連続殺人犯の事件の話、かと思ったら実はその家族の物語でした。
殺人のシーンは、実はほんの一部だけ。映画の大半は家族の日常風景だったりします。

ただ、この家族。両親と息子二人(兄は妻子あり)というごく普通の家族構成のはずなのに、どこか雰囲気が変。
観ていると、家族の食事がおかしいのです。
いつも食べてるのは、昨日のピザの残りだったり、買ってきたコンビニ弁当だったり、カップラーメンだったりと、お母さんの作った料理を囲むシーンはひとつもないのです。
外食シーンもあるのですが、これまた気まずい雰囲気の中で食べてたり。
もうここから、この家族は根底が壊れているなと予想させるのです。
日常風景を映しているはずなのに、どのシーンもなんともいえず居心地の悪さを感じさせます。
また、殺人を犯して死刑囚になった息子(←冒頭で明かされるのでネタバレでもなんでもありません
)と獄中結婚した女性も現れて、居心地の悪さ満点です。
死刑囚と結婚したこの女性の言い分もわからないでもないけれど、それでもこの人に共感できないのは、やはりこの女性がある種自己満足でやっているからなんだろうと思うからなんでしょうか。

この家族がこうなった元凶は、すべて三浦友和演じる父親だということは否定できないでしょう。
父親は、自分で思い描く“理想の家族”というものを追い求めすぎて、それが家族を抑圧していることに自分で気が付きません。
なので、途中で彼が叫ぶ「俺が一体、何をした!」(←キャッチコピーにもなってる)という台詞が、絶望的に響くのです。
この家族は一人ひとり、少しずつ壊れていき、悲劇的な結末を迎えるのですが、途中途中に(ここで、この人がもう少し違う言動をとっていれば、修復されたかもしれないのに)と思えるシーンがいくつもあります。
息子が小さい頃この家を購入した時の映像と、現在の家との対比があまりにもせつないです。
ちなみに、出来のいい兄役の新井浩文さんは、この映画の元になった舞台版では殺人犯の弟役を演じているそうです。
正反対の役どころなのに、どちらにも合うなぁ~と思わせる新井さんはやっぱりすごい。
父親役の三浦友和さんは、かつての青春スターだった面影を(←いつの話だよ!
)ちらりとも感じさせないほど、鬼気迫るものがありました。
再見したくはないけれど(←おい)、再見したらまた違った発見があるのではないかと思った次第です
殺人のシーンは、実はほんの一部だけ。映画の大半は家族の日常風景だったりします。

ただ、この家族。両親と息子二人(兄は妻子あり)というごく普通の家族構成のはずなのに、どこか雰囲気が変。
観ていると、家族の食事がおかしいのです。
いつも食べてるのは、昨日のピザの残りだったり、買ってきたコンビニ弁当だったり、カップラーメンだったりと、お母さんの作った料理を囲むシーンはひとつもないのです。
外食シーンもあるのですが、これまた気まずい雰囲気の中で食べてたり。
もうここから、この家族は根底が壊れているなと予想させるのです。
日常風景を映しているはずなのに、どのシーンもなんともいえず居心地の悪さを感じさせます。
また、殺人を犯して死刑囚になった息子(←冒頭で明かされるのでネタバレでもなんでもありません

死刑囚と結婚したこの女性の言い分もわからないでもないけれど、それでもこの人に共感できないのは、やはりこの女性がある種自己満足でやっているからなんだろうと思うからなんでしょうか。

この家族がこうなった元凶は、すべて三浦友和演じる父親だということは否定できないでしょう。
父親は、自分で思い描く“理想の家族”というものを追い求めすぎて、それが家族を抑圧していることに自分で気が付きません。
なので、途中で彼が叫ぶ「俺が一体、何をした!」(←キャッチコピーにもなってる)という台詞が、絶望的に響くのです。
この家族は一人ひとり、少しずつ壊れていき、悲劇的な結末を迎えるのですが、途中途中に(ここで、この人がもう少し違う言動をとっていれば、修復されたかもしれないのに)と思えるシーンがいくつもあります。
息子が小さい頃この家を購入した時の映像と、現在の家との対比があまりにもせつないです。
ちなみに、出来のいい兄役の新井浩文さんは、この映画の元になった舞台版では殺人犯の弟役を演じているそうです。
正反対の役どころなのに、どちらにも合うなぁ~と思わせる新井さんはやっぱりすごい。
父親役の三浦友和さんは、かつての青春スターだった面影を(←いつの話だよ!

再見したくはないけれど(←おい)、再見したらまた違った発見があるのではないかと思った次第です
