ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

僥倖少女

2015-06-30 21:43:48 | Weblog

いちばん端のいつもの座席に座り
電車の中を見渡すと
目に留まったのはひとりの美しい少女

うらぶれた街の、さびれた高校への通学途中、突然の僥倖
視線をそらすように窓の外を見た
朝の陽に照らされた古い建物たちが、鈍く輝いている

普段と変わらない風景に飽きて、再び正面を向くと
少女が目の前に立っていた
何と無防備なのだろう
きっと、僕が凝視できないことを知っているから無防備なんだ

話しかけたかった
しかし、少女も話しかけてきそうな雰囲気を漂わせていた
それに甘えて話しかけなかった

日々の対面は時の流れを感じるほど長らく続いた
少女に逢うたびに、僕の朝は優しくなり、素直になりさえもした

そして少女がついに話しかけてきた
「さよなら」
僕の卒業の日だった
言葉を返そうとした時、電車のドアが開き、彼女は姿を消した
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気が優しくて力持ちだった貴ノ浪の死

2015-06-22 21:26:12 | Weblog
元貴ノ浪の音羽山親方が亡くなりました。同世代ということもあって、よりショックです。最近はスージョという相撲好き女子も増えて、再び相撲界が盛り上がってきたところでの元大関の早過ぎる死。

亡くなった二子山親方(元大関・貴ノ花)が、浪岡という大きな少年をスカウトするために、青森まで足を運んだ時の彼の印象を語っていた。「あれだけ体が大きいのに、つま先に重心がある」と。どんなスポーツでもそれは大切なことなんだよね。

酒豪だし、藤島部屋独特の激しい稽古で、心臓肥大になっていたかもしれない。自分の子供の頃のアイドルでもある、天国の二子山親方に聞きたい。「貴ノ浪に本気で相撲を教えましたか」と。貴ノ浪の断髪式の時、親方が重い病状の中、愛弟子のために必死で土俵に上がる姿が眼に焼きついて離れない。あの時、親方はどんな思いだったのだろう?

ご存知のように親方の息子は若貴兄弟。才能ではあの貴乃花さえも凌ぐ部分を持っていた事は、親方が最も良く知っているはず。貴ノ浪の脇は甘いが、勝つ時は豪快な取り口を親方は「彼の個性」と表現した。ただもう一歩、立ち合いに強い踏み込みがあったならと思わずにはいられない。

貴ノ浪は押し相撲の力士が苦手だった。曙などに喉を付かれると、露骨に嫌がり、顔を背けてしまっていた。曙貴、武蔵丸の熾烈な時代の中でも上手さえ取れば、彼が一番強かったのではないか。

大横綱の器だった。素質の割には成績は残せなかったかもしれない。しかし、彼にしかできない豪快な相撲、そして優しい人柄を相撲ファンは忘れないだろう。さようなら貴ノ浪関。さようなら浪岡君。
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