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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(139)

2019-05-07 10:57:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
139 西リビアからきた王子

 西リビアからアレクサンドリアに来た王子、アリストメネスは「本物以上にギリシャ人らしくふるまおうと務めた」。なぜなら、

野蛮なギリシャ語を口にするようなへまで
自分のよき印象を損うまいと
いつも戦々恐々としていた。
そうなったら、根が意地の悪いアレクサンドリア人は
彼をさんざんからかうだろうから。

 こういうことは、王子だけではなく、だれもが「体験」することかもしれない。他人からからかわれるのがいやで、おとなしくしている。「印象」を守ろうとする。
 カヴァフィスは、そういう「外見」を書くだけではなく、さらに一歩踏み込む。

彼が喋ることを極力控えたのはそのためだ。
文法と発音に精一杯気を配った。
言いたいことが身の中に溢れてきて
気も狂わんばかりだったのだが。

 「言いたいことが身の中に溢れてきて/気も狂わんばかりだった」は、詩人(あるいはことばを生きるひと)ならではの感情移入、対象との「一体化」だろう。「ことば」は「肉体」のなかに閉じ込めておけない。解放しないと、気が狂う。しかも、そのとき大切なのは「喋る」ということ、「声」にするということ。
 ここにカヴァフィスの「声の詩人」というものがあらわれている。

池澤の註釈。

カヴァフィス好みのアイロニーの話し。彼が詩でよくもちいるアイロニーとは、知識の落差がもたらす皮肉な感慨のことである。(略)この詩の場合、アリストメネスの心情をアレクサンドリアの人々は知らなかった。

 私は「皮肉」というものがよくわからない。「アイロニー」という外来語になると自分でつかった記憶がない(どうつかっていいか、わからない)のだが……。
 「アリストメネスの心情をアレクサンドリアの人々は知らなかった」というのは、いったい誰に対する皮肉? 「皮肉」ではなく、「アイロニー」?
 



カヴァフィス全詩
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