毎日のようにエネルギー問題がテレビで流れる。
エネルギーって???
自分の中から湧き出るエネルギーはいったい何なのか?
最近、周りに元気がない人たちが多いようだ。
私もエネルギーが足りない時期があった。
その頃は焦っていた。
自分に元気が出るものを集め、自分が楽になるものの近くにいるように心がけた。
今は、
好きな音楽、好きな人たち、好きな自然、好きな食べ物を少しづつ自分に取り入れ自家発電ができるようになったように思う。
そして時間があるときはエネルギーのある人にあう。そして話す。
あえないときはエネルギーのある人の本を読む。
しかし、私の一番のエネルギーの元は子どもたちだと思う。
しゅんけい教室には元気な子どもたちが通ってくれている。
子どもたちは溢れるエネルギーを持っている。
子どもたちの笑顔や声はエネルギーそのもの。
子どもたちの成長を見守ってあげる事ができるという時間は私の宝だ。
皆さんのおかげで、私は自家発電できている。
しゅんけい教室にうれしい人が2人も訪ねてくれた。
小学校2年から通ってくれたEちゃん。
2年ほど前からお年賀状に「また書道を始めたいです。」と書き添えられていた。
中学2年までお習字を続けてくれたEちゃん。
もう大学の薬学部の2年生。
その彼女が教室に・・・。
しばらくお話をして、
「Eちゃんお道具もって、おいで、ちょっと書いてみたら?」
Eちゃん
「はい。持ってきます。」と家に帰って書道の道具を持ってきた。
Eちゃんはしばらく筆を持っていなかったので、1枚目はぎこちなかった様子だったが、2枚目からはよく筆が動いていた。
楷書、行書をして、細字を書いてもらったがすぐもとの筆づかいができたのでびっくりした。
こうやって小さい頃から大人になるまで人にかかわっていける私は本当に幸せだ。
そしてもう一人、
「書道教室を探していまして、先生のブログを見てきました。」とSさん。
私が
「何を見たのですか?」っていったら。
Sさんが「私、月がすきなのです。」と。
書はとってもアナログな世界。
しかし、現代だからこそ、ネットで知り合うというチャンスもある。
これまたうれしい今日の出来事だった。
昨年の秋に熊本の現代美術館で「0円ハウス」を発表されたので見に行った。
そしてドローイングも。
そのドローイングが気になってそれを基に私も作品を書いた。
今日は、地方紙に坂口さんの記事が大きく載っていた。
なぜか気になる!!!
後数年で100歳を迎えられるTさんが居らっしゃる老健ホームに月に1回お邪魔している。
お写経と花の絵を描く事が日課。
春になってお花がたくさん咲く事をとても喜んでおられた。
お会いする度にいろんな時代をいろんな事を乗り越えてこられた貴重なお話を伺う。
とってもすてきな人生の先輩。
お元気で居てくださる事がとても嬉しい。
どんなに凄い人でも、人は人。
歴史に残った有名な書家も政治家も文人もお坊さんもみんな人間なのだ。
能書家の「書」を理解し、書くためには、その時代背景を知らないとわからないこともたくさんある。
しかし・・・難しいことばかり考えても仕方ない。
この秋にイベントの計画あり。
さて・・・。
今回は私にとって節目のイベント。
今まで私が学んできた「書の歴史」を発表する。
「文字の変遷」
まずは、甲骨文字・金文を紹介する。(引っ掻く・彫る)
そして、木簡。
書く。
そして書く素材を変える・・・。
立体。
「書道」は書道愛好者だけのものではない。
「書」の楽しみ方を一人でも多くの人に伝えたい。
文字の歴史を知って、そして文字の大事さを再確認でき、みんなが楽しめる参加型の展覧会にしたい。
さあ、わくわく。
悩んでる時間はない。
和食というと出しは昆布、かつお、あご・・・
調味料は醤油、塩、砂糖、みりん、酒・・・
中華の出しは?
調味料は?
詳しく知らなくっても和食と中華はわかる。
「書」は
和様と唐様
筆遣いや雰囲気で和様、唐様を何となく分ける事ができるが、きちんとそれを解説するとなると難しい。
漢詩を書いてあってもその人が何の時代の何を学び、誰に影響を受けたかによって違ってくる。
江戸時代には庶民の文化の中に「江戸文字」が流行した。
江戸文字は印刷にも使われて流行った今で言うとデザイン文字(フォント)だろう。
書道という精神性まで求める世界とは少し離れてくる。
和様といえば、、仮名は和様そのものだが、漢字作家が仮名を書くとどこか唐様の筆づかいも入るように思う。
中国と日本の書の違いには文房四宝(紙・墨・硯・筆)の違いも大きな要因だと思う。
江戸時代の文人の一人に池大雅がいるがこの人の書は唐様。
私たちは一般的に小、中学で書写を学ぶ。
書写(習字)と書道の区別さえ一般人に説明する機会さえ乏しい。
「美しく書く」と伝えてもその「美しさ」の基準を書写でしか学んでいない人たちがほとんど。
歴史に残っているもの、名品と伝えられてきたものには意味がある。
「顔真卿」の祭姪稿をすばらしいと伝えるのは至難の業だ。
勝手な考えを書いてみたが、いろいろ考え始めると益々わからなくなる。
本物をひたすら見ると何か感じるものを得ると恩師はいつも言っている。