「合理的市場理論はどのように発展し、神話となり、そして限界を露呈したのか。金融市場の発展を支えた理論の波乱の道のりを描く」という本でした.一般向けだろうと思うのですが,ちょっと難しいのではないかしらんと思ったりします.こういう本を読むと,教科書や授業で教えられる理論のエッセンスが出てくるまでにはいろいろなことが考えられていて,その過程で落とされていく事情や要因や,見過ごされてしまう前提があって,そういう見落とされたものが恐慌や暴落の時に思い出されるのであるかもなあと思ったりします.そこそこ長い本なので,すでに最初のほうで書いてあったことを忘れたりしてますが.
「行動ファイナンス」も広まっている分野のようですが,
行動経済学者など,効率的市場仮説に批判的な立場の者は,合理的市場の体系にあるさまざまな欠陥を発見してきたが,その体系を捨て去ろうとはしていない.アービング・フィッシャーが1世紀前に経済学に組み込んだ均衡の枠組みを取り払おうともしていない.例外的な事象やバイアスの研究に日々を費やしているが,マートン・ミラーの言う「市場の力」がどこかで働いていて,価格は少なくとも全体としてあるべき方向に向かうとまだ信じている.(第16章「ダブル・ノックアウトーーユージン・ファーマとリチャード・セイラー」387ページ)
というのが現状なんでしょうか.株価のランダムウォーク仮説なんかも話の出発点としての意義は失ってないってことですか.行動ファイナンスってぜんぜん知らないけど.
先日,計量の先生と話をしていたら,「取引の多くはプログラムによって実行されているなら,行動ファイナンスの意義ってなんなんですかね」という話を伺いました.確かに,相場がおおきく動くときに「プログラム取引が動きを増幅した」みたいな解説を見ることもありますが,「合理的個人」のコミットメントデバイスとして事前に作られたプログラムが取引パターンを決めているなら,行動ファイナンスの立場もどうなんでしょか.個別株にうっかり手を出しちゃう(で損をする)個人トレーダーの動きを説明できても,彼らの取引額が小さかったら,価格の動きへの影響は小さそうだし.ひょっとして,プログラムに組み込まれた感情,みたいな話になるのかしらん.ううむ.
ところで,この本のタイトル,「効率的市場 efficient market」ではなくて「合理的市場 rational market」なんですが,合理的市場ってあんまり言わないような気も.
合理的市場という神話 ―リスク、報酬、幻想をめぐるウォール街の歴史 価格:¥ 3,360(税込) 発売日:2010-09-23 |