だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

そらへ.

2009-08-22 18:56:00 | 生活
ちょっとばかり前に「デリカシー」について考える機会があって以来,咽喉に魚の小骨が刺さったような心持ちから抜け切れず,いつもにまして,鬱勃……ではない,鬱々とした日々をすごしていたところ,500円で映画を見ることができるというニュースを発見して,うかうかと出かけていきました.そんなのに釣られてていいのか.いやよくない.

そんなマクラはどうでもよくて,「宇宙へ。」を見に行きました.この句点は要らないと思うのですが,そんなことはどうでもよろしい.この映画は,世界天文年・NASA設立50周年・人類による月面着陸40周年に合わせた形で公開されたBBCのドキュメンタリ映画で,NASAの未公開映像満載です.公開2日目までは500円というのも,宇宙産業では有名な石川島播磨……ではない,IHIがスポンサーとなったものです.IHIって「いひ」って読めますが,そのむかし旭化成が「イヒ!」というキャッチコピーでCMを流していたころ,「これは石川島播磨ではないか?」と思ったヒトも工学部や理学部にいたのではないかなあと思うと趣深いことでありますことよ.それはともかく,NASAのアーカイブ映像が満載というだけあって,60年代の開発競争から最近のスペースシャトルまで,そんなところでカメラ回してたのかよ,という映像が盛りだくさんで,おもしろかったです.月に行ったひとたちは,月面上でロケットを打ち上げて,月の上空(?)で周回軌道に乗っている司令船にドッキングして帰ってくるなんて知りませんでした.地球から打ち上げるときには30階建てのビルディングを飛ばすようなものでかなりのエネルギーを使うわけですけど,月面上だと意外とあっさり打ちあがるものなのですな.重力が小さいのと,重力圏から飛び出すわけじゃなくて司令船に届けばいいというあたりが原因なんでしょうが.月面上の打ち上げの様子を撮影するカメラが月面上に設置されているというのもまた準備のいいことで.

NASAの宇宙開発の歴史のなかでは,痛ましい事故も起きています.1967年のアポロ1号炎上事故,1986年のチャレンジャー事故,2003年のコロンビア事故.ロケットに乗り込んでいくクルーたちの希望と誇りに満ちた顔とその後の運命のあまりの対比には涙を禁じえません.また,その事後処理にあたる管制の方々の冷静な動き.いや,冷静なではなく,淡々とするべきことをしなければ耐えられない時間だったのかもしれません.これらの事件のあとも,予算の許すかぎり(!),NASAは,もちろんJAXAやCSAも,宇宙開発を続けます.映画のなかでもたびたび引用されるレーガン大統領の談話はこれらの事故とその後の開発への思いを適切に表しています.

And I want to say something to the schoolchildren of America who were watching the live coverage of the shuttle's takeoff. I know it is hard to understand, but sometimes painful things like this happen. It's all part of the process of exploration and discovery. It's all part of taking a chance and expanding man's horizons. The future doesn't belong to the fainthearted; it belongs to the brave. The Challenger crew was pulling us into the future, and we'll continue to follow them.
[中略]
The crew of the space shuttle Challenger honoured us by the manner in which they lived their lives. We will never forget them, nor the last time we saw them, this morning, as they prepared for the journey and waved goodbye and 'slipped the surly bonds of earth' to 'touch the face of God.'


かようなドキュメンタリなんですが,当然のように,対抗相手だったソ連の開発の様子などはほとんど出てこないです.最近のISSも出てこないです.Rocket Menの映画だからですね.

たまたま行った映画館では吹替え版しかなかったので吹替え版で見たんですけど,宮迫さんのナレーションはよかったです.ちょっとまえに沖縄でガレッジセールとアホやってたヒトとは思えない.そりゃそうだ.でもゴスペラーズは要らなかったかなー.科学者の希望と苦闘を愛だの恋だのとまぜっかえしちゃいかんと思うんですけどね.


お勧め本

2009-08-21 18:44:36 | 経済学
Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist's CompanionJoahua D. Angrist, Jorn-steffen Pischke. 2008.
Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist's Companion
Princeton Univ Press.

ぱらぱらめくっただけなのですが,きっとこれはいい本に違いないです.大学院生が勉強会とかやるんだったらぜひ混ぜてほしいと思います.ひととおりどうにかこうにかOLS・IVを勉強したヒトが読み直すと(ワタシくらいですね),「なるほどーっ」と思うのではないかしら,と読んでもいないのに思います.最近のプログラム評価ちっくな回帰分析に基づいているようですね.OLS,IV,Panel-IVをコアとして,拡張としてregression discontinuity design, Quantile regression, Nonstandard SEを扱っています.こういうのの訳本が出るといいんですけどね.労働経済のヒトがこっそり訳したりしないんですかね.

ま,最初に目を通したのはQuantile regressionの最初のところなんですが.しれっと書いてますけど,この最小化問題は手で解けないですよね?(←分かってないので,かなり不安)

Webのサポートサイト(?)はこちらです >mostlyharmlesseconometrics.com


タカハシ

2009-08-20 19:08:00 | 経済学
大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清松元崇.2009.大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清
中央公論新社.

大学3年次に国家公務員上級職と司法試験に受かるヒトというのはときどきいて,20代前半でテストの要領がよかったからなんだ,と思う向きもあるやもしれませんが,やっぱりそういうひとはタダモノではないものでして,そんなひとが明治から戦前の金融財政についてまとめちゃったのが「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清」です.僕はこの著者のかたを見たことがあるのですが,「あの方が書いたのであるなあ」と思って読むとそれっぽいところが随所にあって,個人的にはそういう意味でも非常に興味深い本です(高橋是清は2.26事件で惨殺されていて,その意味でも個人的には興味があるところです).「高橋是清」と大きくタイトルにあるのですが,伝記でもなんでもなくて,ちょうど高橋是清の一生にあたる期間の金融・財政の歴史がまとめられています.話がやや行ったり来たりするのでちょっと読みにくいところがありますが,テーマごとに章がまとまっているので致し方のないところなのでしょう.

僕は金融というのがかなり苦手で,実質と名目が乖離したり,国の数が増えたりするともうダメで,したがって国際金融はさっぱり分からん関係上,「正貨流出」がなにを意味するのかいまひとつというかいまふたつというかぴんと来ないのですけど,そこらへんの話が意外と中心あたりにあったりします.でもそこが苦手であってもこの本にはいろいろ情報が詰まっていて(「ちなみに」と「なお」という接続詞が頻出してます),おもしろいです(消化不良を起こしてます).数年前に昭和恐慌の研究が流行りましたが(いまでもなのかしら?),そこらへんの事情に詳しくない,というか常識もないぼくにはとりわけおもしろかったです.「財政的には負け戦」であった日露戦争後,中央政府は(当時としては)大きく公債に依存し,また中央-地方の経済格差が広がり,地方政府も財政難であった大正から満州事変前の昭和の財政運営の考え方,また明治期との比較などは現在に通じるところもあります.明治期の中央政府,あるいは大正期までの地方政府は,あるいは内閣をいくつもつぶしつつ,あるいは地方債発行を恥ずべきものとして,正面から増税していたのでありますなあ.

ぜんぜん関係ないですけど,「走れ!タカハシ」といえば,慶彦みたいですけどね(読んだことないけど).


夏休み

2009-08-17 10:27:26 | 生活
自分に甘く,他人に厳しくしてきたのは重々承知なので,天に唾することになるとはおもうのですが,それでも.

現在の日本では社会科学系の学部を出た学生はすぐに就職する(しようとする)ものと相場が決まっているように思われる関係上,わざわざ大学院なぞに進学すると学費もかかるし,少なくとも2年間の稼得所得は棒に振るので,そこまでして何かを得たいというココロザシには感服することしきりで,それに応じて負荷をかける(というと変ですが)ようにカリキュラムが組まれていると理解しておるところです.ということは,バブル期のCFじゃないですけど,24時間戦えますか,みたいなところがあって,土日を全て返上とは言わないにしても,とりあえず夏休み冬休みのような長期休暇は(授業がないという意味ではなくて)取れないのであろうし,ああなんて大変なんだろう,と思っております.なのですけど,それなのに.そんなものなのかしら.担当教員の圧力も権威もあったもんじゃないですな.水を飲ませることができないのは金融政策に限った話じゃないってことですか.


MOMAT

2009-08-15 12:00:00 | 生活
Image4東京国立近代美術館で開かれているゴーギャン展を見に行きました.こういう展覧会は往々にして混雑していて,入場まで長蛇の列をなし,入っても立ち止まってみることも叶わないということがあるので,午前中から行ってみたのですが,予想に反してすいてました.哲学的で難しそうだからでしょか.ゴーギャンといえばタヒチですが,5年ほど前にタヒチに行ったことがあることもあって,ちょっくら本物を見てみようかしらんというのが今回の動機です.タヒチにはGauguin Museumがあるのですが,これは美術館というよりは記念館・博物館という趣でして,大作「Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?」もあるのですけど,複製です(本物はふだんはボストン美術館にあります).ま,タヒチのような熱帯で温度湿度管理もあんまりないような記念館にああいった人類の至宝をおいとけないのでしょうか(『ギャラリー・フェイク』による).

美術館というのはやっぱり混んでいてはよろしくない,というのを実感しつつ見て回りました.詳細はこちらにあるとおりです.「Where Do We Come From?...」と並んでよく見かける「かぐわしき大地」には共通して,禁断の果実・楽園のエヴァといったキリスト教的なモチーフがあるんだそうですよ.ううむ.わからん.ゴーギャンとタヒチといえば,文明と野蛮だとか,西洋文明に汚染されていない自然だとか,そういう話になっているようで,それはそれでよいんですけど,そんなに言うヒトがなんでまたフランス領ポリネシアに行ったのか,というのは分かるようで分からんところです.ゴーギャンはフランスの人で,タヒチでもフランス語が通じたはずで,そんなに文明がいやなら言葉が通じないところに言ったりとか,油絵から離れたりしようとかしなかったのかしらん,と思ったり.

ということで,難しいことはよくわかんないので,この展覧会でのお気に入りは「路上の馬:タヒチの風景」でした.印象派的なタッチでタヒチの風景を描いた作品で,なんでしょ,タヒチでの有名な作品群とは雰囲気が違います.でもタヒチの空はもっと青くて高くて,山の緑はもっと深くて眩しかったような気がします.



シドニー!

2009-08-14 20:54:28 | Canada
ロイターより.
オーストラリア目指した男性、カナダのシドニーに到着

オーストラリアのシドニーに行きたかったオランダ人のおじいさんが,旅行会社に手配をお願いして孫と一緒に子供のところに出かけたところ,カナダはノヴァスコシア州にあるシドニーという町に行ってしまい,言葉が通じにくいこともあって困っていたところ,ようようオーストラリアのシドニーに着きましたよかったね,というニュース.なんでそんなことになるのかさっぱり分からんのですが,アムステルダムからカナダのシドニーに行こうと思ったら,たぶんトロントとかアメリカ東海岸とかで乗継があるはずで,そこで入国審査とかあるだろうになんで気がつかなんだのかと.他のニュースサイトをみていると,オーストラリアでは子供が迎えに行っていたとかいうのですが,迎えに行くときに飛行機の便名など確認しなかったのかと.このロイター報道でますますよくわからんのは,
かつては炭鉱町だった人口2万6000人のカナダ・シドニーに誤って到着するという同様のミスはこれまでにも何度かあり、2002年8月には英国人旅行者が同地で休みを過ごしたほか、昨年もアルゼンチンからの旅行者が空港で地元住民と仲良くなり、予定を変更して休暇を楽しんだ。
です.そんなに間違えやすいものでしょかね.カナダが世界的に知名度が低いというのは「珍質問集」から分からないでもないですけど,いやしかし.

カナダにしてもアメリカ合衆国にしてもオーストラリアにしても,かつてはイギリスの入植地であったために,イギリスの地名や人名にちなんだ地名がけっこうあります.シドニーという町はアメリカのモンタナ州にもあるそうです.YorkとNew Yorkなどは有名な例でしょうが,YorkといえばイギリスにUniversity of Yorkがあって,カナダにはYork Universityというのがあります.カナダのオンタリオ州にはロンドンという町がありますし,ウォータールー大学はフランスでもイギリスでもなく,オンタリオ州ウォータールー市にあります.

いやだからといって,海外から飛行機で行くようなときに間違えるもんでしょかね.ううむ.

シドニー! (コアラ純情篇) (文春文庫)村上春樹.2004.シドニー! (コアラ純情篇)
文春文庫



コーカサス

2009-08-13 14:44:30 | 経済学
中央アジアからコーカサス地方のかたとお話する機会をいただいたので,かなり遅ればせながら,というか遅れているのですけど,そのあたりの経済状況について日本語の資料がないかなーと思って探したのですけど,やっぱりというか意外とというか,あんまり見つからないもので(気合が足りないのかしらん),そのなかでも興味深そうなのがJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の出している「石油・天然ガスレビュー」ではないかと思います.しかしなんですね,独立行政法人の廃止統合の影響か,名前が長くて,あいだに・が入っていたりして,最後が「機構」で終わる団体ってけっこうおおいんですね.JAMSTEC(海洋研究開発機構)とかJAXA(宇宙航空研究開発機構)とかNARO(農業・食品産業技術総合研究機構)とかNIMS(物質・材料研究機構)とかJILPT(労働政策研究・研修機構)とか.やっぱりJかNで始まるのが多いですか.

ま,いちばん気になっているのは,去年のMSN産経ニュースの記事「ルポ「中央アジアの北朝鮮」トルクメニスタン 岐路に立つ独裁」でありまして,いやいやなんというか,話がかみ合わないのもむべなるかな,でございますよ.


芥子

2009-08-12 00:21:48 | 生活
構内の芝刈りなどがいつのまにか進んでいて,予算消化にしては時期が早いと思っていたら,オープンキャンパスだったようで,希望に溢れる高校生とその父兄が多く訪れていたようでした.部屋に閉じこもってうじうじしていたのでぜんぜん状況は知らないんですけど.

かようなイベントもあったりする(うちの職場はあんまりないみたいですが)ので,授業が夏休みに入ったからといって教員が休みになるわけではないです.授業期間の残りもののレポートの採点っつうのもあります.履修者が少ないので,また少ないことを売りにしているくらいなので,ちょっと丁寧に読んだりするわけですが,なんだか分かってんだか分かってないんだか分からないのがあったりして考え込むこともあります.なにを考えてらっしゃるんでしょうかね.ううむ.締め切りのあるレポートの中間報告がなかなか上がってこなかったりするのも,どうなんでしょうねえ.

メールの返事が来なかったりするのも,相手もいろいろ忙しいんだろうし,考えることもあるんだろうし,ま,私は私,芥子は芥子,縁もゆかりもないものを,と思い切ったりするのもいかがなものであろうかとしみじみ考え込んでしまったりするのも,世の中の不思議さを感じさせて悩ましいものであることよ.……と,古文の現代語訳みたいに思う今日この頃です.この心の揺れを映じて地面が揺れたわけではないとは思うのですが.


医療費補助

2009-08-11 16:42:33 | 経済学
日経NETから.
中学生まで入院費軽減、500市区町村に拡大 日経調査

「日本経済新聞の調査では」とあるんですけど,どうやって調査したんでしょか.全市町村にアンケートでも送ったですかね.ついでなので(?),一覧表にして公開していただけるとたいへんありがたいのですけどねー,と思ったり.

「安易な受診の増加」があるとするなら(あるかどうか分からないですけど),人口流入を促すために市町村・都道府県間で過当競争が起きているわけですから,中央政府が競争を制限しないといけないんでしょうが,そういうのってやっぱり分権がはやっているご時世には認められないんでしょうか.ううむ.



博士濫造

2009-08-07 09:37:06 | 経済学
米国なら99%不合格?「博士5万人」の粗製乱造ぶり:「教授は地に満ち、犬の数は博士の数にも及ばない」

日経ビジネスオンラインの記事ですが,日本のことではなくて中国の話です.よかったよかった.博士の就職難という事情はよく似ている気がしないでもないですが,でも「西南交通大学は副学長の黄慶の博士号を博士論文の剽窃を理由に取り消すと発表」なんてことは日本ではないと思いますし.あ,経歴を詐称していた教授ならいたんでしたっけね.


末は博士か大臣か」とは,もはや出来の悪い金持ちの坊ちゃんの行く末を嘆く言葉なのかもしれません.ああ,昭和は遠くなりにけり(?).