詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

特ダネ記事の「危険性」(読売新聞を読む)

2024-07-11 10:13:08 | 読売新聞を読む

 2024年07月11日の読売新聞(西部版、14版)に、「特ダネ」が載っている。リーク先は「複数の政府関係者」。誰かがリークし、それが本当かどうか確かめるために、別の政府関係者にも確かめたようだ。

 政府は、重大なサイバー攻撃を未然に防ぐ「能動的サイバー防御」で、自衛隊の新任務を創設する方向で調整に入った。武力攻撃事態に至らない平時に、発電所などの重要インフラや政府機関を守るため、攻撃元サーバーへの侵入・無害化措置を行う権限を与えることを検討している。
 複数の政府関係者が明らかにした。

これを、見出しでは、こう書いている。

自衛隊 平時も無害化権限/能動サイバー防御/新任務検討/対インフラ攻撃

 こういう「特ダネ」は何のために書かれるか。以前にも指摘したが、そこにつかわれていることばに対する「読者(市民)」の反応を見るためである。あるいは、読者(市民)に対して、これから政府が発表する「政策」に驚かないようにするためてある。過激な反応をしないようにするためである。「あ、そのニュース、もう知っている」と感じさせるために「特ダネ」記事(リーク記事)は書かれる。
 「発電所が中国や北朝鮮からサイバー攻撃され、電気が止まったら生活ができない。なんとかして防いでほしい」と読者は思う。「わかりました。サイバー攻撃される前に、攻撃元のサイバーに侵入し、攻撃できないようにしたいと思います。攻撃元のサイバーを『無害化』するために、自衛隊に、その権限を与えたいと思います」「ああ、それなら安心ですね」。
 こういう具合に、読者(市民)が反応するかどうか確認するためである。
 で、ここで問題になるのは、その「内容」もさることながら、「表現」である。「政府関係者」は、攻撃元のサイバーに「侵入し、攻撃する」とは言っていない。「侵入はするが、攻撃ではなく、無害化措置を行う」。
 「無害化」という聞き慣れないことば(表現)がつかわれている。
 しかし、実際は、あるサーバーに侵入し(ハッキングし)、その機能を阻害するわけだから、これは「攻撃」である。「攻撃」なのに、それを「攻撃」とは呼ばずに「無害化」と言う。「無害化」によって、日本の発電所が攻撃されなくなる。
 これは対象が「サイバー」だから、実際には何が起こっているか、傍からはわからない。その「攻撃」によって、誰かが死ぬわけではないだろう。だから、たぶん、読者(市民)は、そのまま何の疑問ももたずに記事を読み、「無害化」ということばも受け入れるだろう--たぶん、「政府関係者」も、リークされた記者(書いた記者)も、そう思っている。
 ここに、危険性がある。
 ことばはいったん「受け入れられる」と、どんどん拡散していく。きっと、この「無害化」は「サイバー」を対象とした表現にだけ限定してつかわれるのではなく、ほかの対象、たとえばミサイルに対してもつかわれるようになるだろう。
 中国の(北朝鮮の)ミサイルを「無害化」するために、そのミサイル基地(敵基地)を攻撃する。それは「攻撃」ではなく、「無害化」である。
 少し前は、この「敵基地攻撃」を攻撃することを「反撃」と呼んでいた。攻撃されたら、日本国内で「防戦」するだけではなく、その攻撃元に反撃する。「防戦」には限界がある。で、それが「防戦」→「反撃」から、「抑止力(=先制攻撃)の誇示」を含むものへと、じわじわと変わってきている。
 でも、この「反撃」にしろ「先制攻撃」にしろ、そこには「撃」という文字が含まれていて、どうしても危険な感じがする。
 この印象を、どうやって「消す」か。どうやって「隠す」か。
 「攻撃」ではなく「無害化」では、どうだろう。「無害」なら、だれも傷つかない。だれも危険な目にあわない。そう思わせるために、ことばが選択されている。
 注意深く読めば、その前段に「武力攻撃事態に至らない平時に」という表現もある。「平時」から、自衛隊は仮想敵国のサイバーに対して「無害化」を掲げて攻撃をするのである。攻撃してきたのが自衛隊であるとわかれば、仮想敵国は自衛隊に対して、あるいはサイバー防衛システムがととのっていないあらゆる企業に対して「反撃」してくるだろう。そういう「危険性」については、記事は何も書かない。「新任務」によって日本は安全になる、と主張するだけである。

 この「無害化(権限)」は、これから先、使用頻度が高くなっていくに違いない。
 ことばというのはとても奇妙なもので、発した人と、受け止めた人では「意味」が違うことがある。そして、その「違った意味」が暴走していくことがある。
 「戦争法」のとき問題になった「集団的自衛権」という表現は、もともとは同盟国であるアメリカが攻撃されたら、それを日本への攻撃と見なし、アメリカといっしょになって自衛隊が戦う権利を指すが、多くの市民が「日本が攻撃されたら日本だけでは守れない。アメリカのほかにフィリピンや台湾、そのほかのアジアの諸国と集団で中国、北朝鮮と戦わなければならない。多くの国と協力するのはいいことだ」と受け止め、「集団的自衛権に賛成」という声が広がった。「集団で日本を守る」と受け止められ、広がった。この「誤解」を自民党(あるいは安倍)は「修正」しようとしたことはないし、私の読んだ限りでは、読売新聞にも「集団的自衛権=集団で日本を守る」という理解が間違っていると指摘する記事は書かれていない。「誤解」をいいことに、「集団的自衛権」を推進したのである。
 平成天皇の「生前退位」ということばでは、とてもおもしろいことも起きた。だれが「リーク」したのかまだ明らかになっていないが、美智子皇后(当時)が誕生日の談話で「生前退位ということばは聞いたことがなく、胸を痛めた」というような趣旨のことを言った。これは「リーク元」は宮内庁ではあり得ないことを意味する。なぜなら、天皇・皇后や皇室を含め宮内庁関係者は「生前退位」という表現をつかったことがないからだ。(歴史的にも、そういう表現は出てこない、と美智子皇后は言っていた。)つまり、これは間接的に、「リーク元」が「政府関係者」であることを意味する。この談話の直後(その当日だったか、その翌日だったか)、読売新聞はあわてて(率先して)「生前退位」ではなく「退位」という表現をつかい、それに他のマスコミも追随した。きっと「政府関係者」が「生前退位」という表現をつかうのをやめてくれ、と言ってきたのだろう。

 ことばがどうかわっていくか。
 新しいことばは何をねらって「発明」されたのか。
 ことばの変化の「危険性」に注目してニュースを読む必要がある。今後、あらゆる領域で「無力化(権限)」ということばがつかわれるようになるだろう。その実質は何を指しているか、隠されたことばを掘り起こすことが大切になる。
 

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Estoy Loco por España(番外篇450)Obra, Sergio Estevez

2024-07-11 00:10:16 | estoy loco por espana

Obra, Sergio Estevez

 En las obras de Sergio se esconde un tiempo misterioso.
 No hay “novedad” en ninguna de las obras. Cada obra me da una sensación de “tiempo acumulado”. En otras palabras, siento el “largo tiempo” que está en sus manos que crean esta obra, y el “tiempo que las manos han vivido para crear esta obra”. Por eso siento nostalgia.
 ¿Qué tocó la mano de Sergio? Probablemente hayas tocado papel, tela, hierro y metal. O quizás hayas tocado la piel de una mujer, la piel de un hombre, la piel de un niño o la piel de un anciano.
 En todo esto, la “historia de las manos” transforma “materiales” en “obras”. Por tanto, lo que veo no es “color”, “forma” o “material”, sino el largo y rico tiempo que han vivido las manos de Sergio.
 Ese tiempo es tan cálido y rico. Por eso siento como si en algún lugar hubiera tocado algo que las manos de Sergio tocaron.

 Sergioの作品には、不思議な時間が隠れている。
 どの作品にも「新しさ」がない。どの作品も「蓄積された時間」を感じてしまう。言いなおすと、その作品を生み出す手のなかにある「長い時間」、この作品を生み出すために「手が生きてきた時間」を感じる。そのために「懐かしい」と感じてしまう。
 Sergioの手は何に触ってきたのか。紙に触り、布に触り、鉄に触り、金属にも触ってきただろう。あるいは、女の肌にも、男の肌にも、こどもの肌にも、老人の肌にも触ったことがあるだろう。
 そのすべて、「手の歴史」が「素材」を「作品」に変える。だから、私が見るのは「色」でも「形」でも「素材」でもなく、Sergioの手の生きてきた長く豊かな時間である。
 それがあまりにも温かく豊かなので、私もどこかで、Sergioの手が触れたものに触れたような気がしてくる。

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