だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

除夜の鐘

2006-12-31 23:43:00 | 生活

Pc310169_1 除夜の鐘を打ってみよう!ということで,近くの本土寺に行ってきました.本土寺では除夜の鐘を108つを超えて打たせてくれるというので,あたふたと11時ごろから出かけてみましたが,なんだか門が閉まっていては入れませんでした.参道の無料休憩所に寄ってみると,おばちゃんに甘酒を勧められ,「ああ.40分くらいにならないと開かないのよねえ」といわれてしまったので,甘酒をいただきつつ休憩所でおばちゃんたちを観察しました.休憩所ではNHKの紅白歌合戦をやってて,おばちゃんたちが「SMAPって何人いるんだっけ」「あらやだ5人よ.でもわたしはきむたくはちょっとねえ」という会話を,石油ストーブに背を向けて輪になって話しておりました.日本の正しい年末ですね.時間になったので門のところに並んで,少し待って境内に入りました.

Pc310171除夜の鐘はちいさい鐘楼のなかにあって,千葉県内にある数少ない文化財のひとつだそうです.1回100円以上のお気持ちということなので,それを渡して「ごーん」と打つのですが,けっこうな人数が並んでいたので,前の人の余韻が消えないうちに打たざるを得ず,そこらへんちょと風情がなかったかなあとおもったり.人が多いのでしょうがないのですが.

そのあと,本堂におまいりして帰ろうと思ってまた行列に並んでいると,どうみてもここらへんのちょっとしたやんきー風のにいちゃんねえちゃんたちがうろうろしていて「あけおめー」とか言ってました.なんだありゃ.ぼくのすぐ後ろに並んでいた夫婦は,シンナーで歯がやられた感じの(推定)19の純情を貫いて子供をもうけた感じの(推定)もとやんきー(推定)っぽかったです.どうなんだろうなああいうの.Pc310173

行列したおかげで常磐線をえらく待たされそうだったのでタクシーで帰ったのですが,近くには東漸寺という有名なお寺もあるそうです.こちらも葵の御紋があしらってあって由緒正しそうな雰囲気です.次はあちらで.

帰ってから「美の壷」をしみじみ見て寝ました.ひょうげもん織部についてはモーニング連載中だし.ってか,年末年始の番組って意外とNHKとテレ東がよさそうな気がするのは,若くないってことかね.


『医療崩壊』

2006-12-30 19:02:00 | 生活

途中まで読んで置いてあった小松秀樹『医療崩壊』の続きを読みました.「日本の医療機関は、医療費抑制と安全要求という相矛盾する2つの強い圧力にさらされている。医療の最前線に立つ大病院の現場での「医師の立ち去り」の実態とは。虎の門病院泌尿器科部長が現状を報告し、対策を緊急提案する。」ということで,興味深いですし,ハードボイルドな文体で筆者の意見が前面に出ているのもよいのではないかなあと思います.下記リンク先のAmazon.co.jpのカスタマーレビューにあるような読後感を確かにもちます.

「医療崩壊」の問題は法と経済学とか医療経済学とかの課題として考えられるべきではないかと思うのですが,そう思って読んでいくと,著者の「市場原理主義」に対する強い嫌悪感にびっくりしてしまいます.「日本の勤務医は,経済学が前提とする,常に自分の利益の拡大を図る経済主体ではない(p.157)」と書いてあったり,イギリスやアメリカの医療の崩壊についても言及したりしているのですが,開業医志向とか診療科の選択とか,イギリスの医療崩壊は「経済学的な」思考で検討可能なわけですから,そういう言い様はないよなあと.医療の平等性とか社会的共通資本としての医療とかいう話にはえらく共感しているみたいなのですが,実際問題として健康の不平等は存在し,マクロ指標でみれば(というあたりに注意が必要ですが)医療は奢侈財だったりするので,そういう価値観がらみの問題についてはもちっと注意したほうがいいかなあ,と思ったりするんですが,きっとそれは経済学専攻の大学教員の逃げと言われちゃうんでしょうね.

マスコミや患者の考え方そのものへの批判の展開は,久坂部羊『大学病院のウラは墓場』(12/15付)にも共有されるところですが,だからといって「マスコミは勉強しろ」というのは正道ですが短絡的かなあと.記者さんも忙しいんですし,というのはこの本273ページあたりで言及はされてますね.医師への激しい糾弾というのは,昨今見られる専門家軽視の風潮と同根なんでしょうか,と書いてから「専門家軽視の風潮」ってあったんだっけ,と心配になったり.ああでも,「ニセ科学」がうけちゃう「世間」と共通するところはあるんだろうなあ,と思います.「ニセ科学」については阪大・菊池誠先生のサイトが有用です.きむきむにーやんのサイトからリンクされているる動画も参照のこと.

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か 小松秀樹
医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か
朝日新聞社,2006年

仕事納め

2006-12-29 19:45:00 | 生活

カレンダーを見て,なんとなく「金曜日まで仕事だねえ」と思っていたら,たいがいのところは28日木曜日に仕事納めだったということを28日の夜に知ってがっかりしつつ,referee reportを書いて1日が終わった,そんな金曜日.


情報の非対称性か,選好か?

2006-12-22 01:00:00 | 生活

「どうしてこんな状況になっちゃっているのであろうか」とか「なんでああいう行動をとる人がいるのであろうか」とかいうのは,その対象が社会現象・経済現象であれば社会科学やその一部である経済学の研究のきっかけになるのでしょうが,経済学分野での答え方では,「どこかに市場の失敗があるから」であるとか,個人とか企業とかの経済主体の行動にかかわるものであれば,情報や予算や制度的な制約がかかっているかとか,そういう答えになります.そういうなか,とくに個人の行動については「だって選好がそうなんだもん」という答だってあってもよさそうなものなのですが,よほどのことがない限りこういう答は期待されません.「それを言っちゃあおしまいよ」ということなんでしょうか.

前振りが長いですが,10代の若者がドラッグや無防備なセックスやチキンレースといったような危険行動に走るのはなぜか,ということについてのおもしろそうな論文が出た,というのがNewsweekに出たり,医学都市伝説に出たりしてました.「制約」が問題である,という解釈に立てば,「若者はドラッグの危険性などをちゃんと分かってないからああいうことをするんだ.広報や周知徹底が必要だ」という話になってポスターが作られたりするわけですが,ここで取り上げられた論文では「若者はこれらの行動のリスクをより過大に評価しており,その損得を行為がもたらす快楽や連帯感と比較した上で行動しているのだ」と述べられてます.つまり問題は情報の非対称性ではなく選好だと.

ここから導かれる"政策的な"結論は,若者が行いかねない危険な行動に「制度的な」あるいは「予算上の」制約をつけるか,選好そのものを変える,ということになります.「ダメなもんはダメなんだ」と瞬時に反応するように教育するってことでしょうか.ううむ.どうやって? Newsweekが述べているように,若者は新しい無謀な行為を次々と考え出すかも知れず,それに対して「事前に」教えるのは難しいかもしれません.Peer effectは大きそうだし.

しかしなんていうか,「質問されてから答えるまでの時間を計る」とか,心理学分野ではよく知られた手法みたいですが, すごいことができるんですねえ.意思決定にかかる取引費用なんてのもそのうち経済学で実証されるようになるんでしょうか.もうされてたりして.

Valerie F. Reyna and Frank Farley. 2006. Risk and Rationality in Adolescent Decision Making: Implications for Theory, Practice, and Public Policy. Psychological Science in the Public Interest 7(1). [ジャーナルのサイト]


事務職員の校長

2006-12-21 23:36:00 | 生活

大学の学部長や学長(総長)は教員(教官)がならなければならないのかどうかしりませんが,公立小中学校では事務職員出身の校長が生まれつつあるそうです.(via 俺の職場は大学キャンパス).学科長や院長さんはなんだか忙しそうだし,会議では「そんなことで文句言うな」みたいな顔をしてることもあるし,教員出身でない学科長が出てきて仕事の振り分けができるとさぞかしよろしいんじゃないかなあと思ったりします.リンク元を参照のこと.


びっくりな2次会

2006-12-16 18:08:00 | 生活

現在K大学にいるUくんの結婚式の2次会で知り合った某シンクタンクのNさんが結婚するというので2次会に行ってきました.姉さん女房,というやつですね.当事者本人以外の知り合いは3人くらいしかいないんじゃないだろうか,と思っていたら,前の職場で隣の室にいた人が2人もいてびっくりしました.びっくりしたのはそういうことじゃないんですが.当のUくんにも会えたのですが,ちょっとばたばたしちゃいました.しかしなんだか綺麗な人が多かったですねえ.にやにや.……とかいうと,また新婦に叱られちゃうんでしょうねえ.

それはそれとして,竹中平蔵先生は日本経済研究センターの特別顧問になられたそうで.ははあ.


大学病院の役割

2006-12-15 18:01:00 | 生活

久坂部羊『大学病院のウラは墓場―医学部が患者を殺す』という本を衝動買いしたので(最近,新書の衝動買いが多いかも),ばばっと読みました.タイトルだけ見ると,「三四郎池の医学部側には遺伝子変異の実験で作られた三倍体の植物などが捨ててある」とかいう都市伝説化と思いきや(誰も思わないか),さにあらず,「大学病院は事故を繰り返し,患者の期待に応えられないのか」を論じた本です.話の雰囲気としては『医療崩壊』に似ているのです(読み始めたですが読み終えてない.あんまり激しいので)が,故なきことではなくて,この久坂部羊という作家は阪大医学部を出たお医者さんだからではないでしょうか.この本もまた「世間」が大学病院や医療に抱く見方や期待を変えねばはじまらん,ということを述べていて,それも「ちょっと考えれば分かるでないか」という点が多いと思います.大学病院は研究・診療・教育の3つの役割を持っており,それと医学の進歩にともなう分野の細分化などがあいまって医療過誤が起きかねない,という話です.考え方はやや保守的かなあと思いますが,いや嫌いじゃないです.「必要悪としての医局」「理にかなっていたインターン制度」などは今後の医療の存続を考えていくうえでは重要なテーマだと思います.「競争」や「透明性」が好きなひとにとっては気に食わないのかもしれないですが.大学病院が「許される人体実験をする場」であるといった認めたくない事実を認めていくことがマスコミの報道姿勢も変えていくんじゃないかというあたりは,潜在的に報道機関が優れた情報収集・処理能力を持っているだろうことを考えれば同意したいところです.都市計画でもそうですけど,ある程度の計画が必要な分野ってあるんですかねえ.

それはそれとしていくつか気になったところを(本筋とはちょとずれますが).

大学病院では,基礎研究を崇高なものと考え,診療を下世話なものと見る風土がある.基礎研究は科学だから知的で客観性もあるが,知見や臨床研究は生きた患者が相手なので,結果が不安定になる.(中略)インテリを自任する医師たちは,そういう不確実性を嫌う.(中略)ノーベル医学賞をはじめとして,「ネイチャー」や「サイエンス」などの一流雑誌に掲載されるのも,基礎医学の分野が多い.だから自らを優秀だと思っている大学病院の医師たちは,自分の目指すべき道はそちらだと考えるのである.(pp.100-101)

ほほおう.医学でそうなんですかー.

独立法人化で経営責任を問われるようになり,新臨床制度導入などで医師不足・入局者不足で医局運営も苦しくなり,関連病院からの医師の引き上げも行うようになった医局について:

医局という制度は,ある種の共同幻想によって支えられていたシステムだったようだ.(p.129)

「期待」が大きな役割を果たして均衡も変わっちゃう,というゲーム論の分析にぴったりじゃないでしょうか.どうかしら.