ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(22)

2017-05-21 21:33:46 | Weblog
その夜、先生は上機嫌だった。
「さおりはワンランク、レベルが上がった。あんな演歌の歌詞のような将棋が指せるんだな」
「演歌の歌詞ですか?」
「うん。耐えて、しのんで、やがて大きな花が咲く」
「はあ。でも確かに耐えるのはきついです。勝てたとはいえ」
「だけどね、今日の早田戦で、さおりの将棋の幅が広がったのは間違いない」
「本当に身についたんですかね?」
私にはその自信がない。
「負けていたらともかく、勝ったという事実が大きいんだよ。忘れたつもりでも、脳が覚えてると思うよ」
「最終局はまた今日のような将棋を指すか、普段のように攻めるか、まだ迷ってます」
「まあな。どちらがいいかは俺にも分からん。自分自身で決めることだよ。でも、その迷いは無駄にならないと思うけどね。負けたら負けたで、また取り返せばいい。その代わり、もうしばらく、この家から通うことになるけどな」
「結局、そこに話を持っていくんですね」

私は不満だった。先生は私が負けることを望んでいるのだろうか?どちらにしても次の第5局で決着だ。
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駒花(21)

2017-05-21 07:40:56 | Weblog
私は4局目までの数日間、過去の早田さんの棋譜、特に自分との対局を徹底的に見直した。繰り返し見ているうちに、気がついた事があった。自分から駒をぶつけにいった時は、大概、負けているのだ。攻め将棋の私は、相手よりも早く仕掛けることで、優位に立とうとする。それで7割方、成功するのだが、早田さんとの対局は例外だった。

迎えた第4局、私は早田さんに先に仕掛けさせる事にエネルギーを注いだ。駒をぶつけたい心を必死に抑える。早田さんも仕掛けてこない。私はあえて、相手に攻めを呼び込むような手を指した。やはり、早田さんは仕掛けてきた。この攻めをしのげるか否かが、勝敗に直結する気配だった。慣れない凌ぐ将棋。気性もあるのだろうが、受けるのはあまり好きではない。

私は苦手な我慢の将棋を、その場、その場の受けの最善手を探し、指し続けた。次第に手元にたまっていく駒。早田さんは駒損を承知で、私の陣形を乱しにかかる。強風に煽られて、せっかくセットした髪の毛が台無しになった気分。しかし、その風は次第に弱まった。私の玉は辛うじて息をしていた。

自玉の安全を確認し、いよいよ反撃にかかる。力強く、敵陣に飛車を打ち込む。その瞬間、早田さんは気力が失せたような顔をした。飛車はすぐに龍となり、強力な攻撃の起点となった。そして豊富に手にした歩を早田陣に叩く。玉に張り付いていた金をはがし,上ずらせる。孤立した玉に、私の攻め駒は殺到した。そして、たまらず早田さんは投了した。
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