住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

泥舟・解散

2009年07月22日 | 日記
 
 麻生首相は任期切れ間近になって、7月21日衆議院を解散した。 この解散を成田憲彦氏(駿河台大学長、元首相秘書官)は、『泥舟解散』 と名づけた。 彼は、細川さんの秘書官だったそうなので、あるいは現政権に批判的な立場であるのかもしれません。

 泥舟とは、童話「カチカチ山」 において、悪い狸がおじいさんの作った作物を横取りしたり、石を投げつけたり、そして捕まえた狸にだまされて、縄を解いて自由にしたおばあさんを撲殺したり、そのおばあさんを食べてしまったりと、悪行の限りを尽くしました。 
それを聞いた白うさぎは、とてもかわいそうに思い、悪い狸を、ひどい眼にあわせることにしました。 柴を担がせ、背中に火をつけ、やけどに唐辛子を塗りこみ、最後には泥舟に乗せて、溺れさせてしまうものです。
**青空文庫・ http://www.aozora.gr.jp/cards/000329/files/18377_11982.html ***



 これを読み解くと、 自民党=悪狸、国民=おじいさん、おばあさん、民主党=白うさぎ、大体のキャストはこれで納得できるのですが、 ダニ的官僚はどこに嵌るのでしょう。 狸をあやつる狐でも登場しないことには、話は落ち着きません。
『青空文庫』とは、著作権の消えた名作をネット上に載せ、誰にでも読めるようにしたものですが、小林多喜二の蟹工船、夏目漱石の坊ちゃん、福沢諭吉の学問のすすめなどの国内物から、グリム童話集など一部国外の物もあります。
私の場合、“いますぐXHTML版で読む” で、ダウンロードし読んでいます。


 小林多喜二の蟹工船が、リバイバルで40万部が売れたとか、共産党入党者が増えたとか、マスコミで取り上げられているが、彼について調べてみると、やはりというか悲惨な体験をして亡くなっていることが分かる。
しかし、今の時代の共感を得るということは、何処か遠い世界の出来事ではなく、身近に同じような、あるいは似たような、貧困状況があるからだろう。  一億総中流社会から一転、コイヅミ氏以降格差社会へと転がりだした日本、なにやら戦前の怖い時代が迫っているような感じがする。

 結局、彼は特別高等警察(特高)にその作品の拷問描写から、憤怒を買い拷問死させられることとなった。 (ウィキによる記事)の要約を少し続けるが、特高係長中川成夫の指揮の下、寒中丸裸にし、須田と山口が握り太のステッキで打ってかかった。 翌日遺族に返された遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、下半身は内出血でどす黒く腫れ上がっていた。 そして、特高を恐れて、どの病院でも解剖を断ったとある。  なお、小林多喜二死亡時の責任者は、特別警察部長安倍源基、その部下であった特高課長毛利基、警部中川成夫、警部山県為三の三人が直接手を下している。

 裸で、大騒ぎをした『草薙』君、 警察が家宅捜索を行ったの意味が、いまだ私には理解できないし、これってこれからの政治犯への対応の準備? 警察だけでなく裁判所の許可が出なければ、出来ないはずだし・・・・・。 法的には知りませんが、一市民として納得できないものがあります。 裁判所が軽くなった表われとも思えます。 国策捜査の疑念もわいている現在、 これも国策捜査・・・? 


おかしいと思ったことを、おかしいと言える日本。  政権の癒着は、政権交代で、内部情報をさらすのが、ベターという結論である。

今週のローラチャン

2009年07月21日 | 綺麗所



憲法第7条により、住い塾・21を、解散する !!

と子供の前で、宣言した。
「カッコ ワリー ! 」
と一蹴された。
それほどの会社でもなかった。  アーメン


冗談はさておき、今日衆議院が解散を宣言した。
アメリカの金融工学。  何も難しくは無い。
上澄みをかき集めて、 其の中から、いかに正当な理由を掲げて自分を正当化するか。
其の一点に集約される、選民思想につながる資本原理主義。 要するに、地球に
存するもの全て、動物も、植物も、神が選ばれたものの為に、用意してくれたも
のという理である。
だから、彼等以外のものに気を使う必要は無い、根本的理念がこれである。


日本でも、この理念を新しいものとして歓迎する人も居るし、政治家にも居る。
中国で、あれほど乱暴狼藉を働いた日本人の、捨て子を、拾い育てた中国の人々。
南京虐殺があったかも知らん、無かったかも知らん。
そして、満州に勢力を伸ばし、我先に逃げ帰った関東軍。 歴史の書を紐解けば
関東軍の腰抜け振りと、狼藉振りが申し訳ないと思う心を”さらに”揺るがすば
かりである。

本来の、というか昔からの『慈しみの心』は、アメリカの国債金融資本の対極に
位置する東南アジアの、根本的思想というべきであろう。
それは、仏教に根ざすものかも知らん、あるいは農耕民族に根づく共生の心かも
知らん。


もっと複雑な見方もあるやに思う。 しかし、今の社会を見るに、狩猟民族のア
ングロサクソンに飲み込まれるか、アングロサクソンを包容力で包み込むことが
出来るか、アジアの共生主義。
日本が、アジアの先頭に立って、波風を防がなければ、何処の国がアジアの為に、
身をさらす事ができるのか。
日本の政治家で、使いべりのしない、耐久力のある政治家はいるのか・・・・・。
その辺のところを、選挙する人には意識して、投票して戴きたいとおもう。

郵政民営化と13兆円

2009年07月20日 | 日記



これは何の物的証拠も、確かな報道も無く、フィクションと思って読んで戴いて結構です。

イタリア警察から13兆円分の米国債を持った、外務省職員が拘束された事件は、米国債が偽造国債ということで、以降報道が出なくなった。
だが実は、これは本物でコイヅミタケナカ両氏に、アメリカ側から郵政民営化を進めた『オダチン』の原資であった。 これを、スイスに持ち込み担保にして、3兆円を日本に送金する手はずであった。 そして、コイヅミ氏に一兆円、残りはタクナカ氏に行く手はずであった。

前段に世界の経済状態を説明すれば、 世界は米ドル一極支配から、多極化に移行するのは、誰が見ても時間の問題であった。 フセインは、アメリカの独善に嫌気が指し、当時のブッシュに石油売買代金を、ユーロも認めることをほのめかした。そして、身柄を拘束され形ばかりの裁判で死刑に処された。 いつか、その歴史は見直されブッシュは糾弾されるだろう。

そんな事で、ドルを世界にばら撒きすぎたアメリカは、貨幣が多極化すれば破綻する可能性が大きいので、一分でも、一時間でも遅らせる必要があった。 今もその事情に変わりは無い。
辛くも、サブプライムローン破綻で明らかになったがアメリカ経済の内情は、其の前から、救いの手を日本の郵政資金、340兆円に頼っていたのである。だが、日本は言論の自由が有り、まだ教育も比較的平等に行き届いているおかげで、其のカラクリを大勢の人が、見破ってしまっていた。

そして、郵政資金がアメリカに渡る前に、リーマン、GM、他多くの企業と銀行が倒産の憂き目に有った。 カァリホルニア州までもが。 これは所謂、日本の郵政資金が間に合わなかったからである。 もし、外資に郵政の株が買い取られ、国際金融によって運用されていれば、日本の損失は現状の比では無かったはずである。
しかし、日本人が賢いか、ばかか、「ありこ保険」がリトマス紙であろう。 本家の「AIG」が明日国営化されるか、あさって倒産するかというこの時期の、まだ、金を集めているようである。 新たに入る人って居るの?

結局、国際金融資本の内部に、意見のまとまりが付かず。イタリア警察に日本人とアメリカ国債の情報が、内通されたのだろう。 国際金融が企てたカラクリは、憶測が憶測を呼び、ドルの破綻を早めているような気がする。

ブログ・ランキング

2009年07月20日 | 日記
何処かで、ブロガー人口が2600万人に達したと言う記事を見た。
日本総人口12000万人5人に一人くらいにあたる。
まあ、一人でいくつか書いている人も居るので、実数はもっと下がって
くるだろう。

今日も飽きずにここを訪れてくれた人々に、感謝いたします。
自分の編集画面を見ると、毎日の訪問者数が表示されている。
このまま順調に、訪問者が増えていくと自分を見失うところであった。

小沢氏の献金問題を例にとれば、あの視聴料を取っている『NHK』で
さえも偏向報道があり、資本至上主義社会で民間は、スポンサーの意に沿った
報道をせざるを得ない状況となっている。 ブロガーの心を、プロバイダ
ーの思う通りに動かす事など造作も無い事、訪問者数も実数は、分かった
ものではない。 余り訪問者数にこだわらない様にしよう。

ついでに、思いついたので簡単に、民間の山形のテレビ局の色分けを試みて
みよう。 私は、それぞれにフィルターをかけて見ている。
  NHK ・・・・・政権与党
  YBC ・・・・・読売新聞、日本テレビ
  TUY ・・・・・朝日新聞、テレビ朝日
  YTS ・・・・・毎日新聞、東京放送
  SAY ・・・・・産経新聞、フジテレビ
クロス放送と言うか、山形の場合放送局が全部資本でつながっている
と思われるので、必ずしもはっきりと色分けできない場合がある。 
そして、誤って記憶しているかもしれないので、読んだ後は忘れて
ください。

世に言うところの、『薬』というものは自律神経を元に戻す為に、欠かせない
ものであるが、取りすぎると『毒』にもなる。
ブログも、内容の真実性を見極め、毒にするか、薬にするかは、読者の心がけ
にかかっている。          ちゅーーーーす 、Bye 。


あーーそれから、植草先生、今日当たりから麦飯になるのかな?
出てきたら、新たな視点に期待しています。  

一番住みたい県は山形県

2009年07月19日 | 日記
 一番住みたい国は、日本。

そんな、思いを胸に抱きながら生きてきた。
自分の、あるいは自分の閨閥のみの利を、計らんとするものは、天罰を受ける。
資本原理主義が横行する現状においては、国際金融に国ごとひっくり返されてしまう。
大きな眼と、信念に支えられた日本丸の船長が望まれる。


ーーーー人口の減少県の推移ーーーー
  1947~50年   1
  1950~55年   7
  1955~60年   26
  1960~65年   25
  1965~70年   20
  1970~75年   5
  1975~80年   0
  1980~85年   1
  1985~90年   18
  1990~95年   13
  1995~00年   24
  2000~05年   32
これは人口が流出した都道府県の数であり、人数をあらわしているものではない。
年配の方ならこれが示す意味を御分かりでしょう。
1955~70年の時代は、それこそ我が国の経済も行け行けドンドンの時期であり、
都市部の人手不足を解消するため、都市部で働くために人口の大きな移動が続いた。
ところが、1985~現在に至る都市部への人口の集中は、・・・・
ーーーここまで、ヤフー掲示板より、データ確認はしてませんーーー


これに対しては、いろんな論評が有るでしょうが、地方では働き手の流出、廃村、
都会では貧困格差の拡大、そして、地方と都会では益々、生活格差が大きくなる。
政治の無策、もっといえばトヨタ、キャノンに代表される大企業の方に、政治家の顔が向いて
いる、国全体のことを考える頭を持った人が居なくなったという事ですか?


かつての、歴史の中ではこんなときに現われたのが、かくかくしかじか・・・。


住宅の哲学

2009年07月18日 | 住宅関係
 衣装に哲学があるように、住宅にも哲学がある。 
ソクラテスやカントを期待して訪れた方には残念であるが、私は観念的な論を好まないので、ここでは、哲学を真理の学問と定義したい。

 住宅の必要性は、人間の体が自然に対して余りにも無防備であるために起こることであるし、それは外敵に対しても安全に休息をとることが出来るようにそれなりの、丈夫さを有してなければならない。
分かりやすい言葉なので、政治の世界でよく取り上げ使われる、『安心』『安全』ということである。

 政治的な誘導か、経済的な誘導か、どちらも含まれてそうなったのだろうが、現在の家族形態は核家族を良しとして、社会が構成されている。 経済的には、その方が物は動くし、貨幣も動くので、なんとなく便利なような気はするが、それは本来人間が継承してきた文化、習慣、経験の継続を絶つ役割を促進している。 
そしてその核家族化が進んだ国ほど、国民はバラバラになり価値判断基準がすべて金銭で置き換わるようになる。 金銭で世の中を見るのではなく、善意で物事を計るように、生まれたばかりの赤ちゃんは、ご年配の人に喜びと生きる勇気を与えるし、子供たちは出来る範囲のお手伝いをし、青年たちは新しいことにチャレンジする。 そして、年配の人はその人が身につけた仕事をすれば、その個々人の役割、励ましあいとかで有機体として機能すると思われる。 かつての、東南アジア系住民はそれが普通であったのだろう。

幾世代か同居することによって、精神的には核家族のように自由奔放には行動出来ないので、お互い譲り合いをしなければ、一家を維持することが難しい。
戦前の、家族主義のように家長が全てを決める時代でもないし、家族がNOを突きつけることも許されない時代でもない。 お互いが少しずつ譲り合う心を復活させるうまい方法を考えたいものだ。

 現在の建築士の制度にもいろんな問題が内包されているが、最も矛盾をはらんでいるのが、そのクラス分けだろう。 職業訓練校卒でも、東京大学建築学科卒でも、その制度上では合格すればどちらも一級建築士である。
社会の需要によって、合格する難易度が違うこともあったので能力の違いは止む得えないが、その技術力はピンキリである。 かつての「アネハ事件」のこともあり、ますますその資格の内容は複雑多岐に進んでいる。 
ダニ公務員が天下りし、その複雑多岐の隅々まで講習を義務付け、講習会費を給与に充てんが為、複雑さを解消したくないと言う思いもあるのだろうか?
そして、確認申請で問題が出れば逃げまくり、結局責任者は居ないことになる。
国民目線ではなくて、退職金目線で勤め上げようとしているナサケナイ人が多い。

 本当の、国民の健康と安全は、資本原理主義が跋扈する中でかすんで見えなくなってしまっている。 建築学上からいえば、住宅は奥が深く一言では言えないが、始めに、精神的安寧の状態を保てることが住いの第一条件である。



両院議員総会について

2009年07月18日 | 政治・選挙
 都議選が始まる前麻生首相は、都議会の自民党議員候補者全員を回り、その応援は並々ならぬものであった。 その心意気は、十分進退をかけたものと伺うことが出来た。

結果、敗北と言っていいだろう。 選挙する方には、選挙なんて、私一人が行かなくてもと、教え込まれ、あるいは刷り込まれ、いつのまにか公明党が増長しキャスティングボートを握られ、政治が矮小化され始めている。 国民、県民は、結果を見て考えを改めた方が良いのではないだろうか。 投票率が上がれば、少なくても特定集団の意思が薄められる。

選挙で投票率が下がれば、現状を保とうとするグループと、特定の目的を持った集団が恩恵を受けるのは、論を待たない。
麻生首相の総括(議員総会)に対する一連の発言は、「わたしとしては、そういった場が設定されるのであれば、その場にわたし自身も参加させていただいて」、「わたしの所信、考え方も述べたいと思っていますので」、「この種の話から、話を聞く気はないとか、逃げるとかいうつもりは全くありません」と述べながらも、 議員総会を開かず、懇談会になったことに対して、自民党の役員会で決めたことなので、“私は従う”みたいなことを言っていたが、イニシアチーブはどこにも無い。

 スポーツマンとしての麻生さんは、あの松岡さんの性格に似ているようで好ましいのだが、そして本当の祭りごとの神輿として、真ん中で担がれているだけならば問題は無い。
しかしながら、総理としては国会議員のベクトルを纏めて、国民の意思を纏めて、外交で押し切られないようにしなくてはいけない。 単に、ODAに金を出す、アメリカに金を出す、どこそこに…出す出す出す、だけでは余りにも芸が無い。 それも10兆円とか・・・ん兆円とか。 

そもそも、麻生さんは国内の国民の生活状況を把握してないのではないか?
底辺層は、貯金も無く明日の暮らしを心配し、今日のメシさえもありつけない人が増えている。犯罪の多発もその延長線上にあるのを一向に御理解なされては、居られぬようである。 だから ア○ウ首相と揶揄される。


公務員制度改革について

2009年07月17日 | 政治・選挙
 自民党によって行われた公務員改革の実行性の無さを、声高に訴えるメディアも少なく、自民党に異議を唱え離党した渡辺善美さんも、日を追うごとに忘れ去られるようなので、改めて分かり易く解説してある、ブログを紹介することにします。

     **********
  『ある女子大教授のつぶやき』http://iiaoki.jugem.jp/?eid=3013
 
 日本を会社に例えれば、株主は国民であり、国民から選挙で選出された議員からなる政府という取締役会が、従業員である官僚の人事を支配して経営戦略、即ち国家戦略に沿った最適の配置をすることは当然のことだ。

 官僚が自ら自分たちの身分を保障する官吏制度は明治時代に確立したが、この仕組みはGHQでも変えられず公務員制度と名を変えただけである。各省官房長による天下り斡旋を禁止して、人材バンクに一元化するという案は、しぶとく根付いている年功序列制度の崩壊を含むもので、官僚側には耐えられないものだ。

 官僚にとって幸いなことに麻生内閣ができて、ほぼ官僚側の勝利になったことだ。官僚は政府にいる過去官僚と言われる霞ヶ関上がりの議員をたきつけて、猛烈な抵抗運動を展開した様子は、今年の初めに人事院総裁やそれを受けたうるま官房副長官が前面に出て来たことから、問題のありかを皆が知るところとなった。

 内閣人事局構想ではこの局長ポストは、3人いる官房副長官のうち、官僚上がりの副長官、即ち官僚のトップ中のトップが兼務することで閣議決定されている。もはや改革の名に値しないもので、公務員制度改革は葬り去られてしまった
     **********

 
 公務員改革に関心のある方にもう一つブログを紹介しておきます。
改悪された公務員制度改革 ・・・江田けんじ
http://www.eda-k.net/chokugen/396.html



そば街道・村山市

2009年07月17日 | 直売・食の安全
 私は、そばは余り好きではない。
それは子供時代を、貧乏で育ったから味覚的なことより、精神的なものかも知れない。 蕎麦掻きといえば、ご飯を食べられない家庭を連想するし、そばといえばただゆでた麺を、醤油に付けて食べるだけでおかずは何も無い、そんな食事風景を思い出してしまう。

 ところが、子供はそばが大好きである。 理解に苦しむ。 あるとき川沿いでそば街道のノボリが立って有る店に入った。 はっきりいえばとてもまずかった。 次年子で食べたそばとは雲泥の感じがした。 こういうことは書かない方が良いのでしょうが、精進していただければと思います。
次年子で食べたそばは確か、もう一回食べてもいいかなという認識であったが、蕎麦掻きは、食わず嫌いだった事を後に思い知らされた。
 
蕎麦掻きを、あたたかいうちに納豆、刻みねぎ、醤油で、ある家でご馳走になった味が忘れられない。 他人のうちでご馳走になったからウマイという面もあるかもしれない。 自分で作ろうと思って、そば粉は買うが、作ったことは無い。
何回か買ったそば粉は、いったい何処に・・・・・。

 次年子という地名。 冬には3m積雪の豪雪地帯である。 冬に生まれた子供は、役場に届けに行けないので、次の年になった。 という事から来ているそうであるが、本当かどうか定かではない。 


恐怖政治への道・(権力側のテロリズム)

2009年07月16日 | 政治・選挙
 ロシアに、秘密警察上がりのプーチン大統領が登場してから、この国は、なにやら昔の恐怖政治に向かい始めた。
    ‘06年10月 チェチェン紛争を告発し続けたジャーナリスト、アンナ・ポリ
            トコフスカヤさんが暗殺
    ‘06年11月 元ロシア諜報部員リトヴィネンコ氏が、ポロニウムにて毒殺
    ‘09年 3月 チェチェン共和国カディロフ大統領の政敵、スリム・ヤマダエフ
            氏が、暗殺 
    ‘09年 7月 女性人権活動家のナタリヤ・エステミロワさんが誘拐、銃殺


 今日の、ヤフーニュースでナタリヤさんの暗殺が報じられたことから、記憶に残っている物を拾ってみたが、これは普通に言うところの『氷山の一角』だろう。 ソビエトの時代から、握手した右手より、後ろに隠した左手に注意しなければいけない民族であった。 北朝鮮もほぼ同じ国情であろう。

 日本も、このまま自民党の一党独裁が続けば、戦前のようなあるいは、ロシアや北朝鮮のようになる可能性は否定できない。 其の兆しは現在でも怖いほど見受けられる。 何か、国民に知られてはいけない税金の使い道でもあるのかと、疑わざるを得ない。

 戦前の特高と自民党のM氏などは、DNAがそのまま繋がっている様であるし、戦前に米国を鬼畜米英と日本の世論を形作った人でも、戦後、掌を返したように其の節操の無さをさらけ出した人の末裔も居る。 その受け継がれた『DNA』は簡単に消えるものではない。 国民は、「危ない方向に行きそうだな」と感ぜられたときに、ハンドルを早めに切るよう心がける必要があろう。 「君子危うきに近寄らず」は、何も君子でない、庶民に適用しても悪い事は何も無い。

ハイブリッドカー

2009年07月16日 | 
 トヨタプリウスの販売が好調である。
ビンボー社長にはあまり関係が無いので新車情報は耳に入れないようにしていた。しかし、聞けば半年待ちとか、10ヶ月待ちとかは当たり前らしい。 なんと、有るところには有るもんです。 売り上げはどの程度か調べたくも無いが、エスティマにもハイブリット車が有るようです。
 
 価格376万円~534.4万円   エコ的補助金が何円位か知らないが、どうもお金を持っている人に有利な感じがする。 コレは貧乏人の僻みとして見てもらっても良いのですが、これで経済に弾みがつけばよしということでしょうか。 奥田さんの「ニンマリ」した顔が眼に浮かびます。

 


 三菱では、純粋な電気自動車を売り出したようです。 先の話ですが、電気自動車は、部品数が現在の10分の1くらいに抑えられると言うことを言っておりますので、自動車の修理工場はどうなるのでしょうか。
電気屋と言えば、私は電気屋もやっておりますので、電気自動車を扱うことになるのでしょうか?  マ、私が生きている間は、そんな心配は無さそうですが・・・。

政権情報の虫干し

2009年07月15日 | 政治・選挙
 


  南の方から梅雨明けの報道が続く中で、ここ東北は「ジメジメ」「シトシト」とうっとうしい毎日が続く。 気温が高ければ温暖化だと騒ぎ、低ければオホーツク高気圧の冷害だと騒ぐ。 私としては、この梅雨が日本の緑を育んでいる訳で、サハラ砂漠は言うに及ばず、中国の黄砂、アメリカ中部の砂漠化などを横目で見れば、これは自然の再生能力が衰えていない事と捉えたい。
しかし、気温が人間の体温36℃に近づいたニュースが流れたら、やはり子供時代はもっと涼しかったかなと言う思いがよぎる。 と同時に、後世に伝えるべきは、この地球の正常な自律的環境が重要であろうとの思いを強くする。 不可逆的地球では、後世に申し訳が立たない。

 梅雨が上がれば、どの家でもカビが生えないよう衣服、書類、部屋の虫干しがなされるものと思う。 国会議員は、ここへ来て世襲化による質的劣化が激しく世情も、戦前の様相と似てきた気がしないでもない。 選挙を勝ち上がって来たので、なかなか簡単にその任に値しない人を排除するのも難しい。 本人の自覚を、促したいところだが・・・・、自覚の無い単なるおみこし的な人には、落選運動でもしないといけないのだろう。


 来る、衆議院選挙マニフェストは、ネバダリポートの指摘を待つまでも無く、財政難、就職難の現状では、公務員の給与削減、あるいはワークシェアリング等に具体性を持った政策が望まれる。 麻生総理の国民給付金では、やはり「かると教団」の思惑だけが目先にちらついて、長期的展望が見えない。 改めて地場産業の振興(ソフト重視)に知恵を寄せねばいけない。

そして、特別会計の闇をすべて理解している人は誰もいないのではないかと、言われる中での無駄金の発見、その有効利用、大づかみで200兆円の一割を目標でも良いが、小分けにして具体性を持たせてもらわないと、国民にはその無駄が本当に無駄なのか分かり難い。 情報を天日にさらすことからそれは始まる。


 誰でもがその予算情報にアクセス出来、いつでも公費を調べることが出来る、そんなシステムを期待したい。 見えないところで、国家の屋台骨がシロアリ、ダニ、アブラムシにしゃぶり尽くされていては、いざと言う時に国家としての行動が危うい。 人事に掛かる直接、間接の経費合計を明確にすれば、賢明な公務員の方も後ろめたい思いはなくなるのだろう。 

アメリカの覇権が崩れようとしている今が、いざと言うそのときではないのか?

『ガンダム』出現

2009年07月15日 | 政治・選挙
  お台場、潮風公園内に実物大のガンダムが現れた。 7/11~8/31の「GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト」で展示されているようである。
フィギュアというのか、この手の知識がなくて良く分からないのですが、その道にはまっている人にとってはたまらないのだろう。

貧困格差が、地域間でも出てきている現在、このように珍しいものは底辺にあえぐ地域に作ってほしいものであるが、無理な話と言うことでしょうか。
地域間でも、格差が出てきているということは、貧しい地域を後にして、人口が都会へ都会へと流れる可能性を示唆している。 また都市に集まった人の中でも格差拡大が顕著になり、やがて水問題、ゴミ、住宅、ホームレス、理由なき犯罪などが噴出してくる。 日本の過去の歴史でも、重税と口減らしのため田舎が疲弊したことは幾度と無くある。 それを克服したのは、ほとんど政治の力である。 今のような、自分たちの特定集団、関係者だけのことを行う政治では、待っているのは閉塞社会だけである。

世界中を見渡しても、巨大像は多いし、国内にも巨大観音様は数多い。 それらは、一時的な人集めには役に立つが、けっして生産に寄与するわけではない。 観光資源として定着するには、付加価値(信仰)を加えた大仏様のように1000年の時を経てからでないと価値は出ないことが多い。
やはり、税金を使うのなら産業を創出する「インフラ」あるいは生活に必要な「インフラ」に特化すべきだろう。 飴玉をもらって、後から倍返しでは、国民は納得しない。

ガンダム写真引用先・・・ http://genesishm.exblog.jp/10601579


 由緒正しいドライブイン

2009年07月14日 | 直売・食の安全
 仕事が早く終わったので、久しぶりに湯舟沢温泉に寄らせてもらった。 薄い硫黄の匂いが、銭湯とは違う思いを蘇らせてくれる。 その昔、戸板に乗ってきた動けない人が、2~3ヶ月の湯治で元気になり、一人で歩いて帰ったという逸話があるが、腰の重みが一時間程の入浴でカラッとする事を考えれば、まんざらでもない感じがする。
車の通れない温泉の脇の道を2~300mほど登ると、運が良ければ一掴みほどのワラビにありつく事が出来る。 これで、明晩のおかずはショウガ醤油をかけたワラビのおひたしとなる。 だが子供は食べてはくれない。

帰りには、由緒正しいドライブイン『尾上の松』で、6個入りの『紅輝卵』という卵かけご飯用の卵を買った。 6個で360円とチョット高め。
その昔、忍者の呼び声高い『芭蕉』もここを通り、この松の下に腰を下ろして、お茶でもすすったのだろうか。 佐竹藩の飛脚『ヨジロー』殿も、お茶を飲む暇も無く、松の姿を横目に駆け去って行き東根の六田に宿を取った。 そこには、思いを寄せる娘さんが居たということでした。 今でも東根の六田には美人が多いと聞く!?。 最近新聞に載った、かの『イザベラバード』も足の短い農耕馬にまたがり、ぽっくりぽっくり歩いていった。 その節も、この松の姿をしっかり、頭に記憶して北へ進んで行ったのでしょう。

ここの、紅輝卵という卵は 『村山市うまいもの』 として、もっと宣伝しても恥ずかしくないものと思われるが?  新鮮さはもちろんであるが、生卵をそのまま味わってみると、昔懐かしい味がそのまま舌に伝わってくる。 子供時代、病み上がりの時には、おかゆの上に生卵をかけ塩をパラパラと振ってくれた母の顔がなつかしく思い出されます。 欲を言えば、歯ざわりは同じようであるが「はえぬき」より、舌触りの良い「ササニシキ」がよく会う。 だが、残念ながら倒伏しやすく、作りにくいササニシキは、今ではお目にかかることが少ない。 

個人的には、メタボぎみなので食べ物の話は避けたいのですが、今日は食べ物の話でした。
公営の『道の駅』が出来てから、昔の隆盛は夢のようです。 中央分離帯とか、新しい交通手段はいろんな影響を与えるけれども已む得ないことでしょうか。 チョット惜しい気がします。




今週のローラチャン

2009年07月14日 | 綺麗所


 中国語で、これは何ですか? ということを
ジィシー、シェンマァー→と語尾を上げます。

揚州生まれの鑑真は弘法太子の生まれる、チョット前の753年大伴古麻呂の好意によって遣唐使の船に乗せてもらい日本を訪れることができた。 実は彼は何回かの訪日に失敗し、失明に近い状態であった。 
彼はどうやって日本語を理解する事ができたか? そして、彼は日本を征服する為に日本にやってきたか? Non ! 彼の『心情』が、今の政治家に必要なのでしょう。

この辺の鑑真の経緯を考えたら、日本の英語教育(外国語教育)がどうして一般人に定着しないのがよく理解できる。
英語の先生が、英語を言葉としてではなく、学問として紹介しそれを権威付けたため英語が定着しないと思って間違いではないようです。
其の国のリーダーが、自国の言葉の発音もままなら無い様でも困りもんですが、語学学習はこの辺にヒントがあるのでしょう。
学生時代、電車で外国人を見つけたら、これ幸いに練習で話しかける“スワ”クンという男が居たが、ひとかどの者に成ったといううわさは無い。ナツカシイ~。

同時通訳の人が言っていました。 大まかな意味を掴めばいいんです。 一つ一つの言葉に拘り過ぎてはいけません。 まさに其の通りではないかと思います。