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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(33)

2013-12-20 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(33)

「自伝」

それから三田へ来た

 「自伝」というタイトルを手がかりにすれば、この「三田」は慶応大学であろう。「自伝」では、思い出したことを田舎の具体的な風物や(といっても単語だけだが)、英語の「リーダーでは銅版画ばかり覚えている」(英語のことは覚えていない)というようなことなどをほうりだしたように書いている。読者に「感情」を説明しようとしていない。
 「それから三田へ来た」は単に時間の経過を示すだけである。それによって、西脇がどうかわったか、というようなことは書かず、ただ「前の時間」と「後の時間」を区切りだけのために書いている。そこに不思議なスピードがある。
 そして考えてみると、西脇のことば(単語)は、この「それから三田に来た」ということばのように、前のことばと後のことばを区別する(断絶させる)ためにこそ動いているように見える。
 ことばが、何かに縛られない。ことばがことばを断ち切って動いていく。




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