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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(11)

2018-02-23 09:18:49 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(11)(創元社、2018年02月10日発行)

 タイトルのない詩がある。「*」で区切られている。

 永遠に沈黙している限りない青空の下の一発の銃声、沈黙との戦
いはそのように始められる。言葉はもはや言葉でなくてもいい、声
はもはや声でなくてもいい。沈黙を破ろうとするひとつの音、沈黙
と音との間のその緊張、そこから戦いは始まる。

 これが最初の断章。
 このあと、「言葉の非人間的な意味」、「非人間的な意味」としての「西部劇のヒーロー」、「ジャズドラマー」へとことばが引き継がれていく。
 最後の断章の前半。

 ジャズのドラマーたちは、騒音をつくっているのではない。彼等
は沈黙に対抗するための、別の沈黙をつくっているのだ。あのドラ
ムの音の緊張のさなかで、われわれは青空の沈黙を聞かない。

 「沈黙との戦い」としての「音」。その具体例として「銃声」(西部劇を含む)と「ドラム」がある。ドラムが沈黙と対抗するための別の沈黙をつくっているのだというのなら、銃声もまた別の沈黙と対抗するための音である。沈黙を破るための、沈黙とは呼ばれていない沈黙。「非沈黙」という「意味」の「沈黙」が「銃声/銃音」「ドラム」ということか。
 これは「ことば」のなかで生まれる「意味」という「沈黙」である。「聞こえない」(意味にならない)意味である。考えるとき、その考えの中で動いている「何か」である。とりあえず「意味」と名づけたが、それは「非流通の意味」(共有されていない意味)でもある。
 これは詩と呼ぶこともできるが、こういうことは書き始めればきりがない。「論理(意味)」はどこまでも自律的なものであり、暴走し続けるものである。暴走しながら「完結」を装うものである。
 だから、違うことを書く。
 私はこの詩では「青空」ということばに思わず傍線を引いた。

永遠に沈黙している限りない青空の下

果てない砂漠の上の果てない青空

われわれは青空の沈黙を聞かない

 「限りない青空」と「果てない青空」は同じものである。それは「限りない/果てない沈黙」である。最初のふたつには「限りない青空の沈黙の下」「果てない青空の沈黙」と「沈黙」を補い、最後のひとつには「限りない(果てない)青空の沈黙」と「限りない(果てない)」を補うことができる。
 そしてこの「限りない(果てない)」と「青空」「沈黙」は三つのことばで構成されているが「ひとつ」のものである。「宇宙」のことである。地球(人間)を起点にすると「青空」に見えるが、「人間的な意味」を捨て去れば「青空」を捨て去れば「宇宙」に吸い込まれていく。
 谷川は、ときどきというか、あるいは、それが基本なのかもしれないが、人と向き合うよりも「宇宙」と向き合う。
 「宇宙」と「谷川」の「間」を意識する。
 再読したとき、傍線を引いたのは、「間」である。「沈黙と音との間のその緊張」というつらなりのなかにでてくる。「間」は「その」と反復されている。ほかのことばが「強い」ので最初は見落としていた。
 ここから、こう考えた。
 「宇宙」を「沈黙」、「谷川」を「ことば/声」と言い換えると、「間」は「音楽」ということになる。
 それは「宇宙」から聞こえるのか。「宇宙」は「沈黙」しているから、「谷川」から聞こえるのか(生み出されるのか)と問うことは、あまり有効とは思えない。「間」は「あいだ」、それは両側(?)に何かがあって初めて存在するもの。そうであるなら、それは「結びつく」ことによって生まれるもの、切り離せないものになる。
 「沈黙」と「音」はいっしょになって「音楽」になる。この「いっしょになる」は、この詩では「緊張」とも「戦い」とも言いなおされている。まだ「音楽」になりきれていない、「音楽」のうまれる瞬間を描いているからだろう。

 (補足/蛇足)
 この作品は、最後を「人間宣言」のようなもので閉じている。「沈黙」と「音」との「戦い」を「人間の肉のリズム」から出発して、「勝利」という形で閉じようとしている。これは「意味(論理)」としてはわかるが、私には「強引」に感じられる。「無理」をしているように感じられる。
 谷川から私が感じるのは、「調和」ということばを思い起こさせるものが多い。「調和」の静かさ、やさしさというものが多い。「勝利」というような、何かを「制服」することによって生まれるものとは違う何か。
 「戦い」ということばで始まった詩だから「勝利」という結論を書かないと落ち着かないのかもしれないが、それでは「意味」にとらわれてしまう。つまり「音楽」を殺してしまうことになる。音楽は意味を、その内部から解き放つものだから。どこまでも広がっていくのだから。
 だからこそ、「青空(宇宙)」ということばへ引き返したくなる。「青空」が谷川なんだなあ、と思うのである。




*


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目次

瀬尾育生「ベテルにて」2  閻連科『硬きこと水のごとし』8
田原「小説家 閻連科に」12  谷川俊太郎「詩の鳥」17
江代充「想起」21  井坂洋子「キューピー」27
堤美代「尾っぽ」32  伊藤浩子「帰心」37
伊武トーマ「反時代的ラブソング」42  喜多昭夫『いとしい一日』47
アタオル・ベフラモール「ある朝、馴染みの街に入る時」51
吉田修「養石」、大西美千代「途中下車」55  壱岐梢『一粒の』59
金堀則夫『ひの土』62  福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』67
岡野絵里子「Winterning」74  池田瑛子「坂」、田島安江「ミミへの旅」 78
田代田「ヒト」84  植村初子『SONG BOOK』90
小川三郎「帰路」94  岩佐なを「色鉛筆」98
柄谷行人『意味という病』105  藤井晴美『電波、異臭、工学の枝』111
瀬尾育生「マージナル」116  宗近真一郎「「去勢」不全における消音、あるいは、揺動の行方」122
森口みや「余暇」129
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com


聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017
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