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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(20)

2013-12-07 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(20)

 『旅人かへらず/一六四』(29ページ)

ただ二階に一つあく窓

 これは「へたくそ」な日本語である。ある家の描写なのだが、家には幾つも窓がある。それは閉ざされている。二階にある窓が一つだけ開いている。--西脇の一行で、それが「わかる」は「わかる」のであるが、とても奇妙である。「へたくそ」な日本語である。
 なぜ「へたくそ」に感じるかといえば「あく」という動詞のつかい方が変なのである。窓はひとりでに「あく」ことはない。だれかが「開ける」。窓は「開いている」のである。それを西脇は「あく」と自動詞で表現している。
 窓に意思があるかのように描いている。
 「もの」が自分で動いている。--というのは「もの」が人間から独立しているということである。
 「もの」が人間から自律し、ひとりで動くとき、そこに詩がある。その詩というのは、人間の「思い(感情/精神)」から切り離された何か、「非情」の何かである。
 「非情」は「淋しい」という西脇の大好きな詩の根幹である。

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