃を与えました。未だに、このアルバム売り上げ枚数は破られることはなく、おそらく永遠に消えない記録となるでしょう。

宇多田旋風が吹き荒れた1999年の終り。倉木さんが「Love.Day After Tomorrow」でデビューを果たし、ミリオンヒットとなりました。宇多田さんのインパクトが強すぎたため、宇多田の後を追う、新人アーティストという扱いだったような気がします。

宇多田ヒカルの、強烈な朝日の眩しさに照らされたその夜、空に浮かんだ美しい月が倉木麻衣でした。あの10代半ばの少女たちの衝撃から20年近くが経ちました。今日の宇多田さんの活躍を予想した人は、多かったと思われますが、倉木さんがここまで長持ちすると見ていた人は、かなり少ないのではないでしょうか?デビュー当時から可憐で儚いイメージがありましたから。

この20世紀末に現れた少女たちの物語は、まだ続いています。宇多田ヒカルの夕陽が、赤く燃えて沈んでいき、倉木麻衣の月が、空が白み始め、次第に薄れ、消えていく、その時まで。まだまだ彼女たちが、歌姫として輝き続けることを願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休業して思ったこと

2017-06-07 10:28:18 | Weblog
6月のはじめから店を閉めています。経営状態が良くなく、その建て直しのため、1ヶ月をめどに閉めたのですが、なかなか遅々として進みません。体が思うように動かないもどかしさ。

ただ、この一週間、特に昨日、気付いたのですが、体のだるさを我慢して作業をしているうちに、ゆっくりですが、少しずつだるさがとれ、集中力が増していった感覚がありました。

パニック障害になって28年、不安神経症、それに伴ううつ状態、薬の眠気。これらに流された生活をしていると、次第に症状は重くなるような気がします。多少、無理して自らストレスをかけていく事が、自分にとっては重要なのではないかと考えています。求道者になれと。自ら自分に対して負荷をかけていった方が、先につながるのではないかという思いに至ったところです。

かつて、仕事を辞めて「これで楽になる」と思ったら、その逆だった。また認知行動療法を受けている時よりも、仕事場と自宅の往復、休みの日はスーパーと自宅の往復で一日が終わる今のほうが、状態が悪い。これらのことからも、自分の場合は、多少、スパルタでいった方がいいのかもしれません。かといって、人に勧められるものではありませんが。例え、同じ病気に括られていたとしても、人それぞれに適したやり方がありますからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(53)

2017-06-05 07:49:10 | Weblog

私の予想に反して、菜緒は盤上のみに集中している。視野が狭くなっているといってもいい。こうした時の菜緒は、互角か、優勢を意識しているのである。もしかしたら、終局の輪郭も、ある程度描いているのかもしれない。長年、彼女と向き合っていて、嫌でも分かる様になってしまった。初めて対戦した時、私は中学2年、2つ年下の菜緒はまだ小学生だった。童顔の菜緒には、あの頃の面影が、まだ残っている。菜緒は自信に満ちた手つきで、守ることを手抜いて、私の玉に迫ってくる。彼女には、私に見えない戦況の真実が見えているようだ。

私も菜緒の囲いを、上部と側面から、包むように攻めた。しかし、終盤の勝負所で菜緒が放った攻防手が、実に効果的だった。この手が私には見えなかった。菜緒は何十手も前から、脳内に広がる盤上の宇宙に、その取っておきの攻防手を用意していたのだ。私は負けを覚悟した。ならば、最後は自分らしく攻めて終わりたい。

私は綱渡りのような攻めを繋いでいく。菜緒は冷静にそれに対処する。20手ほど進んだ後、菜緒が私に王手をかけた。少しだけ、これまでの道のりを振り返った。先生、やっぱり菜緒にはかなわなかった。あまりにもスケールが大きかった。でも、だからこそ、私はここまで努力を積み重ねられた。それは苦しくもあり、また幸福でもあった。

菜緒が放った138手目をもう一度確認し、私は投了した。私の様子を伺いながら、ポツリ、ポツリと話しかけてくる菜緒。時折見せる遠慮がちな笑顔が愛おしい。私はただ、「うん、うん」と頷いた。

※2023年5月27日に続きます


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする