スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」
監督 スタンリー・キューブリック
ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)で見た。製作50年を記念しての、2週間限定の上映。
他の劇場はどうか知らないが、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)では、見てはいけない。がっかりする。私は地方都市に住んでいるので巨大なスクリーンで、70ミリのフィルム版を見たことがない。最初に見たのは小倉の古い映画館(いまは、もうない)だった。フィルム上映で、横長のスクリーンだった。そのときの印象がいちばん強い。あと何回か見た。午前10時の映画祭でも2010年4月3日に見ている。これはフィルム版だ。このときも横長のスクリーンだ。私の感覚では、縦1、横2という感じ。ところが、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)はかなり正方形に近い。横のサイズが完全に不足している。これでは昔のテレビを大きくしただけである。「宇宙」の感じがしない。
私は、昔からユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多の音が大嫌いである。大きければそれでいいだろうという感じで、がんがん鳴らしている。耳が痛くなるだけである。月の基地で全員が耳鳴りに襲われるシーンの衝撃が台無しである。「青きドナウ」はまるで洪水だ。
大好きな映画を見るとき(再映を見るとき)は、よほど注意しないといけない。
「午前10時の映画祭」では「ゴッドファザー」のフィルム版が無残だった。漆黒の黒が安い喪服の黒になっていて、私は大変なショックを受けた。「七人の侍」は、デジタル版がよくない。かつらがつけていることがくっきりわかる顔が、かつらの境目を処理して目立たないようにしている。「映像」は「狙い」に近くなるのかもしれないが、手作りの力強さがなくなる。クライマックスも映像処理してつくったんじゃないか、と思ってしまう。(最初のフィルム版は、そういう処理ができなかった。)
私は、この映画では、ハルが「デイジー……」と歌うところが大好きだ。ハル頑張れ、負けるな、と思わずコンピューターを応援してしまう。で、大好きだから、大変な勘違いをする。8年前の「午前10時の映画祭」のときの感想で、あのデイジーの歌はハルが記憶が壊れていくことに抵抗して(何とか記憶を保とうとして、知性を保とうとして)自発的に歌ったのだと思っていたが、違っていたという感想を書いた(と、思う)。それなのに、私はまだやっぱりハルのことを勘違いしている。コンピューターをつくった博士に歌を教わるシーンがあって、そこにはデイジーが一面に咲いているという映像があると思い込んでいた。そんなシーンなどない。2010年に見たときは、しかし、それには気づいていない。記憶が間違っていたとわかったのに、記憶間違いに気づきながらも、そこに昔の記憶をひきずっていた。
で、変なことを書くのだが。
映画にしろ、他の芸術にしろ、「間違って覚えている」というのは大切なことだと思う。衝撃が、「間違い」を引き起こして、それが記憶になる。その間違いの中には、間違うことでしかつかみとれない何かがある。私は、いまでも(いつでも)、ハルが大好きだ。デイジーを歌う場面が大好きだ。そのときハルはデイジーの花畑を見ていないが、私は見ている。見える。スクリーンにないものまで見てしまう。このとき、私は、ほんとうに映画の中にどっぷりと浸っていたのだと思う。デイジーの花畑が見えなかったのは、私が映画に浸っていない証拠である。つまり、この映画は、私を勘違いさせるほどの魅力を持っていない。これは、すべてユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)のせいだ、と断言する。
ほかの映画館は、どうか知らない。この映画館では、絶対に見るな、と言いたい。特に、フィルム版を見たことがある人は、がっかりしてキューブリックの映画を見る気持ちがなえてしまうかもしれない。
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
監督 スタンリー・キューブリック
ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)で見た。製作50年を記念しての、2週間限定の上映。
他の劇場はどうか知らないが、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)では、見てはいけない。がっかりする。私は地方都市に住んでいるので巨大なスクリーンで、70ミリのフィルム版を見たことがない。最初に見たのは小倉の古い映画館(いまは、もうない)だった。フィルム上映で、横長のスクリーンだった。そのときの印象がいちばん強い。あと何回か見た。午前10時の映画祭でも2010年4月3日に見ている。これはフィルム版だ。このときも横長のスクリーンだ。私の感覚では、縦1、横2という感じ。ところが、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)はかなり正方形に近い。横のサイズが完全に不足している。これでは昔のテレビを大きくしただけである。「宇宙」の感じがしない。
私は、昔からユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多の音が大嫌いである。大きければそれでいいだろうという感じで、がんがん鳴らしている。耳が痛くなるだけである。月の基地で全員が耳鳴りに襲われるシーンの衝撃が台無しである。「青きドナウ」はまるで洪水だ。
大好きな映画を見るとき(再映を見るとき)は、よほど注意しないといけない。
「午前10時の映画祭」では「ゴッドファザー」のフィルム版が無残だった。漆黒の黒が安い喪服の黒になっていて、私は大変なショックを受けた。「七人の侍」は、デジタル版がよくない。かつらがつけていることがくっきりわかる顔が、かつらの境目を処理して目立たないようにしている。「映像」は「狙い」に近くなるのかもしれないが、手作りの力強さがなくなる。クライマックスも映像処理してつくったんじゃないか、と思ってしまう。(最初のフィルム版は、そういう処理ができなかった。)
私は、この映画では、ハルが「デイジー……」と歌うところが大好きだ。ハル頑張れ、負けるな、と思わずコンピューターを応援してしまう。で、大好きだから、大変な勘違いをする。8年前の「午前10時の映画祭」のときの感想で、あのデイジーの歌はハルが記憶が壊れていくことに抵抗して(何とか記憶を保とうとして、知性を保とうとして)自発的に歌ったのだと思っていたが、違っていたという感想を書いた(と、思う)。それなのに、私はまだやっぱりハルのことを勘違いしている。コンピューターをつくった博士に歌を教わるシーンがあって、そこにはデイジーが一面に咲いているという映像があると思い込んでいた。そんなシーンなどない。2010年に見たときは、しかし、それには気づいていない。記憶が間違っていたとわかったのに、記憶間違いに気づきながらも、そこに昔の記憶をひきずっていた。
で、変なことを書くのだが。
映画にしろ、他の芸術にしろ、「間違って覚えている」というのは大切なことだと思う。衝撃が、「間違い」を引き起こして、それが記憶になる。その間違いの中には、間違うことでしかつかみとれない何かがある。私は、いまでも(いつでも)、ハルが大好きだ。デイジーを歌う場面が大好きだ。そのときハルはデイジーの花畑を見ていないが、私は見ている。見える。スクリーンにないものまで見てしまう。このとき、私は、ほんとうに映画の中にどっぷりと浸っていたのだと思う。デイジーの花畑が見えなかったのは、私が映画に浸っていない証拠である。つまり、この映画は、私を勘違いさせるほどの魅力を持っていない。これは、すべてユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多のIMAX(スクリーン12)のせいだ、と断言する。
ほかの映画館は、どうか知らない。この映画館では、絶対に見るな、と言いたい。特に、フィルム版を見たことがある人は、がっかりしてキューブリックの映画を見る気持ちがなえてしまうかもしれない。
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