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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(7)

2018-12-26 09:05:56 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
7 第一弾段

 テオクリトスという詩人とエウメニスという詩人が対話している。テオクリトスは「紀元前三世紀前半の詩人。田園詩や牧歌の祖とされる」だが、エウメニスは「架空の人物」と池澤は注釈している。詩は、その架空の詩人のことばに対して実在の詩人がこたえるという形をとっている。実在の人物のことばもまた架空である。
 なぜ、カヴァフィスはテオクリトスに「架空のことば」を言わせたのか。

詩作の階梯は高く高く伸びていて
わたしが今いるのはその第一段目。
不運なわたしはこれ以上登れますまい」

 この若い詩人のことばに対して、先輩詩人は言う。

おまえが第一段にいるということことこそ
誇るべきであり、また幸運でもあるのだ。
(略)
第一段に立っているというだけで
平凡な人々から遠く距っているのだ。

 池澤はたぶんここに注目して「主題は、詩という困難な芸術に対する詩人の心がまえ」と書いているが、違うだろうと思う。ポイントはここにはない。
 若い詩人は、これに先立ち、こう言っている。

「これで二年間が過ぎましたが
書けたものといえば牧歌がただ一篇。

 架空のエウメニスそのひとがカヴァフィスにとっては「牧歌」詩人テオクリトスであり、その牧歌詩人をカヴァフィスは、「平凡な人々から遠く距っている」と評価している。
 ここにはカヴァフィスの「自負」のようなものがある。
 カヴァフィスは「牧歌」を書かない。「牧歌」は詩の「第一段」である。カヴァフィスは、もっと上の段にある詩を書いている。テオクリトスは「第一段」までしかのぼれなかった。のぼっただけでも評価に値するが、私はそういうところにはとどまらない。もっと違うものを書く、と宣言している。だからこそ「イデアの町」が後半に登場する。
 「田園詩や牧歌」ではなく、「都会の詩」「人事の詩」を書く。そうやって時代の精神を切り開いていくと宣言している。

カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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