詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「継続性」という嘘(読売新聞のことばのつかい方)

2020-09-07 09:19:23 | 自民党憲法改正草案を読む
「継続性」という嘘(読売新聞のことばのつかい方)
   自民党憲法改正草案を読む/番外389(情報の読み方)

 2020年09月07日の読売新聞(西部版・14版)は1面と3面で、自民党総裁選に関する世論調査をしている。その見出し。

「次の首相」菅氏46%/経済政策「継承を」51%/本社世論調査(1面)

総裁選「圧勝」へ弾み(3面)

 どこまでも菅「よいしょ」をつづける。一般国民は「総裁選」への投票権を持っていない。いくら国民の支持が高かろうと「総裁選」には無関係である。だいたい国会議員の支持だけで有効票の過半数を超えているのということはすでに報じられている。「勝利」が決まっている人間に対し「圧勝へ弾み」と書いてもしようがないだろう。1票差であっても勝てば総裁なのだから。
 問題は「圧勝」ということばで、菅の「安倍継承路線」があたかも正しい政策であるかのように印象操作することである。3面には、こういう見出しもある。

「継続性」で菅氏支持

 「継承」を「継続性」と言い直している。だが、そういう「言い直し」をするくらいなら、何を継承・継続するのか、その点検の方が大事だろう。
 読売新聞は、3面に「簡単」に、こう書いている。

 読売新聞社の全国世論調査で、菅官房長官への支持がライバルの石破茂・元幹事長と岸田政調会長を大きく上回った背景には、コロナ禍が収束しない中、大きな政治的な変化を望まない国民が多く、「安倍継承」を掲げる菅氏に有利に働いた面がありそうだ。

 この「政治的変化」とは何を指すのか。具体的なことがさっぱりわからない。「コロナ禍が収束しない中」国民が求めるのは、まずコロナの終息だろう。ほかのことはともかくコロナを終息させてほしい。「大きな変化を望まない」は「これ以上コロナが悪化しないでほしい」であり、「すぐにコロナが終息するという大きな変化」なら、それは大歓迎で受け入れるはずだ。コロナが悪化するという「大きな変化」は困る、というだけのことだ。抽象的なことばは、具体的に言い直してみないと、その「意味」はわからない。
 でも、菅は、何をするのか。具体的に見てみよう。
 「自助・共助・公助」という理念から推測すれば、コロナは「自己責任(個人の責任)+共同責任(夜の街の人たちの責任、夜の街を管轄している自治体の責任」であり、「国は責任を果たしている」と主張している。
 国の果たした責任というのは、「GOTO」キャンペーンのことだ。キャペーンによって経済てこ入れをした。「GOTO」はこれからもつづける=継続する。それ以外は何もしない。
 ほんとうに、こういうことを国民は望んでいるか。

 「継承/継続」は何を継承/継続するかが問題だ。
 菅は、森友学園、加計学園、桜を見る会前夜祭などは「解決済み」と言っている。「解決済み」という「政策」を継続する。つまり、何もしない、と言っているにすぎない。公文書の改竄、破棄、隠蔽は継続されるのだ。
 経済はどうか。経済はアベノミクスによる成長が嘘だったことが判明している。ごまかしきれずに失速していることが判明している。それを「継続する」とはどういうことか。国民は低賃賃金で働かされ、株の保有者だけがもうかる啓作がつづき、多くの国民の暮らしがますます悪くなるということである。
 「継続/継承」は「よいこと」を継続/継承するときにつかうことばである。
 悪いことを「継続/継承」するとは言わない。
 経済が不景気ならば、「アベノミクス」にかわる新政策を打ち出さないといけない。新政策を打ち出して失敗したら菅の責任である、と言われるから新しいことを何もせず、安倍のやった通りにする。もし、経済が悪化しても、それは「アベノミクス」のせいであって、菅のせいではない、と言い逃れるつもりだろう。国民が安倍を評価したからそれを「継続/継承」しただけだ、と菅は言うだろう。「責任逃れだ、という指摘はあたりません」というつもりなのだ。
 消費税も社会保障に必要だから下げないと言っている。これも何かをするというよりは何もしないである。
 一方で、安倍がこれから「遺産」としてのこしていく「敵基地攻撃システム」を継承(つまり構築)するならアメリカからの武器の「爆買い」も継続される。
 読売新聞は、政策をひとつひとつ取り上げて、どの政策を継承すべきかと問うたわけではないだろう。病気辞任した安倍はかわいそうという「情緒」のなか、安倍はがんばったという「印象」をつくりあげたうえで、「継承/継続」ということばをつかっている。「現実」を分析した上で、「継承/継続」と言っているわけではない。

 政治とか、経済とかの問題はむずかしいが、簡単な例で言い直せば、たとえばジャイアンツが連敗し続け、最下位であるとする。そのときだれが「前監督の方針を継続/継承する」と言って新監督に就任するだろうか。「現状を打破する」ために「新監督」が登場するのである。違う方針で戦い、スランプを脱けだすために「新監督」が必要なのだ。いままでどおりを繰り返すのなら「新監督」は必要ない。

 菅と読売新聞の言う「継承/継続」は、単に安倍の「称賛」にすぎず、いまでも「安倍頼み」で動いているということなのだ。それは、裏を返せば、いつでも安倍が再復活してきて「安倍路線」を「継承/継続する」と言っているにすぎない。なにもかわらないのなら、「頭」をかえる必要などない。安倍を再復活させるために「継承/継続」ということばをつかっているのだ。
 これは逆に言えば。
 これからも何もかわらない。国民は我慢し続けることを「継承/継続」しろ、という意味なのである。すべては「国民の自己責任」という国の責任を放棄した政治がつづくということなのだ。










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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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