それはそれとして,最後のテロップを見ていたら,「取材:国沢五月」と出てきてびっくり.直接の面識はないのですが,オリエンテーリング界ではちょっと伝説的な人物と聞いています.さすがに.
好きでもないことを必死にやる.仕事とはそういうものだ.
伊坂幸太郎 『死神の精度 』 文春文庫 発売日:2008-02-08 |
計量経済学の手法の一つとして離散変数を扱うプロビットモデルというのがあります.これは,2択の状況を想定して,その決断がどのような要因に影響されるのか,というのを分析する手法でして,計算は面倒なんですが,統計計量パッケージに搭載されていることも多いので,数字を出すだけならそんなに難しい話ではありません.で,このプロビットの応用として2変量プロビットというのがあります.2種類の2択の状況をいっぺんに扱っちゃう方法で,「就業と出産」「喫煙と飲酒」なんていう分析に使われます.
プロビットのような離散選択モデルでは潜在変数を想定すると分かりやすいことが多くて,2変量プロビットでも2つの潜在変数を想定して,説明変数の線形結合に加法的な誤差項を足して考えることが普通です.被説明変数のうらにある潜在変数が2個あるわけなので誤差項も2つあって,2変量プロビットでは2変量正規分布を仮定してその相関係数も推定することになります.喫煙しそうな人は(説明変数の条件付きで)酒も飲みがちですよね,というのが分かる,てなものです.それはそれでいいんですが,ここのところなんとなく分からなくなっているのは,わざわざ2変量プロビットを使う意味がある場合というのはどういうときか,という話.
被説明変数が2個あるので,説明変数を2組用意するのですが,この説明変数の組が共通で(同じ説明変数を使っていて),それらの説明変数が全て外生変数と仮定するとき,それぞれのプロビットモデルを別々に最尤推定しても一致推定量が得られるのではないかと思うんですが,どうなんでしょう.もちろん,2つの誤差項の相関係数は推定の対象にならないので,相関係数に興味があるときには使えないですが,説明変数の係数のみが検討の対象であるとき,わざわざ2変量プロビットにしてどないやねん,という疑いがもやもやとアタマに滞留している今日この頃です.
もちろん,一方の被説明変数(か,その潜在変数)が他方の説明変数になっていて誤差項に相関があって,内生性の問題の解決のために同時方程式を組むというのは分かるんですが,説明変数が共通でしかも外生と仮定するんだったら,一本ずつやってもいいんじゃん,とぼんやりと思います.推定の有効性が上がるとかそういうことなんでしょーか.
自分で調べろ,っちゅう話ではあるんですが,誰か知ってたら教えてほしいなあ,と思って.
ということで,発表資料だけどどーんと公開.Comments welcomeです(改訂中だから).
概算要求94兆円台に 10年度予算、過去最大規模
ということで,執行停止したり規模を増やしたり公債発行したり,担当政権が変わって大変そうですが(厚生労働大臣はなんだかうってかわって静かな気がしますけど),日本経済学会ではアンケートをとっておりました.
経済学者の7割「消費税上げ必要」 日経と学会が共同調査ということで,「学識経験者の間では後世代へのツケに対する危惧が強い」んだそうですよ.そんな質問項目があったかしらという気もするのですけど.まー,広い意味では「後世代へのツケ」なんでしょうが,公債の償還のための増税が将来行われる,という一点だけに注目して「増税が必要」と答えたかどうかは必ずしも明らかではない,というあたりの事情も説明できたらなあと思います.公債残高の対GDP比が発散しなければよい,という意味では,対GDP比で200%になろうが300%になろうが,定義により「持続可能」ということになるのですが,単純な閉鎖経済を考えると,公債保有のために家計の資産の一部が民間資本に向かわなくなり,資本の過剰蓄積が起きていなければ生産が下がって効用水準も下がるというクラウディングアウト効果が発現するわけで,対GDP比で大きければ公債費も多くなるので税額も多くなるという意味では将来へツケが回るわけではあるのですけど,それ以外の経路の影響も考慮しないといけませんね,だからいまのうちに増税をして公債を減らしておきましょー,というロジックも有り得るわけで,そういうのを十把ヒトカラゲに「後世代へのツケ」といってしまうと,間違ってもないけど正しくもないわな,とまあそういう話.
しかし,560人からのアンケート取ったんだから,ここは個票を公開して「やっぱり公共経済専攻のほうが増税支持者が多いよね」とか「年齢が高いほうが増税不支持だよね(増税されないで死んじゃう確率が高くなるから)」とか,そういう分析をさせるんでしょうなあ,なんつっても学会が関与してるんだし.というのは,誰に訴えればいいんでしょーか.やっぱり会長なのかしらん.
経済学者アンケートといえば,10年ほど前にアメリカ経済学会で行われたのがあるのですが,その後こういうのは行われてるんでしょうか?
Fuchs, Victor R., Alan B. Krueger and James M. Poterba. 1998. Economists' Views about Parameters, Values, and Policies: Survey Results in Labor and Public Economics. Journal of Economic Literature 36(3), 1387-1425.
人間研究のパネル討論は興味深いものでした.ミクロ経済学的基礎のあるマクロ経済学というのはいまやスタンダードですが,心理学的・行動学的基礎のあるミクロ経済学,ってなことになっちゃったりして.そこらへんはそうはいっても程度問題で,心理学でも医学に近いようなひとたちは体内の物質の動きを見たりしているわけで,物質は原子で出来てて…ということなので,じゃあ素粒子の理論を知らないと金融恐慌はちゃんと説明できないか,というとさすがにそれはやりすぎでしょうから,「経済学」と名前をつけた分野でなにを担当するか,という話のような気もしたり.先端的な理論研究はそれでいいのでしょうけど,価格理論で説明できることや,価格理論のなかの数値で実際の値が分かっていないもの,なんてのもあるわけだし.
ポスターとしては,銭湯論文は目の付け所がおもしろくて,失礼を承知で言えば「出オチ」みたいなところはあるんですが,や,それがいいかなー,なんて.
特別セッションは「世界観」のを聞きに行きました.これもおもしろいのですが,取り扱いとしてはリスクのあるArrow-Debreuとどう違うのかしらん.いや,説明されてもわかんないと思いますが.いずれにしても,これまで捨象されてきたもののうち,利他心などが注目を浴びているのであろうかなあ,と感じました.
知らない人にいきなり電子メールを送るというのはなかなかに勇気の要ることです(ワタシは人見知りをします.)けれども,直接出向くには遠すぎるし面接予約が要るかもしれないとなると電話をすればいいのだけれども不在かもしれない,という状況においては電子メールという選択肢は手ごろなもので,社会的にも受容されつつあるのでしょう.電子メールの冒頭部分の書き方については定型があるようなないようなところなのですが,ここのところ,「~教授,○○先生」とか「○○教授」という宛名(書き出し)のメールを立て続けに受け取っておりまして,これはいったいどうしたことだ,ひょっとして自分の知らないあいだに昇進しちゃったのかしらんと粗忽長屋まがいの感想を抱いているところです(これから事務に問い合わせたほうがいいかもしれません).学生さんからのものなら,ひょっとして職位職階の存在を知らぬのではあるまいかとも思うのですが,そうでないとなると「とりあえず『教授』といっときゃいいんじゃないのへっへっへ」という下心が透けて見えておもろいものではないのじゃないかしらん.
知らない人にいきなりメール,というのも勇気が要ると思うのですが,研究室で学生と話をしていたら,ノックをして入ってきたスーツ姿の2人組みの方が,学生(来客)の存在を無視してそのまま挨拶して名刺を出して営業活動を始めたのには驚愕しました.呆気にとられていたらそのまま何か売りつけられそうな気がしたのでお引取り願ったんですが,ありゃいったいどういう精神構造なんでしょうか.小柄な学生だったので,ひょっとしてドアを入ったところからは見えなかったのかもしれませんが(まさか),学生だろうから無視してもいいと思ったのか,あるいは学生とワタシが不適切な関係に陥りそうだったのを体よく防止するという深遠なる意図でもあったんでしょうか.謎です.しかしもうちょと謎なのは,その営業の彼らがそのあと訪ねてこないことです.来客を無視して営業するくらいの度胸があるなら,いったん断られてももう一度訪ねるくらいの根性があってもよさそうなものなのですが.いや,来ないんだったら来ないに越したことはないですし,来られてもなにも買わないんですけどね.