知らない事に気づく事だと思う。
多くの方々に出会っていろんな事に挑戦したい!!!
と言う考えから始めた
「ねえねえ塾」
書とは違った業界のプロの先生のところを訪ねて学んだり、他のものとのコラボの講座を企画した塾。
今まで開催した講座は
陶芸、生け花、文学歴史散歩、ガラス細工、料理、朗読とシャンソン、マジック、お酒の歴史と飲み方、和菓子・・・。
昨年より開催した玉名のしゅんけいラ・ラ・ラ教室は、
一時間をペン字の基礎(ボールペン聴書き・筆ペン)
二時間目は毛筆の基礎と作品づくり。
書や文字が歴史的に伝わってきた事の重要性と、今の時代に活かせる事を同時進行で学べる教室。
新しい角度で楽しい企画を考えてどんどん取り入れていきたい。
昨日のラ・ラ・ラ教室での作品紹介。
暑い夏に負けないグッズ。
「使って涼しいイメージを考えてください。」と言うテーマ
是非、日常で使って夏に負けないでください。
来月のねえねえ塾は
8月27日木曜日7時~
川上酒店
「食と書(文字)」
相藤春陽先生の講義と特製お弁当付き
一般参加の方は3500円
さあどんな展開になりますやら!!!
ねえねえ塾以外の方もあと席が4席あります。
どうぞコメントでお申し込みください。
次回のしゅんけいラ・ラ・ラの教室は
9月29日13:30~
玉名 東クリニックにて開催予定です。
荒い紙に葦ペンで書いてみた。
葦ペンは万年筆の様な形
墨をつけた最初のところだけぱ~っとにじむ。
目に見える山は高くないという意味
韓詩外伝一より
急な山道は登れないが
ゆっくりと自分の足で歩いていくのもいい。
日めくりカレンダーは毎日一枚づつ減っていく。
しかし、毎日積み重ねる一枚は増えていく。
学びも失敗も積み重ねていく事が大事だなと考える。
目的に向かって(目的もはっきりわからないが)毎日の旅を、毎日の出会いや経験を旅と思って歩んでいこうと思っている。
「毎日筆を持って書いているのだから、毎日一字をFbにあげて解説したら」と友達が提案してくれたので、
UPし始めて80日が経った。
40歳代まで、夢中で子育てと仕事と書をやっていたので小さな視野の中で生きていたが、
50歳過ぎてようやく他の世界で生きてきた人たちと話す時間が増えてきた事がとても有難い。
特に同級生との再会は大きい。
先日も3人の同級生と時間を忘れていろんな話をする機会を得た。
話の内容は中学生の頃の思い出に始まり、
仕事の話、趣味の話、家庭の話、親の介護の話、病気の話、政治の話、世の中の話、自然災害の話、戦争の話・・・・・朝まで生テレビで中継できる様な様々な分野にわたった。
4人集まれば4人の今までの歴史があるわけで、話は尽きない。
気がねなくいろんな話ができる機会もそう頻繁にはない。
それで、次の日書いた「一日一書」は
「談」
言(ごん)ベンに炎(たん・だん)
人々が焚火を囲んで楽しく話をしたり笑ったりしているイメージで「談」を書いてみた。
古代から火を囲んで語ったり、笑ったり、食べたり、飲んだりしていたのだろう。
人と人はそうやって繋がっていきたい。
久しぶりに虹を見た。
薄い大きい虹がもう一回り上に見えた。
大人になっても虹を見れたらワクワクするもんだ。
しばらく見ていたらこの虹は右に大きく広がった。
この虹を見た人いますか???
にじをみたかい?
小説「草枕」
有名な夏目漱石の小説
この小説は漱石が熊本に赴任してきて小天を旅行したことが素材となっている。
熊本に居た4年数カ月の後ロンドンに留学
帰国後この小説が書かれたそうだ。
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。
こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。
着想を紙に落さぬとも鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。
ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。
三十の今日(こんにち)はこう思うている。――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。
これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支(ささ)えている。背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。
うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽(あ)き足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
先日、とあるところに投稿するために、漱石さんの事をまとめる機会があった。
今、漱石さんが人気である。
ブームだから好きだという事でなく、人としての漱石さんをずっと考えていきたい。
私は今まで何十年も学問とか学びとかと言う視点で「書(字)」を考えてきました。
ところが・・・
最近、テレビで筆跡で性格を鑑定するという様な番組があっていました。
書を書く本人のその時の感情や状態は確かにその書に現れます。
私は25年間いろんな人に関わってその人の書を見てきました。
お勤め先でも手書きの文字を見てきました。
確かにある程度「感」が働きます。
子どもの字(書)にはそれがストレートにわかります。
子どもたちは成長の過程ですので毎週見ていると「あれ?」と言う事が何度もあり、保護者に連絡したこともあります。
急に字が小さくなる、投げやりになる、雑になる・・・。
逆に大きくなる、筆圧が強くなる、いきいきしてくる・・・。
字は心を反映します。
子育て真っ最中のお母さんには気づかない事も、書く字によって発信されるはず。
先日悲しい事件がありましたね。
学校との連絡ノートがテレビでも映されました。
その子の発信した文字を文字やその奥に隠された心が
見抜けたら…と残念に思います。
「字」にはいろんなものが隠れていると思います。
私は、私ができる事(視点)で子育てに協力していきたいし、人と関わっていきたい、
また、書(字)を教育的に教える事が私に与えられた事ではないのではないか
他にも役割があるのではないかと考えさせられました。
7月7日より12日まで
熊本県立美術館分館4階にて
「第26回 選抜茶掛け展」が開催中。
茶掛けと言うと
お茶席に掛ける軸物のことというが、私たちが開催している茶掛け展は出品者それぞれが現代建築にも
合うように工夫して様々な表装スタイルで発表している華やかな展覧会なのです。
多くの流派の様々な書体が一堂に見られる展覧会は珍しいと思う。
私の作品は今の季節に合わせて
「雨過天青」(うかてんせい)
雨上がりの淡い空色
と言う作品。
是非会場でご覧いただきたい。