中井久夫訳カヴァフィスを読む(42)
カヴァフィスには故人を描いた詩が多い。「文法家リュシアスの墓」もその一篇。私はリュシアスのことを知らない。知らないからこそ、想像力を刺戟される。
これはリシュアスの埋葬のことを言っているのか。埋葬するとき、彼の持ち物をいっしょに埋葬したというのか。それとも「墓」というのは比喩であり、図書館の本棚のリュシアスの著作のまわりに彼の「持ちもの」を並べたということか。「図書館を入って右手」ということばは、図書館の敷地に入って右手なのか、図書館の建物の中に入っての右手なのかはっきりしないために、どちらにも読むことができる。
多義性。--これが、さらに想像力を刺戟する。カヴァフィスのことばはあいまいで多義性に富んでいる。
この多義性を、カヴァフィスは「散文的」に説明することはしない。「論理的」に説明しない。「論理」を排除して、名詞だけで補足する。次のように。
しかし、論理的ではないと言っても、そこからリュシアスのしたことがなんとなく想像できる。ギリシャ語のイディオムを集め、他の文献(異本)と比較し、注釈をくわえ、何冊もノートをとった。どういう文法を体系的につくりあげたかはわからないが、二行目に書いてあったように「賢い」学者だったのだと想像できる。
さらに重要なのは、
この軽い口調、「奴」という呼び方。そこから、この詩に登場する人物はリュシアスと親しい関係にあることがわかる。その「親しさ」がリュシアスをたしかな存在に変える。あたたかな「肉体」をもった人間としてリュシアスを蘇らせる。
リュシアスがどんな学説をもっているかわからないが、彼がわかった気持ちになる。
全体を眺め渡すと、ほんとうの墓というよりも図書館の本の棚のことを書いているらしいと想像できる。リュシアスの著作が並んだ本棚のところへ行く、そしてその本を読むというのは、墓参りと同じである。本を読めばリシュアスそのひとを思い出すから。本棚は「墓」であり、本は「墓碑銘」だ。
カヴァフィスには故人を描いた詩が多い。「文法家リュシアスの墓」もその一篇。私はリュシアスのことを知らない。知らないからこそ、想像力を刺戟される。
ベイルートの図書館の入って右手に
賢い文法家リュシアスを埋めた。
場所の選びはまことに見事。
奴の持ちものの傍に奴を置いた。
これはリシュアスの埋葬のことを言っているのか。埋葬するとき、彼の持ち物をいっしょに埋葬したというのか。それとも「墓」というのは比喩であり、図書館の本棚のリュシアスの著作のまわりに彼の「持ちもの」を並べたということか。「図書館を入って右手」ということばは、図書館の敷地に入って右手なのか、図書館の建物の中に入っての右手なのかはっきりしないために、どちらにも読むことができる。
多義性。--これが、さらに想像力を刺戟する。カヴァフィスのことばはあいまいで多義性に富んでいる。
この多義性を、カヴァフィスは「散文的」に説明することはしない。「論理的」に説明しない。「論理」を排除して、名詞だけで補足する。次のように。
ノート、テキスト、注釈、異本、
ギリシャ語イディオムの厖大な研究。
しかし、論理的ではないと言っても、そこからリュシアスのしたことがなんとなく想像できる。ギリシャ語のイディオムを集め、他の文献(異本)と比較し、注釈をくわえ、何冊もノートをとった。どういう文法を体系的につくりあげたかはわからないが、二行目に書いてあったように「賢い」学者だったのだと想像できる。
さらに重要なのは、
こうしておけば、本のところへ行く度に
奴の墓参りがしてやれるわけさ。
この軽い口調、「奴」という呼び方。そこから、この詩に登場する人物はリュシアスと親しい関係にあることがわかる。その「親しさ」がリュシアスをたしかな存在に変える。あたたかな「肉体」をもった人間としてリュシアスを蘇らせる。
リュシアスがどんな学説をもっているかわからないが、彼がわかった気持ちになる。
全体を眺め渡すと、ほんとうの墓というよりも図書館の本の棚のことを書いているらしいと想像できる。リュシアスの著作が並んだ本棚のところへ行く、そしてその本を読むというのは、墓参りと同じである。本を読めばリシュアスそのひとを思い出すから。本棚は「墓」であり、本は「墓碑銘」だ。
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