時里二郎『名井島』(1)( 思潮社、2018年09月25日発行)
時里二郎『名井島』。読まずに書くのだが「名井島」を私は「ない/島」は読む。「ある」「ない」の「ない」である。「ない」が「ある」ということが発見された(?)のはギリシャにおいてであると言われている。哲学、つまり「ことば」発祥の地である。「ない」のに、「ない」が「ある」と「ことば」で言うことができる。そういう「矛盾」のようなもので、時里の詩は動いている。これは、私がこれまで時里を読んできた「記憶」をもとに想像していることである。何も想像せずに、初めて時里のことばに出会うことができればいいが、そういうことは難しい。つまり、私は「偏見」をもって「誤読」する
「島の井」は、「主語」がわかりにくい詩である。
一連目に主語は見当たらない。「わたし」を補って読む。「わたし」は「きのふ」「島の井に寄つた」と。二行目を「倒置法」として解釈する。
しかし、二連目を読むと「けふが過ぎる」とある。ここから逆に読み直すと、一連目の主語は「きのふ」ということになる。人ではなく「時間」を主語にしてことばが動いている。「わたし」は補語である。「わたし」が存在しながら、「わたし」は主語ではなく、「わたし」以外のものが主語となっている。
しかし、そうなのか。
「教へられた」のは「誰」か。「時間」か。そうではなく「わたし」だろう。書かれない主語として、「わたし」は存在する。書かれないことによって「わたし」は存在する。書かれないの「ない」は、「ある」「ない」の「ない」と同じである。「ない」という「わたし」が「ある」のだ。
「わたしは帰らない」ではなく「帰らないわたし」というもの、「ない/わたし」が存在し、それを「うたふ」。誰が? 「書かれないわたし」である。虚構のなかに、「書かれないわたし」が動いている。つまり、登場人物ではなく「作者」が。
「目覚めつついまだ夜深く」は奇妙な言い回しである。目覚めるのは「朝」であり、「夜」なら眠られぬままだろう。もし夜に「目覚めた」としても、目覚め「つつ」とは言わないだろう。
しかし、ことばは、どう書いてもかまわない。いままでの表現では言えないことを言うには、どうしてもことばを別な方向に動かしていくしかない。ふつうは言わ「ない」ことば、その「ない」を浮かび上がらせながら、虚構を進めていくしかない。その運動の中で、「書かれないわたし/作者」が見えてくる。
「わたしといふ舫」の「わたし」は「比喩」である。比喩とは、いまここに「ない」ものをここに「ある」ものに覆い被せることである。隠すことで、隠されたものの本質を語るのが比喩である。
「ない/わたし」が「舫」を隠すのだから、その先には何も「ない」。何も見え「ない」。見えないことによって、逆に「ない/わたし」が「見える」。
こういうことは、あまり「理屈」で考えてはいけない。「論理」にしてしまってはいけない。なんとなく、感じればいいのだろう。
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時里二郎『名井島』。読まずに書くのだが「名井島」を私は「ない/島」は読む。「ある」「ない」の「ない」である。「ない」が「ある」ということが発見された(?)のはギリシャにおいてであると言われている。哲学、つまり「ことば」発祥の地である。「ない」のに、「ない」が「ある」と「ことば」で言うことができる。そういう「矛盾」のようなもので、時里の詩は動いている。これは、私がこれまで時里を読んできた「記憶」をもとに想像していることである。何も想像せずに、初めて時里のことばに出会うことができればいいが、そういうことは難しい。つまり、私は「偏見」をもって「誤読」する
「島の井」は、「主語」がわかりにくい詩である。
山羊のゐる家を過ぎて
島の井に寄つたのはきのふ
穴井の底の暗い水影から
まだもどらないわたしを待つて
けふが過ぎる
一連目に主語は見当たらない。「わたし」を補って読む。「わたし」は「きのふ」「島の井に寄つた」と。二行目を「倒置法」として解釈する。
しかし、二連目を読むと「けふが過ぎる」とある。ここから逆に読み直すと、一連目の主語は「きのふ」ということになる。人ではなく「時間」を主語にしてことばが動いている。「わたし」は補語である。「わたし」が存在しながら、「わたし」は主語ではなく、「わたし」以外のものが主語となっている。
しかし、そうなのか。
この島では
山羊の数だけのよろこびがあると
教へられたが
人のうれひについては
だれも口にしない
「教へられた」のは「誰」か。「時間」か。そうではなく「わたし」だろう。書かれない主語として、「わたし」は存在する。書かれないことによって「わたし」は存在する。書かれないの「ない」は、「ある」「ない」の「ない」と同じである。「ない」という「わたし」が「ある」のだ。
目覚めつついまだ夜深く
荒浜に出でて
なほも帰らないわたしをうたふ
「わたしは帰らない」ではなく「帰らないわたし」というもの、「ない/わたし」が存在し、それを「うたふ」。誰が? 「書かれないわたし」である。虚構のなかに、「書かれないわたし」が動いている。つまり、登場人物ではなく「作者」が。
「目覚めつついまだ夜深く」は奇妙な言い回しである。目覚めるのは「朝」であり、「夜」なら眠られぬままだろう。もし夜に「目覚めた」としても、目覚め「つつ」とは言わないだろう。
しかし、ことばは、どう書いてもかまわない。いままでの表現では言えないことを言うには、どうしてもことばを別な方向に動かしていくしかない。ふつうは言わ「ない」ことば、その「ない」を浮かび上がらせながら、虚構を進めていくしかない。その運動の中で、「書かれないわたし/作者」が見えてくる。
あすは半島のさきの
きのふの島の井の水の行方のはて
山羊ひとつなく漁の住まひに
島をみなの尻のやうに甕の底をのぞきに行くだろう
わたしといふ舫の先に
すでに舟はなく
島も見えないといふのに
「わたしといふ舫」の「わたし」は「比喩」である。比喩とは、いまここに「ない」ものをここに「ある」ものに覆い被せることである。隠すことで、隠されたものの本質を語るのが比喩である。
「ない/わたし」が「舫」を隠すのだから、その先には何も「ない」。何も見え「ない」。見えないことによって、逆に「ない/わたし」が「見える」。
こういうことは、あまり「理屈」で考えてはいけない。「論理」にしてしまってはいけない。なんとなく、感じればいいのだろう。
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評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」8・9月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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