だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

陝西省ヒアリング

2007-11-30 23:15:00 | 生活

朝から陝西省財政部へ出かけてヒアリング。省の発展改革委員会の人たちも来ていて興味深いものでした。個人的には公的医療保険制度がどうなっているのかを知りたかったのですが、聞いたところによると、保険料率はそんなに高いものではないけども制度してはそれなりに作られているようです。農村部まで普及しているのかどうかは明らかではなかったですが。で、基本的には医療保険については個人勘定積立方式をとっているそうです。個人勘定積立では足りない医療費も多いと思うのですが、保険からの支払いには限度があるんだそうで、足りない部分は自己負担だそうです。それって保険じゃないじゃん、ってなものなのですが、どうにもそうやって成り立たせているそうです。生活保護制度のようなものもあるようですが、どう機能しているんだか。

ランチは陝西省財政部の方とご一緒。お付き合いで白酒をのんでややへろへろ。宴会部長というのはどこにでもいるんですなあ。終わった後は日本のODAで作ったという汚水処理場へ。近代的な処理施設で、コントロールパネルがどーんとあるような、写真だけ見ると日本のものと区別つかないんじゃないでしょうか。

西安と言えば、というところに行って、夜は餃子三昧のお店に行ってみました。18種類の餃子が出てきました。中身もいろいろで、見た目もいろいろでした。カエルのかたちをしたのもありました。なんだか幸せの象徴なんですってさ。店から宿までは西安市内を歩いて帰りましたが、若者がたくさん出歩いていて、日本のそこらへんの地方都市よりはよほど栄えていました。スターバックスもあるし。怪しい屋台もたくさんあるし。こういうご時世なので屋台のものを買い食いする勇気は出ませんでしたが、目が光るドラ●もんとか、間違いなく税関で引っかかってしまいそうなものも盛りだくさんで、なんというか、猥雑なというか、元気なというか、ごたごたしたというか、そんな感じでした。店もたくさん開いてたし。


ふうとん

2007-11-29 23:14:00 | 生活

今日は移動日。なんですが少し時間ができたのでold beijingを見に胡同へ出かけてみました。北京は中国の首都として、また来年のオリンピックを控えて高層ビルが林立しているわけですが、故宮を中心とする環状線のうち2号線(だったとおもう)の内側は開発が制限されていて、故宮の北側には昔の街並みが残っています。近くまで行くと、観光客相手の人力車がたむろしていますし、うろうろしていると人力車の客引きのにいちゃんが寄ってきます。この胡同地域、観光目当てもあって保存しているのではないかと思うんですが、建物の外にエアコンの室外機が堂々と置いてあって、電力のメータも見えてて、確かに日常生活の息吹が感じられるところではあるのですが、いやでも観光資源にするんかいな、という感じです。old beijingを感じるにはいいところですけど。この地域は後海に接している(幹部の住んでいる中南海の北側に当たる)のですが、その川沿いは政策的にバーが多く立地していて、夜になるとなかなかのものなんだそうです。北京の若者のホットなスポットにしようとしているのか、観光客狙いなのかよく知りませんが、おねだんもなかなかなんだそうですよ。

ひととおり堪能したあとで、この北側にある鼓楼へ。故宮の中心線上にあって、かつては時を知らせるために太鼓を叩いていたという建物です。なんだかえらく急な階段で上へ登ることができて、上にはかつての太鼓がおいてあったり、水時計が置いてあったりします。この水時計は現役で(復元で)、時間を刻んでいるらしいのですが、観光客にわかりやすいようにという配慮で、えらく蛍光黄色な水が流れてます。なんなんだろう。この鼓楼から南を眺めると、故宮の北側に位置する景山公園を望むことができ、北側や南東の方角には環状線の外側に広がる高層ビルやアパート群を見渡すことができます。少し曇ってて風が強くて寒かったです。

鼓楼から降りて、天安門の西側にある本屋へ。この本屋、えらくでかい建物で全部が本屋という優れモノですが、とりあえず縁がありそうな1階だけ見て回りました。といっても中国語の本ばかりですけど。マンキューやスティグリッツの中訳本も並んでました。凄いですね。売れてるんですかね。けっこう驚くことは、座って読んでる人がいたり、意外と古い本がそのままだったりすることですか。あんまり日本の本屋と変わりないですね。

ご飯をたべたあとは西安へ移動。西安空港から西安の町は車で小一時間かかるのですが、畑が広がってて漠然と広くてなかなか中国らしいです(?)。西安に着いた時にはもう夕方だったのですが、そこからまたレセプション。唐時代の歌舞音曲を復活させたとかいう触れ込みの演劇も見られておもしろかったのですが、なんだか妙に現代的でした。妃の踊りということでえらく露出の多い服装で水芸っぽく踊ってたりして。あんなのなんでしょうか。それとも「シルクロードの出発点である長安」を目当てにやってきた欧米の引退者狙いでしょうか。実際、リタイアしたと思しき白人のツアー客が前の席を占領していました。ああいうのがオリエンタルなのかなあ。


受けない報告。

2007-11-28 23:12:00 | 生活

メインの発表会。バックグラウンドが違うので何が言いたいのかよくわからないことがあるのはいつものことながら、中途半端に経済学っぽいのはなんとも。中国の再分配の哲学について、論語や礼記を持ち出して説明したひとがいて、個人的にはそれが聞けただけでもよかったと思います。それが実現するまでの道のりは長そうですが、人の国のことを笑ってられる状況ではないですね。

論語 春秋繁露巻第八より「使富者足以示貴而不至於驕。貧者足以養生而不至於憂。以此爲度而調均之。是以財不遺。而上下相安。故易治也。」

礼記 礼運より「使老有所終,壮有所用,幼有所養,矜(鰥)寡孤独廃疾者皆有所養,男有分,女有婦。」

ランチは例によってバイキングでしたが、なんだか怪しい魚の刺身も並んでました。だいじょぶなのかしら。

僕の発表は日本の公的医療保険制度の歴史をまとめたもので、学術的には無価値ですけど、自分の勉強にはなりました。日本は公的医療保険についてかなり早い段階で皆保険を成し遂げたわけですが(そこに戦時体制の影響がそれほど大きかったかどうかは正直よくわかりません)、その成立の過程で制度の統合を行ってこなかったために、今でも保険が分立する状況にあります。保険間で状況が同じであれば問題もなかったのでしょうが、職域と地域に分けた、というか、被用者保険の残余として地域保険を定義してしまったために、地域保険に退職者や無業者が集中し、給付条件を同一とする過程で財政状況に差が出ることのなりました。高齢化が進み、引退者の比率が高くなるにつれて、その問題は深刻となっていきます。保険の統合や一本化が究極の解決方法のひとつなんでしょうが、それもうまくいかず(健保組合の保険料が必然的に高くなるからでしょうか?)、老人保健制度や退職者医療制度によって、実質的な財政調整が図られることになります。来年度からの高齢者保険もこの流れの中で理解されます。日本は皆保険の達成は早かったが、保険を分立させたままに高齢化社会を迎え、その調整に苦労している、という感じです。「公的医療保険であるからには同一の保険料率で同一の給付水準であるべきだ」とすれば保険料率の低い大企業の健保組合は既得権益を持っていることのなりますし、「保険なんだから料率は違ってもよい」というなら、なぜ職域によって異なるのかを正当化しないといけないのかなあと思います。健康リスクは職域や地域よりは年齢や生活習慣に依存するだろうし。

ってなことを考えながら発表したんですが、なんだかまたもや受けが悪かったようで。学会だとそうでもないんだけどなあ。ぶつぶつ。官僚受けしないのかしらん。

会議のあとはレセプション。一皿目が水墨画っぽくてなかなかよかったですが、二番目か三番目にナマコが出てきまして。あのままの形状で。アヒルの手とセットで。ううむ。見た目はナスに似てるので、そう思って食べればよいかなあというところですが、なんだかこりこりしててやっぱりナマコでした。アヒルの手のほうは例によって食べにくいのですが、コラーゲンたっぷりな雰囲気でなかなかおいしうございました。このレセプション、このあとも鹿肉とか出てきて楽しかったです。中国の飲み会にしては乾杯が少なかったのも助かりました。


偉くならんと

2007-11-27 13:11:00 | 生活

所用で中国へ出張。飛行機の中では資料を読んだりしないとなあとはいつも思うものの、結局何もしないのはどうしたことでしょうか。機内のサービスがよすぎるのも考え物ですなあ。

北京空港で知ってる人を見かけたりしてから財政部へ移動。社会保障関係の部署の人に話を伺います。一通りの事情を聞いてから、と思っていたのですが、意外とそうもならず。

夜は夜とて。


論壇と医師不足

2007-11-25 17:36:59 | 医療
また日経新聞ですが.あの松井彰彦先生が「経済論壇から」というコーナーを担当されていて,今回は「医師不足」がテーマでした.ふむ.なかなかおもしろいのですが,たぶんここでの結論めいたものは「医療も政府による価格統制から脱し,診療報酬に適度な柔軟性をもたせることを検討するべき時期に来ているのかもしれない」というあたりにあるのではないかとおもいます.

条件の「悪い」診療科の診療報酬を高くして医師が集まるようにしよう,というのは経済学的な発想なのかもしれないですが,診療報酬を高くして医師の専門を変えさせ,もって医師不足に対処する,というのは,現下の医師不足への対抗策としてはあまりに時間がかかりすぎるのではないかしら,と思います.それはそれで「急務」なんですが(どうでもいいですが,『市場の活用は急務』とかいうのは日経が好きそうなフレーズですね),もっと即効性があって,なおかつ長期的な対策と齟齬を来さない対策を考えなくちゃいけなくて,だからいろんな人が悩んでいるのであろうなあ,と思います.環境規制でもそうですが,価格による誘導よりは数量の直接規制のほうが数量についての目的は達成しやすい(けど動学的効率性とかで歪みが大きい)わけなので,難しいところであるなあ,と思います.金銭的な意味での価格だけがインセンティブではない,というのも経済学の教えるところですが.

というか,医師の労働市場について,驚くほど知見がない,実証研究が必要だ,ということはもっと認識されてもいい気がするんですけど.


混合診療

2007-11-23 17:26:00 | 医療
ちょっと前になりますが,東京地裁が「混合診療禁止は法的根拠がない」という判決を出した(たとえばここ)そうで,それに対して厚生労働省が控訴したという話がありました.それに乗ったのかどうなのか,規制改革会議が混合診療の解禁を答申に明記するといっているらしく(たとえばここ),日本経済新聞でも3日にわたって混合診療のあり方を問う,というのが「経済教室」に出てました.大雑把に言うと,最初の2日(松井証券の松井社長,医科歯科の川渕先生)は混合診療解禁派,最後の1日(学習院の遠藤先生)は解禁慎重派,ということのようです.1日目では,混合診療を禁止する理由がよく分からんという話,2日目は混合診療を禁止したために発生しうる弊害(治験など)の話,3日目は混合診療解禁に伴って患者への請求が野放図になる危険性があるよという話,が気になりました.

ぼくはなんとなく,「特定療養費制度(いまは保険外併用療養費制度になったらしい)によって認められる範囲が広がるのだったら,あるいは保険収載の広さが十分に広ければ,混合診療を認めなくてもよいのではないか」と思っていて,かといってとくに混合診療禁止を強く支持するわけでもないです.治験のネックになるかもしれないけど,治験の費用って薬会社がもつのではないの?と思ったり.混合診療がネックになるのはたいがいは先進医療にかかわることで,高額な費用がかかるケースなので,「混合診療を解禁すると金持ちに有利」というのは直観的にもよく分かりません(松井社長の論点の一つ).まあかといって,「どんな治療を受けるかは患者の自由なんだから保険収載されているものは払ってあげればいいじゃん」というのも,こと先進医療が適用されるようなケースで「患者の自由」ってそんなにあるのか?という疑問があったりします.と,つらつら考えてみると,「危険が大きい先進医療の費用をだれが払うか」という話と,それに付随する「医療分野における特殊平等主義をどこまで認めるか」という話になるような気がします.後者については特殊平等主義が認められてそうな気がするのでおいておくと,前者についても,保険収載前の診療行為については自己負担なわけですから,その治療から得られる知見がもたらす外部性を考えると,補助金出してもいいぐらいなような気がします.おや?

混合診療を禁止するとトクをするひとがどこかにいるってことなのか?誰だ?


金町のナゾ

2007-11-19 14:12:55 | 生活
JR常磐線の金町駅の手前の川沿いに,広大な空き地があります.ぼくが常磐線を使うようになった数年前から,なんにもないという点では変わりがないように見えます.なんかの跡地なんだろうなあとは思っていたのですが,ふとしたことから判明.三菱製紙中川工場跡地だそうです.敷地には怪しい球形の物体もあるのですが,それも製紙工場の機械だそうです.そうだったのか~.

そうだったのか~,なんですが,なんでいまさら気がついたかといえば,この記事(via 大学プロデューサーズノート

葛飾区 大学誘致へ土地取得 購入費450億円に懸念も(東京新聞)
JR金町駅近くの工場跡地への大学誘致を進めている葛飾区は十六日、土地を所有する都市再生機構(UR)から、キャンパス整備などの予定地約十ヘクタールを購入する見通しになったことを明らかにした。同日の区議会総務委員会で報告した。この土地には、順天堂大(文京区)が進出の意向を示しているが、規模などの条件が折り合わず、正式合意していない。約四百五十億円に上る巨額な購入費用とあって委員会で懸念する意見が相次いだ。(以下略)

あの土地,大規模商業施設や住宅地になる部分もあるそうなんですが,大学も呼んじゃえ,てなもんみたいです. 大学プロデューサーズノートに書いてあるとおり,地方が誘致するのは工場だけではなくて,大学もその候補だったりします(地方財政の恰好の実証課題だと思います.研究したい人はぜひご一報を).金町なら都心からそれほど遠くないし(千代田線直通で行けるし),いいところに眼を付けましたなあ,てなものです.若者も増えるしね.なんですが,誘致する大学のめどもたいして立っていない段階で土地を買っちゃっていいんでしょうかね.工場だって,工業用地を整備しつつ誘致するんだからいいような気もしますけど.

しかしこの「金町」という微妙な立地,順天堂大学でなくてもちょっと迷うところかもしれません.でも,都心から出て行った大学にとっては興味深いところじゃないでしょうか.神田から武蔵野へ移って行った某大学とかね(おっと).


今さらながら

2007-11-18 16:51:00 | 経済学
たいそう今さらながら,Steven Levitt「ヤバい経済学」を読みました.たいそうおもしろいらしいとか,増補改訂版が出るとか,担当された方から聞いてはいたのですが,なんとなく読んでいなかったところ,ふらっと古本屋で買っちゃったのと,新幹線に長く乗る用事ができたのとで.

確かにおもしろいですね.操作変数の見つけ方の説明にはもってこいじゃないでしょうか.テーマも意外だし.経済学というか社会学とか心理学とかに近いような気がしますが,そんな線引きしてもしょうがないし.最後のほうの名前の研究ってのは興味深かったですね.以前から,「海外の人はどうやって名前をつけるのであろうか」と思ってたんですが,いや意外といい加減でした.日本でも明治安田生命の調査の個票とかあれば,同じ研究ができるのにな,と思いました.難読な名前をつける親には一定の傾向がみてとれそうだし.

まあしかし,ぼくには絶対無理だなあとも思ったり.この本からわかるのは,経済学が面白く応用できるということと,Levittが天才だ,ということなわけで.経済学者がみんながみんなこういう研究をしててもしょうがないっちゃしょうがないわけで,ええとそこらへんは,分業の利益っていうんですかね,と負け惜しみを.


長生きするのは.

2007-11-17 16:54:00 | 医療
元気で長生きするのはけっこうなことですが,そうでもない状態で長生きすることができるってのは,科学の進歩に感謝すると同時に悩みの増えることなのですな,と思いました.QOLの計測とかいうけど,自分で判断できないひとのQOLってどないすんねん.


正倉院

2007-11-12 13:41:00 | 生活

思いつかれたので,「正倉院展」に行ってきました.正倉院といえば,奈良東大寺の近くにある校倉作りの建築物で,ササン朝ペルシア等の影響を強く受ける文物が非常によい保存状態を保っているということで有名で,中学受験から大学受験まで日本史では多少なりとも出てくる建物です.知らなかったんですが「正倉院」というのはもともと固有名詞ではなくて,官庁や寺に設けられた重要物品を納める倉のことを一般に「正倉」といい,この正倉が集まった一角を「正倉院」というんだそうですな.で,いつのまにか各地の正倉院がなくなってしまい,奈良に残っている正倉院のことを指して固有名詞として使われるようになったんだそうで.ふーん.

正倉院展というのは毎年秋に2週間ほど開かれるイベントらしいんですが,今回の主な出展宝物は墨絵弾弓とか紫檀金鈿柄香炉とかなんだそうです.聖武天皇といいますから8世紀頃の天皇家や東大寺に関係するお宝ということで,あの時代にどうやってこんなに細かい細工をしたのであろうか,いまなら鋭いナイフとかあるものを,ということで,これらはこれらで興味深いですし,また四分律のような達筆が虫食いもなく保存されているのは素晴らしいんですが,個人的に非常に気になったのは,行政文書(?)の数々です.奈良時代なので戸籍に基づいて租庸調が徴収されていたわけですが,この戸籍が残っています.それぞれの世帯主から世帯員・の名前まできちんと揃って整然と書かれていました.また,一種の生活保護のようなもの,子どもを亡くした高齢者や寡婦に対する支給の記録もありました.これにも受け取るべき人の名前,年齢が細かく書かれていて,実質的にどうであったにしても,制度ができていて対応する記録をとろうとしていて一部はそれが行われていたらしい,というのは,いまさらながらに驚きです.当時の通信技術でちゃんと執行していたのかどうかはそれはそれで興味深いですけど.ついついじろじろ見てしまいました.

奈良まで行ったので,ついでに特別公開されていた興福寺の阿修羅像をはじめとする乾漆八部衆立像を見に行きました.思ったより小さかったですが,さすがにきれいでした.阿修羅像の腕って意外と細いんですね.それから,北円堂にある無著・世親像も見てきました.運慶らの代表作で,日本を代表する彫刻のひとつなんだそうですが,高僧らしい威厳が……ではないな,菩薩だったんですねこのひとたち.日本史の教科書とか資料集でしか見たことないのが見られる,ってのは素晴らしいですねえ.