書とお寺が大好きな春逕の「日々是好日」

日々思うこと、感じた事をつづります。

楽しい古代文字(金文)

2007-11-30 22:40:46 | 書について
今夜は、あるお店の中に飾るものをお友達に頼まれて古代文字を書いた。

このお店は、今月の初めにオープンしたばかり、それで先日、お店の雰囲気を見にランチに行ってみた。それから一週間いろいろ考えてみた。

そこは、自然食の良さをさりげなく気軽に食べれるような素朴なお店だったので、あえて、文字としての形もまだ象形的な時代の古代文字の中の食に関するものを選んで書いてみた。
「水」「木」「土」「米」「魚」「豆」・それとここのお店の心のこもったもてなしから「心」・
来年の干支の「子」

素朴な文字はデザイン性があってとっても楽しい。
全部一発書き。(構想は1週間)
そこのお店を見に行ったのでイメージをあたため、膨らませて書いた。
(これらの文字は甲骨金文字典をもとにしたもの。)

これらの文字がお店に飾られたらまたお店に食べに行こう

吉ちゃんさんにいただいた種は・・・。

2007-11-29 22:39:24 | 思う事
我が家のプランターに芽がたくさん出てきた。
これらの種は東京に行った時、吉ちゃんさんにいただいたもの袋から飛び出していたもの。
なんだか分からずに蒔いたら、こんな感じで芽が出てきた。
吉ちゃんさんなんでしょうか???

今夜は、着付け教室だった。
夕食をさっと軽く済ませて、毎週木曜には着付け教室に行っている。
今日は、祖母の箪笥に入っていた。紬の着物を持っていった。
祖母と私は、背丈は変らなかったので、私が着れるいくつも着物がある。
祖母の育てられた私は、祖母の着ていた着物を着ることができる事を本当に嬉しく思う。
今日着た紬は緑色のグラデーションの着物だった。着物も帯びも祖母の物、何とか自分で着れるようになってきたから、着物を通して、また祖母が身近に感じられる気がしてとても幸せな気分になった

そんなこんなで、今日も良い一日だった。
天国のおばあちゃんもきっと喜んでいるに違いない

実家の庭に

2007-11-28 00:05:44 | Weblog
トランペット何とかって言う花が咲き誇っていた。私は個人的にはあんまり好きな花じゃないけれど、せっかく買った携帯の機能を試したくて日没後の写真を写してみた。
今日は実家に着物を着る練習にちょっと寄ってみたのだった。って言うか、練習の成果を母にみて貰う為だった。三回着直したが案外上手く着れた。
目指せ大和撫子!

新しい携帯で、パチリ!

2007-11-27 03:14:43 | うちのワンコ
画素数の高い携帯に替えた。

今の携帯には、いろんな種類のものがあり、いろんなデザインのものがある。それに、契約の仕方もパケット割りとか、コミコミ・・・とか、はっきり言ってさっぱり分からない事ばかり、そして、ポイント割引と言うのもあって???

結局は、
「綺麗な写真を撮りたいので、画素数の高いものに。」と、言ったから、今回の機種っていうことになった。全く人任せな私。いわれるままに決めた。

家に帰って、ぶ厚い取扱い説明書を読んだ。
カメラの部分がとても充実した機種だったので、サイズ(10通り)、画質も用途にあわせて切り替えられるものだ。
はっきり言ってよく分からない。

とりあえず、家のわんこを写してみた。
結局、なんだかよく分からない。

熊本城・頬当門横長塀と武者返しの石垣

2007-11-25 21:49:28 | 思う事
昨日息子の恩師で、私も心から慕っている安永健二郎先生の個展に県立美術館分館に行った。

先生は中学校の美術の先生で、学校を退職されてから描きためられた100点以上の油絵が飾ってあった。

先ず、奥様がにこにこ私を迎えてくださり、私はゆっくり先生の作品を見せていただいた。
作品は四季を通しての風景画が多く、作品の一つ一つに季節の色、そして香りそして音も優しく感じることができた。
額の中の作品は、あたかもその季節に自分もその場所に立っているような錯覚におちいるようだった。
わたしが一番気になった絵は、題名が『夏草と駅』だったかな。
無人駅のまわりに夏草が生えている絵だった。

先生にその事を話すと・・・。
「何で?」
って聞かれた。
私は、
「先生の目に映ったものが、ただの風景だけではないはず。先生の目には何かが映っていて、何かを考えていらしたはず・・・。」
と、答えた。

先生は、
「絵を通して何か深いものを追及したいし、それを感じる人と同じように感じあいたい。」
って話された。私は何かは感じたが、もちろん先生の思い、先生の考えまでにはまだ到底至らない。
何年か先で、その作品を描かれた思いをたずねてみようかな。

それから、先生の言葉で印象に残った言葉は・・・。

阿蘇の根子岳が脇に描かれていた作品の前で、
「エネルギーのある根子岳は脇役にするのです。何気ない山を主役にして、脇役に強い根子岳を置くと、主役がとっても映えるのです。」と・・・。

やはり先生は凄いと思った。
「きっと書も同じでしょう。」と。

今日もとてもいい日だった。

帰りは、まわりを見回しながらゆっくり歩いて帰った。
熊本城の頬当門の横の長塀と武者返しの石垣が何か主役に見えた。

ここの道は、私が中学時代に通った道。
何気なくみていた風景だった。


Nさんの出来上がり作品

2007-11-24 11:24:43 | 思う事
Nさんは、もともと絵を書かれている方。
さすがに構図や構成がお上手。

ねずみの体を消しゴム印で彫られ、目は筆ペンで書き込み(目次第で表情が変る)まわりもいろいろ変えて書かれた。

完璧な仕上がり。

来られている方同士が、お互いに智恵を出し合い、惜しみなく影響、刺激しあってより楽しくより満足の得るものができるってことに良さがあると思う。

アッという間の2時間半だった。

12月1日には、創り人たちの『望(あえてのぞみとしてある)年会』にみんなで参加しま~す。

消しゴム印

2007-11-24 10:57:55 | 習字教室
今回の教室は、それぞれ消しゴムで印を彫ってもらった。

彫刻刀を手に真剣な顔で消しゴムと格闘。
ためし押しもしながら、どんどん出来上がっていく。

来年のえとはねずみ年。


ここでちょっと薀蓄。
干支とは・・・

『十干十二支(じっかんじゅうにし)』の事。

古代中国では、万物の構成要素は、木・火・土・金・水にあるとし、この五つの気によって人間の全ての事象が生成・運行すると言われている。(五行説)

十干とは、五行を陽(兄・え)と陰(弟・と)に分けたもの。
甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)

十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

十干と十二支を組み合わせ、年・月・日を表すのに用いた。全部組み合わせ一回りすると六十になり、0に戻るので六十歳を還暦と言う。
十干十二支は甲子(きのえね)からはじまり・・・(甲子園の名前の由来)今年は、丁亥(ひのと、い)年。そして来年は戊子(つちのえ、ね)の年となる。

さてどんな作品が出来上がったのか???

「ねえねえ塾」アートクラス・年賀状を作る。

2007-11-24 10:43:25 | 習字教室
4週目の金曜日は「ねえねえ塾」のアートクラス。

今回は年賀状。
消しゴム印を彫ってもらって、筆を使って書いた年賀状に彩りを添えてもらった。

やり方は、トレーシングペーパーに絵を描き(写しても良い)濃い鉛筆でその絵を塗る。そして消しゴムに転写し、彫刻刀かカッターで彫る。
いろいろ工夫するとどんどん展開していく。

後はいろんな書体を書いてみてそれにあわせてちょっと工夫をしてみる。
文字を色で書いたり、いろがみをはったり・・・。
皆さんが彫刻刀やのり、はさみ、を手に、
「学校以来だ~。」
「たのし~。」
の連発。

私は、書き方や資料の提供だけ。
皆さんそれぞれが思い思いに年賀状を制作されていた。
やっぱり手作りはいい。

作って楽し、贈って楽し、喜ばれて楽し。


「激動の三代展 」にいった。二の丸は黄金の銀杏の木が・・・。

2007-11-24 08:50:01 | 思う事
午後から、恩師と一緒に県立美術館の本館に「激動の三代展・加藤清正・忠弘・細川忠利の時代」に古文書と書状(手紙など)を読みに行った。

5,6年前には、細川忠利と沢庵和尚の書状(永青文庫所蔵)を200通ぐらい釈文と照らし合わせながらよんだ事がある。
書状の中には本人自筆のものもあるにはあるが、多くは祐筆といわれる(側近)が書いたものが多い。
書状には、
命令のような書状、定書き(これは祐筆によるものが多い)、プライベートに特に親しい個人宛の手紙(これは本人自筆が多い)

今回は、豊臣秀吉が加藤清正に送った書状(多分祐筆によるもの?)、加藤清正の定書、清正の息子の忠弘(三男)が父(清正)に送った手紙などを読んだ。

加藤清正(1562~1611)
豊臣秀吉に仕え、秀吉の九州統一に従軍し、肥後国一揆の処理に派遣された。
その後、隈本城に入城。その後、新熊本城の築造に着手。1592年には、朝鮮の役に出兵。関が原の戦いでは、徳川家康の東軍について小西行長らと対立。行長を攻めその功績で54万石の肥後の守となり、築城にそして土木・治水に大きな力を
注いだ。

加藤忠広(1601~1653)
加藤清正の三男で、清正の後を継いで肥後五十四万石を領した大名。清正が死亡すると、兄が早死にだったため、十歳(幕府の監督を受け)で跡目相続、肥後守に就任。しかし、清正がワンマン的な独裁者であった面もあり、幼少であった忠広は、重臣たちからの派閥争いが起こる。ついには改易(所領や家禄、屋敷を没収)を受ける事となった。

細川忠利(1568~1641)
細川家三代、肥後入国時の藩主。母は明智光秀の娘、玉子(ガラシャ)。徳川秀忠より一字を与えられ幼名光より忠利と称した。
加藤家改易の後、54万石を与えられる。天草、島原の乱に息子光尚とともに奮闘。天草四郎を討ち取った。その後細川家は三百数十年藩主として続いた。

加藤清正の死も謎、そして改易、細川家へ・・・この記念展の名の通り、まだまだ謎も多いと思う。
今回、自筆の書状を読むという角度から、歴史に隠されたミステリアスなロマンをちょっと感じた。
後は図録によって何度も何度もたどっていきたい。

まりこちゃんの年賀状

2007-11-21 23:09:40 | 習字教室
今日から、お習字教室では年賀状を書いてもらう。

筆を使って文字を書いてまわりは自由。
きり絵をはったり、消しゴムで印を作ったり、ペンで絵を書いたり・・・。

中学生はさすがに、毎年こった年賀状をみんな個性的に作る。
せりなちゃん(中2)は消しゴム印を彫刻刀でとても上手に彫っていた。出来上がったら紹介することにして、今回はまりこちゃん(小4)の可愛いちぎり絵の年賀状をシャメした。
まりこちゃんが、まりつきをしているところって説明してくれた。

子供たちの年賀状は楽しいものばかり。

手作りの楽しさ、それを贈る喜び、そして相手に喜ばれる喜びを一人でも多くの子供たちに味わってもらいたい。
今日も楽しい教室だった。