詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

杉惠美子「ふらここのゆめ」ほか

2024-07-07 23:25:16 | 現代詩講座

杉惠美子「ふらここのゆめ」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年07月01日)

 受講生の作品。

ふらここのゆめ  杉惠美子

去年の10月 久し振りで兄と会った
口数少ない兄が コロナ以来の久々の高校のOB会で帰福するから
会いたいと言ってきた

再会を喜び チョコレートケーキセットをふたりで食べた
帰り際 今度はいつ会えるかね・・・と
兄は私の肩を3回 ポンポンポンとたたいた
何故か嬉しかった

今年 梅の花がしんしんと咲くころ
兄が倒れたとの連絡があった
今からリハビリの病院に転院します・・と
兄は言葉を失っていた

そんなある日 本棚を片付けていたら 大江健三郎の本が出てきて開けてみると
兄の字があった

 1969年11月    首相訪米阻止闘争の帰路

   霙ふる車窓に映る死人の目    徹

と書かれてあった 多分 兄から譲り受けた本だと思う
学生運動をしていた兄は 殆ど家にはいなかった

紫陽花の季節がやってきた
私は いつも通りの暮らしの中で 義姉からの報告と会いに行ける日を待っている

色褪せた本は 私の机の上で懸命にリハビリに励んでいる

 闘病中(リハビリ中)の兄を思う詩だが、2か所、特に胸に響く。まず、「兄は私の肩を3回 ポンポンポンとたたいた」。「3回」を「ポンポンポン」と言いなおしている。3回では抽象的だが、ポンポンポンによって、たたくが具体化している。肉体が、その瞬間に感じられる。杉は、「何故か嬉しかった」と、それをさらに言いなおしている。これは、思わず言いなおしたのだろう。無意識に言いなおしたのだろう。それくらい、うれしかった。「正直」がとてもよくあらわされている。
 この「肉体感覚」があるからこそ、その後の闘病、リハビリが「肉体」として迫ってくる。
 そして、その「肉体」と書いたこととは違った風になるかもしれないが、その後の大江健三郎、安保闘争、俳句の「ことば」が強く響いてくる。「肉体」があるからこそ、「ことば」が鮮明になる。「ことば」は抽象的なものだが、「肉体の不自由(不随)」によって、逆に何か、「動きたい」を強く浮かび上がらせる。
 こういうことは詩の感想として書いていいのかどうかいつも迷うのだが、もし杉の兄が倒れ、リハビリをしていなかったなら、大江健三郎以下の詩行は書かなかっただろう。何か、「肉体」が動かなくなったことを、「ことば」の力を借りて動かそうとしている「意思」のようなものを感じる。
 そういうこともあって、最後の「色褪せた本は 私の机の上で懸命にリハビリに励んでいる」が非常に印象に残る。「本」がリハビリをするわけではない。しかし、「本のなかのことば」、そして「兄の俳句」が、何かを求めて動いている。動きを取り戻そうとしているように感じられる。そして、そのとき「動きを取り戻すことば」は大江健三郎のことば、兄のことばではなく、杉自身のことばのようにも感じられる。
 大江健三郎が語ろうとしたことば、兄が語りたかったことば、それが杉自身のことばとなって動き始める。そのための、杉自身の「リハビリ」にも感じられる。
 書き出しの、さり気ない報告(散文)のようなことばが、連を展開するごとに別の次元を切り開いていく。大江健三郎からは、きっと読者のだれひとりとして想像しなかった展開だと思う。もしかすると杉も、書こうとして書いたというよりも、「事実」に引っ張られて、事実によって書かされたことばかもしれない。そして、その意図を超えたことばの誘いに従って、そのことばに導かれて杉が変わって行った。一行目のなかにいる杉と、最終行の中にいる杉とではまったくの別人である。書くことによって、杉自身が生まれ変わっている。
 この詩には、詩を書くこと(ことばを書くこと)によって起きる「自己革命」のようなものが潜んでいる。強い力が潜んでいる。

世界は人間なしに終わるだろう  堤隆夫

「あの山の向こうには、何があるのかな」
あなたの最期の言葉だった。
最期になると分かっていたなら、
もっと話を聞いてあげたかった。
あの日から、夜の静寂から薄明かりの朝焼けを迎える時の、
空気感がたまらなく虚しい。

舞鶴――ケヤキの木の下で喜捨し、
名護――ガジュマルの木の下で憤怒し、
水俣――サクラの木の下で哀惜し、
石巻――クロマツの木の下で楽土を夢見た。

あはれ、すべて世は事も無しなのか。
今日も、行く川の無常は絶えずして、
わたしの心底の水際は、侵食され続ける。

あなたの笑顔に、希望を見た。
あなたの涙に、愛しみを感じた。
あなたの怒りに、真実を知った。

あなたの死に、永遠に求める道を教えられた。

 「あなたの最期」。この「あなた」は堤にとって、特定の個人だろう。しかし、「特定の個人」はいつでも「普遍」を含んでいる。それは「特定の場所」、たとえば、舞鶴、名護、水俣、石巻が特定を超える普遍を含むのと同じである。そして、その普遍は、その場所がそれぞれ独自に持っているものではなく、その場所に思いを寄せる人間(堤)によって生まれてくるものである。「ことば」が「特定」を「普遍」に変える。「場所」から「時間」が生まれ、その「時間」が「歴史」に変わる。堤のことばで言えば「世界」にかわる。
 そうした動きをとおして、「あなた」は「個人」でありながら、「個人」を超える。杉の書いていた「兄」が「兄」ではなく、「兄を超える存在(大江健三郎にも共通することばをもった人間)」にかわったように。
 詩の閉じ方が、とても興味深い。
 受講生の一人が指摘したが、「笑顔」「涙」「怒り」は「現実」である。それに対して「死」は「現実ではない」。言いなおすと、死はだれもが体験しなければならないものだが、自分の体験した死を語ることはできない。「現実」を超えたものである。「笑顔」「涙」「怒り」から「死」へことばが飛躍するとき、そこではやはり何かが飛躍している。その飛躍のためには、一行空きは絶対必要なのである。
 ことばのつながりだけで言えば、「あなたの」で始まる4行は連続したものである。しかし、「音」が連続してリズムをつくっていても、意識はそのリズムを超越する。あるいは、リズムがあるからこそ、意識は加速し、飛躍してしまうのかもしれない。
 書き出しの一行のなかにいる堤、最終行の中にいる堤。そこには、やはり、書くことでつかみとった「新しい人間」がいる。ことばを書くことは、書く前の自分から変わってしまうことである。

あつめられて  青柳俊哉 

 蜂蜜 水あめ アーモンド 
 杏子ジャム 赤すぐりピューレ 
 林檎のペクチン レモン果皮……  

雨の日のマドレーヌ 紅茶に運ばれて
口に花ひらく言葉の風味たち
 

 雨の中につくられる窓
 ながれおちる無数のはちみつ
 粒たちがみつめるそれぞれの孤独の
 琥珀色の透明度 つきることなく
 過ぎていくこの世界の雨の香り

忽然と窓に咲くあじさいの太陽
 

最後につどう詩人たち 

 「ことば」をあつめることは「自分」をあつめることでもあるだろう。「蜂蜜 水あめ アーモンド」、それぞれのことばのなかにいる青柳はどんな青柳だろうか。
 これまで読んできた青柳の詩とは少し印象が違うが、いままでの青柳のままでもある。その「いままでの青柳」を強く感じさせるのが「口に花ひらく言葉の風味たち」の「言葉の風味たち」の、とくに「風味たち」という「念押しの説明」である。マドレーヌを口に含んだ。そのとき広がるさまざまな風味。たとえば、蜂蜜、あるいはアーモンド。実際にマドレーヌがアーモンドを含んでいるかどうかは問題ではない。含まれていない方が、より刺激的なのだ。存在しないものが「ことば」となって青柳を襲ってくる。
 この一行が「口に花ひらく言葉」で断ち切られていたら、とても印象が強くなっただろうし、次からの展開も違っただろうと思う。
 ここで「風味たち」と説明してしまったために、三連目が「より」説明的になった。飛躍というか深化というか、変化があるはずなのに、その変化の中を「説明」が動いてしまう。もちろん「説明」にも、「説明」自身の自立した動き、ことばの自律が生み出す動きがあるのだが「蜂蜜/はちみつ」がつよくなりすぎて「杏」「赤すぐり」「リンゴ」「レモン」が押し出されてしまったのが残念な気がする。
 「ことば」によってあつめられた青柳が、あつめたことばによって青柳ではなくなってしまうところまで書き込めば、あつまってくることばそれ自身が「詩人」なのだという最終行が、もっと強烈に印象に残るだろうと思う。「ことば=詩人」という「説明」ではなく、「詩人=ことば」なのだという「断言」になるとおもしろいと思う。

「都々逸っていいなあ」より

白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く       詠み人知らず
夢に見るよじゃ惚れよがうすい 心底惚れたら眠られぬ     詠み人知らず
口の中にも豆打ち込んで オレの心の鬼退治          義之助
噂の毒薬お世辞の媚薬 社交辞令の常備薬           義之助
皺の手合わせて礼言う母よ ありがとうなら俺が言う      あき子
心のどこかが満たされなくて 焼き芋バターを厚くぬる     章子
行方知れずのふんわり雲に ついて行きたい朝もある      節子
雨が小雪に変わった頃に 悲しかったのだと気づく       みや
文化国家は天然水を ペットボトルで買って吞む        安次郎
長居をするなと春一番が 冬の背中を蹴って春         勲
長く大きな欠伸の先に 見つけた小さな秋の雲         秋霖
影さえ千切って捨てたいくらい 心に貧しさ見つけた日     秋霖
辞書を引きつつ恋文書いた 好きも嫌いも女偏         鮎並
答えのないのが答えと知って 自分探しを終わらせる      章子
未だかもうかの自分の歳へ 身体はもうだと言っている     秋霖
こんな夜にはあなたのもとへ 飛んでいってもいいですか    賢

 「都々逸」というのは、「七・七・七・五」のリズムによる詩(歌)という。どの都々逸が好きか。受講生によって、答えは様々。
 「白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く」が象徴的だが、意外と「理屈っぽい」というのが私の印象だ。「黒」と言わずに「墨」と言うところがポイントなのだと思うが、こういう「意識のくすぐり」というのは、形を変えれば吉野弘になるのかなあ、とも思った。
 詩と都々逸とどこが違うのかということを語り合ってみるべきだったかもしれないが、時間が足りなくてできなかった。
 私は、この作品のなかでは「心のどこかが満たされなくて 焼き芋バターを厚くぬる」が詩に一番近いかなあと思った。谷川俊太郎なら「心のどこかが満たされなくて」をこんなふうに直接的にではなく、もっといろいろな「事実」を積み重ねる形で書いたあと、そんなことを書いたことを忘れた顔をして「焼き芋(に)バターを厚くぬる」と書いて詩を閉じるかなあと考えたりした。「心のどこかが満たされなくて」と「焼き芋バターを厚くぬる」の間には、説明するのはめんどうくさいが、なんとなく「納得する」肉体感覚の深さがある。焼き芋は谷川俊太郎の「好物」である、とどこかで読んだ記憶がある。

 

 

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