だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

期末レポート

2011-08-17 23:17:00 | 生活
省みてえらそうなことは言えないものなのですが,あんなに担当教員の言うことは聞かれないものなんですかね.

それはそれとして,冷房が設定されている研究室内のほうが廊下よりも蒸し暑いのはいったいなぜだ.と思ったら,ぼくの部屋のの冷房は切られている雰囲気.マジかよ.辞める人間にはここまで冷たいかね.しかしまあ,学生のレポートはよくわかんないし,冷房は切られるし,共著者たちにはコミュニケートできないし,Gmailがメールチェックに行ってくれないせいで2日間ほどメールを溜めちゃうし,Stataのコマンドは10では動かないし,電車に乗れば酔っぱらいのおっさんによりかかられるし,生きる気力を失いますな.中央線は影響が大きそうだから武蔵野線かなあ.


平均限界税率の計算

2011-08-11 12:12:24 | 経済学
日経ビジネスオンラインに,大津敬介先生による「日本人の労働時間はもっと減っていてもいいはず」というのがでていたのでちょっくら読んでしまいました.内容は総じてそんなもんなのかしらん,なのですがちょっと気になるところが.

労働供給量に対して賃金税が影響を与える可能性がありますよ,といって

また、少子化の他にも、労働供給の決定要因として重要なものに労働所得税率がある。郡司大志(大東文化大学専任講師)と宮崎憲治(法政大学教授)の推計によると、日本における社会保険料を含む労働所得税率は、1963年から2007年にかけて23%から33%に上昇した。ここで注意すべきなのは、彼らの推計値は労働者の合計税負担を総労働時間で割った平均税率ではなく、それぞれの労働者が直面する限界税率の平均値であるという点である。
としています.根拠になっているのはたぶん,Gunji and Miyasaki (2011, JJIE, こちら)で,マクロ統計を使って平均限界税率を計算しました,という論文のようです.手法はよく分かんないのですけど,申告所得税と源泉所得税に分解してマクロの統計をあてはめて計算しているようです.サラリーマンも修正申告に行けば申告所得税の統計にはいっちゃったりするのは修正されてんのかしらん,とか細かいことが気になったりするのですがそれはそれとして.

最近,似たような計算をした(JIL雑誌のためですがな [pdf])のですけど,限界平均税率ってそんなに高いのかしらん,と思います(社会保険料が入った結果はこれの4枚目).1960年代半ばから現在へかけて,限界税率が20%台なかばから30%台へうつっているのは,世帯所得でいうと上位20%くらいの人たちで,中位値でも現在の限界税率は30%を切るくらいです(平均税率は20%を切るくらい).おや?

ずれる理由はさまざまあって,たとえば,僕の試算はいまや標準とはいえなくなった標準世帯(サラリーマンのオットに専業主婦のツマ,中高生と小学校の子どもが1人ずつの4人世帯)を想定していて,政管健保等の仮定を置いて各種控除はいろいろ無視しています.中位値,といっていますがこれは家計調査(ただし2人以上の勤労世帯)に依存しています.標準世帯は控除の恩恵を受けやすいですが,住宅ローン控除等を考えれば過大評価のような気もします.所得が低い(税率が低い)傾向のある単身世帯を無視している点では過大評価かも.ということで,僕の試算が正しいとは主張できないし,こういうった数字は使い道に依存するところもあるのですけど,でもなあ,と思ったり.中流(!)のひとの限界税率はあんまり変わってない気がするんですけどねえ.

個人の労働供給行動は税制や社会保障制度の影響をそれほど受けないように思うのですけど,これをマクロで測ると意外と大きな効果があるかも,というのはよく言われる(たとえば國枝さんのこれ)ことなので,マクロでの労働時間へ影響しているという試算自体はそんなもんかなあとおもったり.ま,財政のひとが労働供給のはなしをしてもしょうがないんですけどね.


『国家は破綻する』

2011-08-08 21:11:54 | 授業ネタ
これまた少し前のベストセラー(?)『国家は破綻する』を読みました.この本,原題は「This time is different」なので,タイトルはけっこう意訳されています.金融800年の歴史における国債のデフォルト(債務不履行)の起き方,その影響,債務危機と並んで銀行危機・インフレ・通貨危機との同時発生性についてオリジナルな広範なデータを分析しています.一般向けを意識しているようで,めんどうな統計解析は出てきません.なので,グラフだけ見ると「おや?」と思うところもあるのですが,主張は明確で「今回は違う,なんてことはない」です.

アメリカ国債がデフォルトするかも,というご時世ですが,この本では「1942年に日本国債がデフォルトした」というデータを使っています.幕藩体制のもとで大名の借金がデフォルトするのはけっこうあったようですが,明治期以降に日本国債がデフォルトしたとは聞かないなあ,とおもってぐぐってみたところ,同じような疑問をもつひとがいたようで(あとがきなどにも「財務省高官から抗議が来た」とあるので,国内的には有名な事例ではないらしいです),調べたひとがいました.これこれです.こちらのほうがいろいろ調べてあるのですが,惜しいことに財務省のウェブサイトのリニューアルにともなってリンク切れが起きているので,そこを補って部分的にコピーしておくと,

結論を言うなら日本側の史料は存在する。一次史料は見つけられなかったものの、1974年に発行された「財政金融統計月報」10月号"http://www.mof.go.jp/pri/publication/zaikin_geppo/hyou/g270/270.htm"がずばり「国債特集」を組んでおり、その中で過去のデフォルトに言及している記事があったのだ。「政府関係外債について」"http://www.mof.go.jp/pri/publication/zaikin_geppo/hyou/g270/270_c.pdf"という当該記事の2ページ目には、第二次大戦当時の外債についての説明が載っている。

それによると戦争勃発時点で日本が発行した外貨債残高は「英貨債13銘柄8,800万ポンド、米貨債14銘柄2億8,300万ドル、仏貨債2銘柄3,700万フラン」だった。うち約半分は日本人が所有し、残りの大半は連合国の投資家が所有していたそうだ。日本政府は自国民に対しては円建てで、友好国(ヴィシー政権下のフランスなど)の投資家にはスイス・フラン建てで元利払いを続けたが「連合国人所有のものに対する支払いは全く行いえず、元利金の不払額は相当な額に上つたとみられる」そうだ。

債権者の合意なしに元利払いを止めたのだからこりゃデフォルトだろう。意図的に止めたのではなく「開戦後は送金の路が閉ざされ、在外債券に対する元利払いは止むを得ず中断されることとなった」(財務省今昔物語8 "http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1006372"のp.109)との主張もあるのだが、投資家の手元に支払いが届かなければデフォルト扱いになるのも止むを得ない。大蔵省(現財務省)の統計資料で「不払い」を認めているのだから、日本が債務不履行を引き起こしたのは事実と見てよさそうだ。

ただ日本側は(あるいは大蔵省は)債務不履行という文字を使うのは嫌がっているようで、不払いを認めているもののデフォルトだとはどこにも書いていない。それだけでなく「政府はこのままでは国際信義上問題であるとして、とりあえず、横浜正金銀行に特殊財産管理勘定(SPA)を開設し、在外証券に対する資金はすべてこれに払い込ませることで処理した」とも書いて、日本側としては支払う意図を失っていなかったと主張している。もっともこの勘定に振り込まれた金が投資家の下に届いたとは全く書かれていないため、投資家から見ればやはりデフォルトだったのだろう。

ついでにいうと,かの財金月報には「大戦勃発後,海外送金の途が閉ざされたため,在外債券に対する元利払いは一時中断の止むなきに至った」ともあるので,「払うべき時に払わなかった」という意味では立派なデフォルトを起こしていたことになります.ついでに,富田俊基先生の「国債の歴史」にも「太平洋戦争の勃発(1941年12月)に伴って,日本国債の海外での元利支払いが不可能となった(p.435)」という記述があります.

こちらにあるとおり,日本国債のこのデフォルトは「支払い能力の喪失が原因ではないみたい」だから他のデフォルトとは違うんだ,というのはちょっと違います.国には徴税権がありますから,国債をデフォルトしないのは制度的には可能なはずで,ということは,国債のデフォルトというのは意図的なものであって,支払い能力とは直接には関係せず,「債務不耐性」のほうに関係します(ラインハート・ロゴフでもそういう書き方だったと思います).「支払い能力」を流動性や支払う「意思」とみれば,1942年の日本のデフォルトは確かにちょっとちがうかもしれませんが,かといって別扱いにするほどのものではないかと.

こういう小話は教科書に入れておけばよかった.


『宇宙創成』

2011-08-04 13:26:34 | 授業ネタ
これまた遅ればせながらの『宇宙創成』を読み終わりました.訳者が文庫版へのあとがきで書いているように,ビッグバン理論へいたる宇宙理解の物語であると同時に(というよりは)科学の発展のありようを宇宙論をテーマに描いたもの,というほうが正しいかもしれません.ということで,気になった名言をいくつか.

家が石で造られるように、科学は事実を用いて作られる。しかし石の集積が家ではないように、事実の集積は科学ではない。(アンリ・ポアンカレ)

だから,大学の授業で直近の話題をぐだぐだ話してもしょうがないんですよきっと.興味を持ってもらうためには必要なことかもしれないですけど.

重要な科学上の革新が、対立する陣営の意見を変えさせることで徐々に達成されるのは稀である。サウロがパウロになるようなことがそうそうあるわけではないのだ。現実に起こることは、対立する人々がしだいに死に絶え、成長しつつある次の世代が初めから新しい考え方に習熟することである。(マックス・プランク)

対立する陣営の学会の学会員が減っていくのを見ていればいいだけなのになあ,と思ったり思わなかったり.いやどこがどうってことではないです.一般論としてねえ.

科学者というものは、自分が発案したわけでもない理論に好意を示したりはしない。(マーク・トウェイン)

もちろん,自分の論文や理論は大好きってことですか.共著になると名前を消したくなったりすることもあるようなないような.だからちゃんとやろうよほんとに.