中井久夫訳カヴァフィスを読む(166)(未刊13) 2014年09月03日(水曜日)
「後は冥府で亡霊に語ろう」はソフォクレス『アイアコス』にある、アイアコス自殺前の最後のことば--と中井久夫は注釈に書いている。それを読んだ奉行は「まったくな」と感心して、ことばをつづける。
感心して、こころがゆるんだ感じが「まったくな」とか「話せるわな」という口語の響きのなかに広がる。そのなかで、思わず自分にも「心に鍵を掛け、不寝番みたいに/来る日も来る日も守ってきた秘密や心の傷」もあるという「告白」のようなものを語ってしまう。
これに対して、ソフィストがからかう。
ここでも「ですな」「ですぜ」という口語がいきいきと動いている。「口語」によって、「肉体」が奉行に近づいてく。いや、奉行の「肉体」のなかへ入り込み、その内部を攪乱する。
ソフィストの語り口は、何か新しいことを言うのではない。「論理」を動かして見せるだけである。一種の「詭弁」である。奉行が思わず「告白」してしまう正直さをもっているのに対し、ソフィストは自分というものを語らない。ただ、動かして見せる。
「亡霊」が生きていたときと同じことに悩んでいるというのは、死後、あり得るのか。死んでしまったら、生きていたときのことなど忘れてしまうのではないのか。
ここには何か不思議な、皮肉の笑いがある。不思議な笑い--と書いてしまうのは、この笑いが「奉行」に対するものだけではなく、なぜか、ソフィストの論理そのものを笑っているように感じられるからである。ソフィストはそんなことを信じて言っているのではなく、ただ論理を弄んでそう言っている。ソフィストなんて、そういうものなのだと笑っている。
この笑いはカヴァフィスにはとても珍しい。
「後は冥府で亡霊に語ろう」はソフォクレス『アイアコス』にある、アイアコス自殺前の最後のことば--と中井久夫は注釈に書いている。それを読んだ奉行は「まったくな」と感心して、ことばをつづける。
この世で心に鍵を掛け、不寝番みたいに
来る日も来る日も守ってきた秘密や心の傷を
あの世じゃ自由に打ち明け話せるわな」
感心して、こころがゆるんだ感じが「まったくな」とか「話せるわな」という口語の響きのなかに広がる。そのなかで、思わず自分にも「心に鍵を掛け、不寝番みたいに/来る日も来る日も守ってきた秘密や心の傷」もあるという「告白」のようなものを語ってしまう。
これに対して、ソフィストがからかう。
「お忘れじゃありませんか」とソフィストは言って、うっそり笑った。
「亡霊が冥府でそんなことを語るとしてもですな、
連中がまだそういうことに悩んでいたらの話ですぜ」
ここでも「ですな」「ですぜ」という口語がいきいきと動いている。「口語」によって、「肉体」が奉行に近づいてく。いや、奉行の「肉体」のなかへ入り込み、その内部を攪乱する。
ソフィストの語り口は、何か新しいことを言うのではない。「論理」を動かして見せるだけである。一種の「詭弁」である。奉行が思わず「告白」してしまう正直さをもっているのに対し、ソフィストは自分というものを語らない。ただ、動かして見せる。
「亡霊」が生きていたときと同じことに悩んでいるというのは、死後、あり得るのか。死んでしまったら、生きていたときのことなど忘れてしまうのではないのか。
ここには何か不思議な、皮肉の笑いがある。不思議な笑い--と書いてしまうのは、この笑いが「奉行」に対するものだけではなく、なぜか、ソフィストの論理そのものを笑っているように感じられるからである。ソフィストはそんなことを信じて言っているのではなく、ただ論理を弄んでそう言っている。ソフィストなんて、そういうものなのだと笑っている。
この笑いはカヴァフィスにはとても珍しい。
![]() | リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 |
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