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ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(32)

2017-05-26 21:02:09 | 小説
感想戦の麻衣さんは、穏やかだった。私も平静を装っていたつもりだが、自分の声が震えているのに気付いた。観戦記者やカメラマンがなだれ込んできた。私は麻衣さんを破り、女流名王を獲得したことについて聞かれると「まだ実感が湧きません。山崎さんに勝ったことも、女流名王を獲得したことも」というような受け応えが精一杯だった。

私に向けられていた目線やマイクの矛先が麻衣さんに移る。「残念な結果になりましたが」「敗因は?」「北園さんについて一言」と矢継ぎ早に質問が飛んだ。麻衣さんはやはり穏やかだった。「力は出し切れましたので悔いはないです」「力負けです」「ここ1,2年で急激に強くなった印象があります」とひとつひとつ丁寧に答えていた。私に対する感想を述べている時、麻衣さんがこちらに目線を向けた。少し笑ったように見えた。

先生には電話で報告した。彼は興奮していて、何を言っても仕方のない状態だったので「後で伺います」とだけ伝え、電話を切った。

駒花(31)

2017-05-26 08:23:19 | 小説
優位という感覚に間違いはなかった。指し手が進むごとに、私の優勢が明るみになっていく。私は大福を完食し、コーヒーも飲み干した。麻衣さんはロールケーキには手をつけることなく、盤上を見つめ続けている。「さおりちゃん、ロールケーキ、食べてもいいよ」。遠い記憶の中で、麻衣さんの優しい声が聞こえたような気がした。

もはや、誰の目から見ても私の優勢は明らかだった。普段、投了が早いことで知られる麻衣さんが、こうした局面まで指すのは珍しかった。いや、私の知る限りでは、負けがはっきりしたにもかかわらず、投げようとしない彼女は記憶にない。私は少し不安になった。まだどこかに逆転の筋があるのだろうか。しかし、何度見返しても勝負は決している。麻衣さんは持ち時間を使いきった。私の駒たちが麻衣さんの玉の周りを躍動しながら取り囲む。記録係の声が響く。50秒、1,2,3,4、5,6,7。「負けました」麻衣さんが駒台に手を置き、頭を下げた。ついに私は山崎麻衣から女流名王の座を奪った。しばらく二人で、盤上を眺めていた。幸せな時間だった。