20 凡人の権利
英雄と対比し、「凡人の権利」を高橋は、こう語る。
「論う」は「あげつらう」と読む。「論じる」あるいは「語る」ときの、「内容」よりも「論じ方」(語り方)の方に重点があるのかもしれない。自分を棚に上げて何かを言う、というのが「あげつらう」だと私は思う。
たしかに庶民(凡人)の権利ではある。
でも「英雄にも暴君にもなれなかった」と言ってしまうと、そこに羨望がまじってしまう。「権利」は負け惜しみになってしまう。
「草莽」は「そうものう」か。
私はひねくれた性格なのか、こういうことばを読むと、凡人はこういうことばはつかわないなあ、と反発してしまう。
「英雄にも暴君にもなれなかった」ではなく、「なることを拒んだ」ひとのことばの方を読みたい。「英雄や暴君」を笑うことばを読みたい。
高橋のことばはゆるぎがないが、それは教養の完結のなかでのゆるぎのなさだ。暮らしの中で生き抜いてきた強さとは違う。ずるさ、たくましさがない。
英雄と対比し、「凡人の権利」を高橋は、こう語る。
八十歳になって彼らの優劣を論うたのしみは
英雄にも暴君にもなれなかった草莽 我らのもの
「論う」は「あげつらう」と読む。「論じる」あるいは「語る」ときの、「内容」よりも「論じ方」(語り方)の方に重点があるのかもしれない。自分を棚に上げて何かを言う、というのが「あげつらう」だと私は思う。
たしかに庶民(凡人)の権利ではある。
でも「英雄にも暴君にもなれなかった」と言ってしまうと、そこに羨望がまじってしまう。「権利」は負け惜しみになってしまう。
「草莽」は「そうものう」か。
私はひねくれた性格なのか、こういうことばを読むと、凡人はこういうことばはつかわないなあ、と反発してしまう。
「英雄にも暴君にもなれなかった」ではなく、「なることを拒んだ」ひとのことばの方を読みたい。「英雄や暴君」を笑うことばを読みたい。
高橋のことばはゆるぎがないが、それは教養の完結のなかでのゆるぎのなさだ。暮らしの中で生き抜いてきた強さとは違う。ずるさ、たくましさがない。
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