書とお寺が大好きな春逕の「日々是好日」

日々思うこと、感じた事をつづります。

「書の解放とは」・井上有一

2007-08-17 03:25:08 | 書について
いつも考えることがある。

「書」はなぜ一般の人々に感動を与える事が難しいのか?と。

音楽は広く言葉を越えて、国を越えて、年齢を越えて伝わるし、心地よくする。
最近、職場の待合室で、クラッシクの曲が流れるようになってとても良い

確かに「書」のある空間も良い。しかし、どこでもここでも「書」がおさまるとは限らない。書にちょっと携わっているものとして、どうすれば心地よい空間に
そして、その場にあった「書」がおさまるかと考える。

老舗の旅館に、文人の書があれば、私は嬉しくなる
たとえば、小天の「那古井館」
ここは、夏目漱石ゆかりの古い旅館だが、漱石が泊まって「草枕」を書いたといわれている部屋には「則天去私」の軸が掛けてある。(多分自筆)

長崎の「洋々閣」は、ここの店のロゴ(隷書で書かれたもの)にハッととした。
現在もご健在な奈良の今井凌雪先生のもの。先生が長崎にこられて書かれたということだった。

書家と言われる書や展覧会の書がなぜか一部の人にしか見てもらえないのか、広く感動を与えることが出来ないのか?といつも考えている。

私は本当に恵まれていて、若い頃からいろんな美術館、博物館に書や、絵画、工芸、陶器の鑑賞をすることが出来た

鑑賞のたびに、最初の頃は師に
「先生、私には良い物と言われているものが良いのか何なのか意味が解りません」と言っていた。
先生は「歴史的に良い物といわれるものを数多く見ていると、自然にわかってくるよ。とにかく数を見なさい」と。

私はそれから、どこに行ってもとにかくいろんなものを見よう!と決めた。解るまで、感じるまで見ようと・・・。まだまだだけれども!

小さな個人の美術館でも、名もないものでも自分に響くものがあるし、有名な名前の作品でもまだ私には解らない響かないものもある。単に好きか嫌いかだけなのか?まだ私には理解できないものなのか?それも解らないが・・・。

10年ほど前、東京に行って「井上有一」の書に会う為にウナックサロンを独り訪ねた。
それはそれはうわさ通り、強烈な書との出会いだった
今まで見たことのないエネルギーあふれるものだった

いわゆる「前衛」と言われる「井上有一の一字書」が目の前にあった。
私は、頭も体も固まった。。。

サロンの人に「有一」について話しを聞いた。
で、買って帰った本。

しばらくまた読み直して考えて見ることにする