だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

高校講義

2015-06-08 12:17:34 | 授業ネタ
いろいろあって,一貫校(付属校ではない)の高校で話をしてきました.リレー講義形式を取っているのですが,エネルギッシュな講義で知られる(?)F先生や,話のうまいことで有名なS先生もメンバーに入っているのでやりにくいといえばやりにくい感じでしたが,それはそれとして.2週間で1セットで,1回終わるごとに生徒の皆さんは講義内容を要約して疑問やコメントを書くという課題を課されています.このレポートを見たのですが,かなりぴっちり書かれていて,疑問やコメントもなかなか鋭くて,おおいに驚きました.卒業生の見方も変えねばならんかなあとも感じたのですが,たぶん考えるべきは,こういうのを書けた高校生が大学生になるとなんでああなっちゃうんだろうか,ということです(ああなっちゃう,が何をさすかは,名誉のために書きません).一つの可能性は,たぶんこの可能性が高いのですが,毎回レポート課題を課されるような授業を選択する生徒は,ぼくが接する機会が多いタイプの学生にならない,つまり他の大学や学部やゼミに進んでいるということです(サンプルセレクションの問題).フラットタックスを知っているような高校生が進学して僕のゼミに入るとは思えないわけですし.もう一つの可能性は,高大接続という制度のもとであっても,レポート課題の評価が成績や進学に影響するということです(インセンティブの問題).逆にいえば,成績評価が3段階(落第を入れても4段階)というアバウトなものではなく,また成績がその後の進路(就職とか)に影響することが分かっていれば,ああなっちゃった大学生であってもちゃんと学習してくれるのではないでしょうか.大学の学習でその手の外発的動機づけ(extrinsic motivation)を使うべきかどうかはまた別の問題でしょうが.

ということで,計量経済学的にもミクロ経済学的にもなかなか興味深いイベントでした.社会保障の話がうまくできなかったのは秘密です.


できる研究者の論文生産術

2015-06-08 11:44:51 | 授業ネタ

副題の「どうすればたくさん書けるのか」がテーマの本ですが,後半は文体や論文の構成についても書かれているので,「どうすれば書けるのか」はおもに前半で扱われています.メッセージは単純で「スケジュールに従って淡々と書く」だけです.「書く」といっても,執筆に必要な作業は,作業の種類を問わず「執筆」に含まれているので,実験や実査をしない種類の研究者にとってはほとんどがこの本で言う「書く」に入ってしまいます.帯にある通り,よい習慣は才能を超える,ということですか.

その点でわりと興味深かったのは第2章に紹介されている実験です.スケジュールに従わせるかどうかをランダムに大学教員に割り振った実験なのですが,執筆を欠かすとペナルティを課される条件におかれた参加者が執筆量が多く,書くことを強制すると独創的な執筆アイデアが浮かんできた,という結果が得られているそうです.そうかもなあというかなるほどなあというか.

個室を持つ社会科学系のけんきう者としては,ウェブとの接続を切って机に向かうような仕組みを作るというのはスケジュールを守るために必要かもしれません.あと,やることを表にしておくとか.そういえば,論文の多い本学部の某先生の研究室には論文の進行度合いがホワイトボードに羅列してあったような.あれもひょっとしてそうなのか.