詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

こころは存在するか(38)

2024-07-15 20:35:21 | こころは存在するか

 和辻哲郎「鎖国」は、私にとって忘れることができない本である。この本によって、私は初めて「歴史」に興味を持った。歴史というものに対して、驚く、ということを知った。
 スペインから出発したマゼランは、マゼラン海峡(南アメリカ)を越え、太平洋を渡り、喜望峰(アフリカ)を越え、スペインへ帰っていこうとしている。このとき、マゼランは、すでに死んでいる。マゼランは、実は世界一周をしていない。乗組員は食料不足で苦しんでいる。そう書いた後、こんな文章が出てくる。

窮迫のあまり、ポルトガル官憲に押えられる危険を冒してサン・チャゴ島に上陸したが、この際最も驚いたことは、船内の日付が一日遅れていることであった。ビガフェッタはこのことを特筆している。自分は日記を毎日つけて来たのであるから日が狂うはずはがない。しかも自分たちが水曜日だと思っている日は島では木曜日だったのである。この不思議はやっと後になってわかった。彼らは東から西へと地球を一周したために、その間に一日だけ短くなったのであった。(210ページ)

 いまでこそ、「日付変更線」という「もの(概念)」があるから、なんとも思わないかもしれないが、当時はそんなことは知らない。「この不思議はやっと後になってわかった」の「わかった」は「だれ」がわかったのか、和辻は書いていないのだが、その「わかった」の根拠になっているのが(わかったを支えているのが)、ビガフェッタという乗組員の「日記」である。私は、ビガフェッタという人物を初めて知ったが、こういう「名もないひと(?)」が歴史をつくっているのだ。そのことに、私は非常に驚いた。彼がいなければ、私たちが「日付変更線」に気づくのは、もっともっとあとだろう。
 「東から西へと地球を一周したために、その間に一日だけ短くなったのであった」という文章にも、私は、こころが震えた。スペインを出発したのが「1919年9月20日」、カボ・ヴェルデ諸島に着いたのは「1522年7月9日」。この3年間近くの間に、短くなったのは「たった一日」。なんという不思議。3年も航海しているなら、もっと短くなっても、あるいはもっと長くなってもいいのに、「たった一日」。
 「実感」と「事実」は、こんなに違う。そして、「実感」のなかには「実感」ではとらえることのできない「見えない事実」がある。それは「論理的」に考えない限り「見えてこない事実」である。南北アメリカ大陸は、コロンブスが「発見」する前から存在した。だから今では「発見」と言わずに「到着」というのだが。この「日付変更(線)」は(日付の短縮は)、実は、どこにもない。どこにもないけれど「存在する」。それを存在させないと現実を支える「論理」が狂ってしまう。「虚構」なのに、「真実」。
 こういう「真実」が、歴史のなかにはもっともっとたくさんあるだろう。「ことば」によって初めて存在し始める何かが。こうしたものの存在を教えてくれたのが、和辻の文章なのである。
 このあと、和辻は、こうも書いている。

最初の世界周航は、スペイン国の仕事として一人のポルトガル人によって遂行され、右のイタリア人によって記録されたことになる。(210ページ)

 ああ、「記録」ということばの、なんという美しさ。強さ。
 和辻は、いつも「記録」をたどっている。「記録」のなかに隠れているもの、もう一度別なことばで言い表さない限り浮かび上がってこないものを書き続けている。そのことを教えてくれたのが「鎖国」である。
 ここからこんなふうに飛躍するのは、私の「誤読」の最たるものだが。あるいは「うぬぼれ」の。
 私は、この和辻の「姿勢」に強く励まされた。「記録(ことば)」を語り直すとき、そこからその「ことば(記録)」が隠し持っている(と思われるもの)が浮かび上がってくることもある。私は、詩を読んだり、映画を見たり、絵や彫刻を見たりするたびに、その「感想」、その「印象」を書いているが、私のことばによって浮かび上がってくる何かがあるかもしれない、とときどき思うのである。それは、たぶん、「ことば」を発した人、「芸術作品」をつくったひとの「意図」とは違うだろう。しかし、「意図」と違っていても、そこには「真実」があるかもしれない。作者の気づかなかった真実が。それを、もしかすると、私のことばは、別の誰かに指し示すことができるかもしれない。
 ビガフェッタは「日付変更線」が「発明(?)」されるようになるとは思わなかっただろう。「日付変更線」が存在しないと「論理」がまっとうに動かないということなど、想像もしなかったかもしれない。しかし、そういうことが「歴史」においては起きるのであり、それは何かしら、とてつもないことなのだと思う。

 ところで。
 私の持っている「鎖国」を収録した岩波版の全集第15巻、1963年1月8日第一刷発行、1990年7月9日第三刷発行には、たいへんな「誤植」がある。その後、どうなったか知らないが、203ページ8行目。(7行目から引用すると)

その航路はアフリカ南方の海峡を通って太平洋に出る道である。

 この「アフリカ」は「アメリカ」の誤植。アフリカ南端の喜望峰はすでに発見されている。
 気になっていたことなので、書いておく。


 

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