ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(24)

2017-05-22 21:32:20 | Weblog
感想戦の最中、早田さんはぽつりと言った。「先に仕掛けてくるとは思わなかった」と。前局と同じように、彼女が仕掛ける展開を想定していた。結果的に研究熱心な早田さんの裏を掻くことに成功したようだった。

翌日、地方でタイトル戦の解説の仕事を終え、先生が帰ってきた。私の顔を見るなり、「おお、おめでとう」と静かに言った。先生に合わせて、私も抑えたトーンで「ありがとうございます」と答えた。
「結局、さおりは攻めることを選んだ訳か」
「はい」
「確かに菜緒ちゃんは将棋が強い。めっぽう強い。しかし、さおりは勝負に強い」
先生はまだ解説者気分が抜けていないのかもしれない。これまでのタイトル戦では、私が勝っても負けても、大きな声で興奮気味に話す人なのに、今日は冷静である。いや、冷静を装っているのだろうか?どちらにしても、私がもうすぐこの家を出て行くことと関連はあるのだろう。
「さおり、今日はデパートにでも行くか?」
「いいですけど」
「何でも買ってあげるよ」
「何でも?」
「ああ」
先生夫妻と私は、身支度を整え、玄関を出た。私が先生の車の後部座席に向かうと「今日はさおりが助手席に乗りなさい」と先生は指で示しながら言った。
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駒花(23)

2017-05-22 08:20:32 | Weblog
最終局の当日、盤を前にしても私の心はまだ決まらなかった。第4局で成功した守りの将棋を続けるか、自分本来の攻め将棋で指すか?対局10分前。早田さんはまだ現れない。スポンサーが呉服店ということで、天女戦は着物での対局が恒例である。赤い振袖姿の私は、しばらく目を閉じた。その一分程度の瞑想で心の揺れは止まった。流れのままに。状況によって攻めるか、守るかはおのずと決まる。

早田さんが対局室に現れ、振り駒の結果、私が先手となった。比較的、早い進行で進み、昼食前、私は仕掛けた。早田陣に駒をぶつけていったのだ。ここから、早田さんの手が止まる事が多くなった。午後に入っても、私は迷いなく攻め続ける。終盤に突入した頃、持ち時間3時間のうち、私はまだ1時間程度残していた。それに対し、早田さんの残り時間は20分を切った。私は盤上に加え、時間でも早田さんを攻め込む事を意識した。

終盤に入っても、形勢にさほど大きな差はなかった。私がやや優位という程度だったが、残り時間が5分を切ったあたりから、早田さんがミスを続けた。長考したい場面が続いたが、もはやその時間がなかった。早田陣は総崩れとなり、私は勝利した。私の天女戦3連覇が確定した。
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駒花(22)

2017-05-21 21:33:46 | Weblog
その夜、先生は上機嫌だった。
「さおりはワンランク、レベルが上がった。あんな演歌の歌詞のような将棋が指せるんだな」
「演歌の歌詞ですか?」
「うん。耐えて、しのんで、やがて大きな花が咲く」
「はあ。でも確かに耐えるのはきついです。勝てたとはいえ」
「だけどね、今日の早田戦で、さおりの将棋の幅が広がったのは間違いない」
「本当に身についたんですかね?」
私にはその自信がない。
「負けていたらともかく、勝ったという事実が大きいんだよ。忘れたつもりでも、脳が覚えてると思うよ」
「最終局はまた今日のような将棋を指すか、普段のように攻めるか、まだ迷ってます」
「まあな。どちらがいいかは俺にも分からん。自分自身で決めることだよ。でも、その迷いは無駄にならないと思うけどね。負けたら負けたで、また取り返せばいい。その代わり、もうしばらく、この家から通うことになるけどな」
「結局、そこに話を持っていくんですね」

私は不満だった。先生は私が負けることを望んでいるのだろうか?どちらにしても次の第5局で決着だ。
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駒花(21)

2017-05-21 07:40:56 | Weblog
私は4局目までの数日間、過去の早田さんの棋譜、特に自分との対局を徹底的に見直した。繰り返し見ているうちに、気がついた事があった。自分から駒をぶつけにいった時は、大概、負けているのだ。攻め将棋の私は、相手よりも早く仕掛けることで、優位に立とうとする。それで7割方、成功するのだが、早田さんとの対局は例外だった。

迎えた第4局、私は早田さんに先に仕掛けさせる事にエネルギーを注いだ。駒をぶつけたい心を必死に抑える。早田さんも仕掛けてこない。私はあえて、相手に攻めを呼び込むような手を指した。やはり、早田さんは仕掛けてきた。この攻めをしのげるか否かが、勝敗に直結する気配だった。慣れない凌ぐ将棋。気性もあるのだろうが、受けるのはあまり好きではない。

私は苦手な我慢の将棋を、その場、その場の受けの最善手を探し、指し続けた。次第に手元にたまっていく駒。早田さんは駒損を承知で、私の陣形を乱しにかかる。強風に煽られて、せっかくセットした髪の毛が台無しになった気分。しかし、その風は次第に弱まった。私の玉は辛うじて息をしていた。

自玉の安全を確認し、いよいよ反撃にかかる。力強く、敵陣に飛車を打ち込む。その瞬間、早田さんは気力が失せたような顔をした。飛車はすぐに龍となり、強力な攻撃の起点となった。そして豊富に手にした歩を早田陣に叩く。玉に張り付いていた金をはがし,上ずらせる。孤立した玉に、私の攻め駒は殺到した。そして、たまらず早田さんは投了した。
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駒花(20)

2017-05-20 22:04:08 | Weblog
しかし、結果は先生の予測が外れた。勝者が天女戦の挑戦者となる一戦で、菜緒は百戦錬磨の早田さんの術中にはまり、敗れた。

私は少し、気が抜けた。勿論、早田さんの実力は一流だ。対戦成績でも負け越している。それでも、彼女から天女のタイトルを奪って以降、精神的に、自分が優位に立ったという感触があるのは確かだった。やはり、菜緒と比較すれば、組みし易しとの思いは抑えようがなかった。それを見透かして、「今のままじゃ、おまえは負ける。よって卒業後もここで暮らすことになる。親御さんも安心するだろう」と先生は私を叱咤したい気分だったのだろう。当然、私も気を引き締めて天女戦に挑んだつもりだった。

しかし、フタを開けてみれば、初戦こそ、勝利したものの、2局目、3局目と連敗。私は土俵際に追い込まれた。王手をかけられたその日、先生の部屋に呼ばれた。そして「さおり。いったん、菜緒ちゃんの事は忘れて、早田さんの将棋と向き合わないと駄目だよ。まあ、負けるのもいい薬になるけどな」と突き放された。菜緒の才能を恐れるあまり、他の棋士と戦っている時でも、どこかで彼女のことを考えているという悪い癖がついてしまっていた。先生はそれを見透かしていた。
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駒花(19)

2017-05-20 07:53:45 | Weblog
その翌年、予想していた事だが、菜緒が女流三冠タイトルのひとつである、桜花のタイトルを奪取した。高校1年、16歳の誕生日を前にしての初タイトルだった。これで、女流三冠といわれる大きなタイトルのうち、2つを10代の若手が占めることになり、女流棋界では「世代交代」という言葉が目立って飛び交うようになった。

私はといえば、2年前に獲得した天女のタイトルを、昨年は防衛に成功。この年は3連覇がかかっていた。高3になってから「卒業したら一人暮らしをしたい」と先生夫妻に申し出た。奥さんは賛成してくれたが、森村先生は強く反対した。「俺はね、親御さんから、大切な娘を預かっているんだ。せめて未成年の間はここにいなさい」と。その態度は、この数ヶ月、全く揺らぐことはなかった。

しかし、秋になってから「俺もさおりに嫌われるのはご免だよ。それほどまでに言うなら、卒業後は自由にするのもいいだろう。ただし、条件はあるよ。次の天女戦、これに勝てば一人暮らしを認めよう」。現在、天女戦予選でベテランの早田女流四段と、桜花のタイトルを取り、日の出の勢いの菜緒が激しくしのぎを削っていた。先生は菜緒が挑戦してくると予測しているようだ。一人暮らしをモチベーションにして彼女を倒してみろという激なのだろう。力以上のものを出さないと矢沢菜緒には勝てない。これが先生と私の共通認識だった。










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駒花(18)

2017-05-19 22:00:51 | Weblog
菜緒も同じ思いを抱いていたのだろうか?つまり私をライバルとして見ていたとしたら、それは光栄だ。その雑誌が掲載された直後の研究会で、私に対する態度が変わったように感じた。特に対局の途中で、菜緒が指した手に対して質問した時などは、あからさまに不快な表情で、手の内を隠す言葉を並べた。

その後、2,3回、研究会は開かれたが、8月ごろ「受験生なので」との言葉を残し、菜緒は先生宅を訪れなくなり、この集いは消滅した。確かに菜緒は中学3年なのだ。それでも、この砂上の集まりにも、私にとっては意味があった。菜緒の将棋の内部をかなり理解できたのだ。だから勝てるという訳ではない。むしろ、想像以上の彼女の才能、スケールの大きさを見せ付けられ、菜緒を倒す困難さをより感じている。しかし、それこそ最大の収穫なのだ。並大抵の努力では、私は菜緒に歯が立たなくなるという事が、はっきりと分かったのだ。
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駒花(17)

2017-05-19 08:20:53 | Weblog
初めての研究会からひと月ほどたった。すでに3回、私と菜緒は森村先生宅で顔を合わせた。前回は先生が対局の日で、兄弟子に代役を務めてもらった。、しかしその後、徐々に研究会の存在は薄れていった。

もしかしたら、あの事が原因だったのかもしれない。梅雨が近いのか、雲の重たい日だった。先生があわただしく帰ってきた。私は自室のベッドでくつろいでいたところ、奥さんが「何だか、あの人がさおりちゃん呼んで来い、呼んで来いってうるさくって」と困り顔をしていた。仕方なく、私は先生がいるであろう、一階のリビングへ向かう。

先生は同じ雑誌を並べて、しまりがないというか、およそ勝負師とは思えない顔をしていた。
「おお、さおり」
「先生、どうしたんですか?同じ雑誌ばかり並べて」
将棋専門誌ではなく、一般週刊誌のようだ。
「この人、いよいよ、おかしくなっちゃったみたいなの?」
奥さんが口を挟む。
「いいだろ、この写真」
先生のまなざしは優しかった。その視線の先には私の写真。その上に「天才美少女棋士現る」と恥ずかしくなるような文字が踊っている。
「何で、こんなに。5冊も6冊も」
「静岡のご両親にも送ってあげないと」
「べつに、静岡にだってこの雑誌はあります」
「よく取れてるじゃないか。やっぱり、さおりは色が白くて美人だなあ」
「これモノクロ記事だからじゃないですか?」

そんな写真よりも、私のインタビュー記事が問題だったのかもしれない。普段の取材で「ライバルは?」と聞かれれば、月並みに「自分自身です」と答えていたのだが、ここではその問いに対し、なぜか本音を吐露していた。

「ライバルは矢沢菜緒さんです。彼女は2つ年下ですが、凄く強くて。でも、負けたくありません」






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駒花(16)

2017-05-18 21:55:42 | Weblog
研究会が終り、菜緒ら3人を見送りに、先生と私が外へ出た時には、すでに日は大きく西に傾いていた。菜緒を真ん中にして、3人が賑やかに夕陽に向かって歩いていく。先生はその背中に「気をつけて帰るんだよ」と声をかけると「は~い」と楽しそうな声で返してくる。少しずつ3人の背中が小さくなる。先生が大きな声で「そこ、突き当たったら左な」と言う。彼女たちは素直に返事をしていたが、私は「ここへ来たということは、返る方向もわかってると思いますけど」と少し呆れ混じりに言った。「お前は可愛くないね。さあ、そろそろ家に入ろう」と私を促した。

この日の夕食後、私はのんびりとした雰囲気の中で、先生に駒落ちで指導してもらっていた。本当に今日は将棋漬けだ。
「お前が何故そこまで、菜緒ちゃんを強く意識していたのかよく分かったよ。痛いぐらいに」
「どうでしたか?菜緒と対局してみて」
「さおりも天才だと思うよ。ただ、菜緒ちゃんは女流の域を超えている。彼女なら男子プロの卵の中に混じっても、ひょっとしたら、ひょっとするんじゃないかな」
「四段になれるという事ですか?」
「ああ。可能性はあると思う。それくらい大きなものを感じる」
「私は諦めて2番手を目指すしかないんですかね」
自分でも冗談なのか、本気なのかよく分からなかった。

「俺がそうはさせない。さおりと菜緒ちゃんがライバルとして並び立つよう、おまえを強くするよ」
私は努めて笑みを浮かべていたのだが、いつの間にか涙がこぼれていた。
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駒花(15)

2017-05-18 07:19:25 | Weblog
すでに私と菜緒は盤を挟んで向き合っている。隣では森村先生が、桜井さんと平田さん二人を相手に、角落ちで指導していた。

途中まではすらすらと手数が進み、5分程度、菜緒が考えて指した手が意外だった。はっきり言って悪手だと思った。私は菜緒の顔を覗き込んだ。菜緒は微笑んでいる。先生もそれを見ていたようで「う~ん」と唸りながら首をひねった。まだ中盤だったが、私はここを勝機と捉え、攻めに転じた。

それから数十手進み、私は菜緒が優勢になったことを自覚した。どこがいけなかったのか自問自答するが分からない。菜緒は力強い手つきで私の陣形を崩していく。

「負けました」
私は頭を下げた。菜緒もそれに応じて頭を下げる。先生が菜緒が疑問手を指したところに戻すように指示した。
「正直、この手は分からないなあ、菜緒ちゃん」
私も先生と同じ気持ちだ。菜緒が一つ一つ説明していく。「北園さんがこう指した時はこう。こう来たらこう」と言葉にはあどけなさが残るのだが、その声を聞きながら、私は青ざめていた。その読みの深さに。感性の鋭さに。
「なるほどねえ。菜緒ちゃんは凄い。さおりもウカウカしてられないな」
先生の声は明るかった。私の落胆を和らげようとするかのように。
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