詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(114)

2018-10-30 10:21:45 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
114  E・A・ポーに

 ギリシアはどこにあるか。地理学的には地中海にある。しかし、文学的にはギリシアという国にとらわれない。「地理」を超越したところにギリシアを出現させる。

一度もヘラスの地を踏むことなく
地中海の紺青を遠望したことすらなく
あなたはヘレネとニカイアの小舟をうたった

 ポーのことばのなかにもギリシアはある。ひとは「ことば」を通して、見たこともない土地と人を知り、交わり、生きることができる。ギリシアを生きるのである。
 ポーのギリシアは、ボードレールによって発見される。フランス人が、アメリカ人の書いたギリシアを通して新しいギリシアを知る。誰も書いたことがない。既知なのに、未知のギリシアだ。未知なのに、ギリシアだとわかってしまう。そして、ボードレールは、

あなたのために フランス語の壮麗な墓を建てた
その顰みに準って 私も日本語の簡潔な碑銘を
新大陸の孤独なヘレニスト あなたにふさわしく

 高橋もボードレールにならって碑銘を書く。これが、その詩。
 そのことばのなかに「孤独」が紛れ込んでいる。
 ポーはアメリカで孤独だった。その孤独をボードレールがつなぎとめる。そのつながりのなかへ高橋も入っていく。
 三人は、それでは「孤独」ではなくなるのか。
 そうとは言えない。「孤独」のままである。「孤独」であることが、ことばをつなぐ力になっている。
 ここに文学の不思議がある。

 「ギリシア」は孤独か。多くの人がギリシアにあこがれ、ギリシアから影響を受け、ギリシアを書く。ギリシアは孤独ではない。しかし、そのギリシアを書く人は、「孤独」であるがゆえに、他の「孤独」とつながりあう。そして、その「つながり」のなかに「ギリシア」をつくりだす。







つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社



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