土曜日の夜に父方の祖母が他界した.8年間にわたって介護を受け,手も足も曲がって固まり,針を刺す場所もなくなり,体重も落ちたあとだった.ありとあらゆるところが正常に機能していないように見えた.昨年の秋頃に珍しく父親から呼びつけられて会いに行った時には初孫である僕の顔を認識していたが,この正月ごろにはずっと介護を担ってきた叔母さえ識別しなくなっていた.現代科学のもとでは人はいくらでも生き続けるのではないかと思えるほどだったが,さすがにそうではなかったらしい.
結婚式で新郎新婦が多忙であるように,葬儀では遺族が多忙であることを初めて知った.村落共同体らしきものが残っている父の里では浄土宗つながりの近隣の方々が初七日まで(今では初七日は葬儀の数時間後になるが)いろいろな世話を焼いてくれるが,そうはいってもさまざまな手配は近親者が行わざるをえない.叔母は指示を出す合間に泣き,泣く合間に指示を出していた.土曜の夜は祖母の子供たちは一睡もしなかったらしい.日曜日の通夜の夜は,夜伽ということで(用語が変だけど仕方ない),交替で鈴(りん)を鳴らし,香を絶やさないようにしなければならないから,二夜にわたって十分な睡眠がとれない状態だった.僕もしばらく棺の前で鈴を鳴らし,香を継いだ.遺影は直近の誕生日に老健施設で撮ったデジタル写真を引き伸ばし,修正を加えた写真だった.金切り声で叔母を呼んでいた最近の顔ではなく,祖父をたしなめ父を叱っていた頃の祖母の笑顔が見えた.じつは祖母本人がいちばんほっとしているのかもしれない.
葬儀がすんで火葬しているあいだに受け取った籠のなかのものを分配するという作業があった.食べ物なんかを満載した籠がお悔やみに送られてくるのを,手伝っていただいた方々と親族に分配するということなのだが,技術進歩で時間の制約が厳しくなると妙なところであわただしい.年に1度か2度しか近付かない僕には,誰が誰やらさっぱりわからないし,しきたりも知らないから,言われたとおりにものを並べるしかできないのが,叔母たちはああでもないこうでもないと議論しており,携帯電話もしばしば鳴る.仕事に没頭して悲しみを忘れるという仕組みになっているんだろうか.仕組みといえば,火葬場に併設された公営葬儀場は,祖母が入っていた老健施設の山の反対側にある.隣接する町が共同で運営しているのだが,よく考えてあるというべきかなんというか.火葬の設備もよくできているのか,煙突さえ見当たらない.野辺のけぶりも環境問題にはかなわなかったのだろうか.
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。(徒然草 第7段)