113 P・V・シェリーに
この詩にはイタリアで死んだシェリーが出てくる。ギリシアが舞台ではなく、イタリアが舞台。そのイタリアを「ピュタゴラス」と「そらまめ」でギリシアに変えてしまう。
しかし、この禁忌をピュタゴラスは知っていたのか。そして知っているけれども、それをあえて破ったのか。これは、わからない。
「二百年後の解剖が許されるなら」と高橋は「仮定形」でことばを動かしている。
「許されるなら」からあとのことばは、すべて仮定、空想である。つまり、高橋の内部で起きていることだ。
「幻想」と高橋は呼ぶ。
「幻想」は「謎の言葉」を中心に動いている。伝えられる「謎の言葉」とは文学である。高橋のことばは、いつも「文学」から出発している。そして「文学」としてギリシアへ帰っていく。ことばとことばの緊密な関係、集中力がつくりだす緊密性、構築性へと帰っていく。
「幻想」にはいろいろな種類があるが、高橋の幻想は、「構造」そのもののなかにある。
モーツアルト、キイツ、シェリーと、ギリシアではない人間、ギリシアに住んでいない人間を通して、ことばで、ギリシアと彼らの間に「文学空間」 (ことばで構築された空間) をつくる。「構築する」という動詞で、高橋は、その世界へ入っていく。「これが、私のギリシア」と断定する。
この詩にはイタリアで死んだシェリーが出てくる。ギリシアが舞台ではなく、イタリアが舞台。そのイタリアを「ピュタゴラス」と「そらまめ」でギリシアに変えてしまう。
嵐の後 海が打ちあげたきみの胃袋の 二百年後の解剖が許されるなら
ひょっとして 咀嚼したそらまめの残骸が 見つかるのではあるまいか
そらまめを食べてはならぬとは 教祖ピュタゴラスの重い禁忌の一つ
しかし、この禁忌をピュタゴラスは知っていたのか。そして知っているけれども、それをあえて破ったのか。これは、わからない。
「二百年後の解剖が許されるなら」と高橋は「仮定形」でことばを動かしている。
「許されるなら」からあとのことばは、すべて仮定、空想である。つまり、高橋の内部で起きていることだ。
だが 後世のイタリア人は生そらまめを肴に 白葡萄酒を飲むのを好む
きみはヨットの上でそらまめを食べ 死者の国に招かれたのではないか
そらまめは死者たちに属しているとは ピュタゴラスの謎の言葉の一つ
そらまめで白葡萄酒のグラスを傾けながらの ぼくの肆な幻想だが
「幻想」と高橋は呼ぶ。
「幻想」は「謎の言葉」を中心に動いている。伝えられる「謎の言葉」とは文学である。高橋のことばは、いつも「文学」から出発している。そして「文学」としてギリシアへ帰っていく。ことばとことばの緊密な関係、集中力がつくりだす緊密性、構築性へと帰っていく。
「幻想」にはいろいろな種類があるが、高橋の幻想は、「構造」そのもののなかにある。
モーツアルト、キイツ、シェリーと、ギリシアではない人間、ギリシアに住んでいない人間を通して、ことばで、ギリシアと彼らの間に「文学空間」 (ことばで構築された空間) をつくる。「構築する」という動詞で、高橋は、その世界へ入っていく。「これが、私のギリシア」と断定する。