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旧・ギターとともに.おやじの再出発ブログ
大病から復帰した親父が始めたギター。家族とギターとともに歩むマイペースな人生

ドキュメント2008・・・告知、そして闘病の決意

2009-02-08 22:23:33 | が~ん、その後の療養日記
こんにちは。Toshiです。
この記事では、当時、特に癌の告知から闘病の決意、入退院の頃の思いを綴ります。
 長文になりますので、概要をお読みになりたい方は、「かかった病気って?」をご参照ください。
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2008年4月下旬、私は睾丸(精巣)に違和感をおぼえました。若干の痛みを感じていました。
(今にして思えば、約1ヶ月前には、左下腹部にも違和感を感じこともあったのです。。。)
風呂に入りながら睾丸を見て驚きました。いつの間にか、左側の睾丸が大きく腫れているのです。

どうするべきか。。。

悩みながら迎えたその週末、家族で街に出かけた際、私の前で飛び跳ねていた息子のお尻が私に軽くぶつかった
のですが、その瞬間、私は大きな痛みを感じ、怖くなりました。
妻にも相談し、早く診てもらった方が良いと。。。ここで、病院へ行く決心がつきました。自覚してから1週間弱。
私は、恥ずかしさをかなぐり捨てて、近所の泌尿器科へ。明日からゴールデンウイークというタイミング。

最初は、炎症所見でした。軽い痛みを伴ったことと、腫瘍マーカーの数値は、基準を1pt上回るかどうかの微妙な値、
というのがその理由。なので、抗生物質を処方されました。また患部は氷嚢で冷やし、飲酒禁止の指示がありました。

しかし、1週間経っても2週間経っても改善が見られず、5月中旬にMRI撮影。(X線撮影等の撮影所見に定評あり、
という別の病院を紹介して戴きました。) 

結果、撮影した病院の所見と主治医の所見が一致。「一刻の猶予もない。直ちに摘出すべし」との診断になりました。
つまり、
・腫瘍があるのは間違いない。
・ただし、これが悪性のものかどうかの判断は、切除して病理検査するしかない。
・万一、悪性のものだった場合、転移等成長が早いことが考えられるため、急ぐ必要がある。
ということでした。

紹介された病院は、なんと「県立がんセンター」!!!!!

その理由は、
・切除するだけなら、もちろん別の病院でも可能。
・ただし、病理検査の結果が万一悪性だった場合、専門病院の方が絶対良い。その転院の手間は馬鹿にならない。
・その意味で安心できる病院をあたってみた中で、最も早く手術できる病院。
でした。

MRIの結果が言い渡されたのは、自覚から既に1ヶ月が経過。手術予約日は6月下旬、自覚から2ヶ月が経過します。
急ぐ必要があるのに、その判断ができるまで1ヶ月、そして手術までまだ1ヶ月も待たなければならないのです。
それだけ、手術の順番待ちがあることに驚きでした。

この段階においても、まだ私は楽観的で、手術の傷が癒えるまでの2週間程度の入院と高をくくっていました。
まさか、私が悪性の病気になるわけがない、と信じて疑わず、だったのです。

6月下旬、摘出手術。。。手術は問題なく終わりました。

しかし、摘出手術後の病理検査の結果、私の病名は、悪性の「精巣腫瘍」。。。いわゆる癌でした。
なんと10万人に1~2人。若い人が罹る癌。。。しかも、なんとも間の悪いことに、後腹膜腔リンパ節への転移まで
確認されたのです。リンパ節にある癌の大きさは、4~5cmに達する!!!
妻とともに告知を受けましたが、暫くは衝撃で言葉が出ませんでした。

なぜ、俺が。。。しかも、まだ42才。おまけに家を建ててまだ2年、子供はまだ6歳(当時)、いったいどうすれば。。。
毎日こんなに一生懸命生きているのに。。。なぜ俺なんだ。。。後厄のお祓いもちゃんとしたのに。。。

「精巣腫瘍の中でも、セミノーマという種類で、抗がん剤が良く効く癌で、予後も良好。ただし、3~4ヶ月の入院が
必要・・・とにかく、抗がん剤が良く効く癌なので、逆に積極的に治療して完治を目指す・・・」、医師はたんたんと説明
していましたが、私は、仕事中心で生きてきたこともあり、3~4ヶ月も仕事に穴を開けるということが、
どうしてもイメージできず、呆然自失状態でした。

妻が代替療法のことを先生に相談するも、つれなく「間違ってもそういう方向へ行って欲しくない」と一言。。。

セカンドオピニオンのこともあるので、とりあえず、入院したまま、暫く外泊することとし、帰宅しました。
手術で入院してから、9日ぶりの我が家でしたが、気分は晴れません。ちょっとヤケぎみで、入院中、苦もなくやめれて
いたタバコを吸う。。。

正直、悩みました。。。。。

現時点、私は非常に元気ですし、しかもメタボな身体。。。手術しても3Kgしか体重が減らず、全く実感がわきません。
医師は、悪名高き抗がん剤治療を勧める。3~4ヶ月もの間、仕事に穴をあけてまで、
また、元気な身体を痛めつけてまで、抗がん剤治療を行うのが、正しいアプローチなのか。。。。。

実は、以前から、妻が自然療法/ホメオパシーを勉強していました。妻はそういう代替療法の観点から、役に立てる
ことがないか一生懸命調べてくれました。玄米を中心とした食療法、お灸、ビワの葉温灸、こんにゃく湿布、
ビワのタネといった自然療法、朝鮮人参、梅肉エキスといった健康食品、更には私の性格を遠因とする副作用への
対処としてのホメオパシーなどなど。。。
もともと超ポジティブ人間の妻、このパワーには頭が下がりました。

 この過程で、妻がこのブログを見なさいと勧めてくれたのが、宮崎ますみさんのブログ「Trinity Life」でした。
 ホリスティック医療、「癌の本質」などなど。。。目からうろこの話がたくさんありました。
なぜ癌は出現するのか、性格に起因するところが大きいのでは・・・私の場合、癌出現の理由と性格の悩みは
根が同じではないだろうか。。。「癌の本質」を見て、感じました。

もともと、私は、必要以上に緊張する性質で、過去に心理療法のN先生に相談をしたことがあったのです。
更に、振り返ってみれば、この2年間、本当にストレスが大きかったなあ。。。

宮崎ますみさんのブログで気付きを得て、早速、N先生にも相談してみました。すると、驚いたことに、そのクリニックに
おられるY先生が癌にかかり、闘病中だというのです。
しかも、末期の乳がん。しかも、クリニックの先生方が、皆で協力して代替療法/民間療法を徹底的に調べ、
メニューを作り、手術なし6ヶ月でほぼ癌を消した!というのです。 驚きの連続でした。。。

闘病中のY先生は快くアドバイスをしてくれました。「やはり、目指すはホリスティック医療。西洋医学も代替療法も
良いところを活用し、自分にあう治療を行うのがベスト」とのこと。更に「あなたの場合は、リンパへの転移が確認
されているので、まず抗がん剤治療をすべき。」とも。。。
やはり、代替療法は時間がかかる。その間、ストレス生活を改善できるのであればまだしも、
変えられないのであれば、やはりリスクが高すぎる、との解釈。

この解釈には、背中を押してもらいました。確かに、放っておく選択肢もあるが、今以上にステージがあがれば、
更に治療が大変になる・家族への負担も大きくなる。。。子供もまだ小さいこと考えれば絶対生還かつ早期に!
と考えました。とすれば、やはり抗がん剤治療を受けるのがベスト、と判断しました。

副作用と身体へのダメージは確かに怖いが、それこそ、妻とともに自然療法で対処していこう、と思いました。

そう決めたら、なんか元気が出てきました!

妻は、副作用止めや身体へのダメージ対処として、身体改善を目的に玄米食への切り替えや妙法人参のエッセンス、
水素水などを、また癌への対処として、ビワの葉温灸用に大量のビワの葉やビワのタネを用意してくれたのです。
それから、子供との約束を果たしに海水浴へ行ったり、マクロビオティックスのレストランなどへ行ったり、
前から行きたいと思っていた「Kクリニック」へも行きました。再入院までのわずか1週間半の間に、やれる
ことはなんでもやろう、という気持ちで取り組みました。

因みに「Kクリニック」は、通常の診察の他に、知る人ぞ知る波動療法やホメオパシー、漢方など代替療法の観点
でも診察してくれるクリニック。

今回、受診した理由は、ホメオパシーを処方して貰いたかったのと、前述の「癌の本質」について、アドバイスを
頂戴したかったから。「私の性格上の悩みと癌は根が一緒では?」という私の考えなどをお話した上で、
ストレートに「私に癌が出来た理由」を訊ねてみたのです。そうしたら。。。ここでは言えませんが、
それはそれは、とても深いお話を聞くことができました。予約の1時間キッチリ。。。
それは、にわかには信じられない、他の医師からは絶対に聞けないであろう話、、、感動しました。。。

私はすんなり受け止めることができました。
私は、その話を信じて、処方して貰ったホメオパシーとともに、入院する決心をしたのです。

そうそう、先生のアドバイスには、もうひとつ、こんなのがありました。「奥さんの言うことが一番。奥さんの
意見を聞くように。。。それから、入院する病院には堂々と入っていきなさい。これがコツです」と。。。

もちろん、その通りにしました。。。

7月上旬、抗がん剤治療を始めました。私はPEB療法というもので、3週間1コース。これを4コース受けました。
やはり、副作用は苦しいものがありました。吐き気、嘔吐、食欲不振、便秘と下痢、骨髄抑制、口内炎など一通りの
ものを経験しました。頭髪も髭も抜け、爪にはシマシマ模様ができました。
体重は、ピークでマイナス16Kg。。。それでも72Kgはあり、各コース終盤に必ず外泊する体力がありました。
この時ばかりは、デブが功を奏したようです(笑)。

しかし、家族は私なんか以上に大変だったと思います。毎日のように病院にくるのも大変だったでしょう。
看病してくれた家族には感謝の気持ちでいっぱいです。特に、息子にとって、今回の出来事は、6才の小さな胸で
受け止めるにはあまりにも大きな事件だったと思うのですが、家ではあまり不安を口にすることもなく、妻に
つきあって病院に来てくれていたようです。きっと、たえず不安と戦っていたのだろうと思うと涙がでますが、
今度、お互いにその時の気持ちを伝え合おうと思っています。

10月上旬、お陰様で癌は消え、退院の運びとなりました。
結果的には、この治療法を選択したことで、予定通り、3ヶ月半で退院することができました。
会社に復帰してみれば、3~4ヶ月なんて時間は、ぜんぜん大したことではありません。十分にやり直せる、いや、
そういう類のものではないですし、むしろ私の人生に深みを与えてくれる大切な時間だったと考えています。

病院には、高齢の方も多かったですが、意外と同世代も多く、それどころか、10代の患者さんもおり、驚きました。
10代の彼から見れば、私の悩みなんか小さなものでしょう・・・
病気になったものは仕方がない。病気はなるときはなる。世の中を見てみればわかる。真面目に生きていようが、
人のためになるような仕事をしていようが関係ありません。病気にはなる時はなる。現実は厳しいですが、
「なぜ俺が。。。」ではないのだ、と改めて理解した次第。
多くの癌患者がそうであるように、私も当面、月一回の診察を受け続けることとなります。後遺症とともに。。。

私は、拾った命を大切に、生き方を変えつつ、病気と向き合い、打ち勝ち、家族とともに充実した人生を送る決意を
したのです。



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長々と書いてしまった記事、最後まで読んで戴きありがとうございました。
入院中のデータ、例えば、副作用の現れ方なども別途公開したいと思っています。

最後に、24時間完全看護の医療の現場で奮闘する看護師各位に敬意を表します。



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