『旅人かへらず』のつづき。
一〇八
むくの実が坂に降る頃
ゴブラン織をあけて
かなしげなる窓を開いて
ぼけた遠山の方へ飛ぶ水鳥
渡し守りの煙草を吸ふのを
眺めてゐると
昔読んだ小説の人々が生霊
の如くやつてくる
一緒になりまた別れる
悪霊を避けよ
苦しき立場
レモン畑
かみそりの歯
猿女房
と次から次へとやつてくる
その辺にゐる本当の人間の方
が幽霊に見える
「生霊」「悪霊」「幽霊」。これを西脇は、どう読んだのだろうか。「いきりょう」「あくりょう」「ゆうれい」と私は読むが、これでは、「音楽」にならない。音が響かない。と、私の耳、というより、発声器官が、不満の声をあげる。
「せいれい」「あくれい」「ゆうれい」、「せーれー」「あくれー」「ゆーれー」と読みたい。
「その辺」は「そのへん」。「へん」と読むと、「ほんとう」「にんげん」「ほう」と音が動く。
この行をはさむことによって、「いきりょう」「あくりょう」(ほんとう)(にんげん)(ほう)「ゆうれい」と音が変わる--という風にも読むことができるかもしれないけれど、その音の動きは、私にはなじめない。「せーれー」「あくれー」「ゆーれー」「そのへん」「ほんとう」「にんげん」「ほう(ほー)」の方が読みやすい。
「生霊/の如く」「人間の方/が幽霊」という行のわたりも「れー」「ほー」と、なにかしら、開放した音の脚韻(?)のようなものを活かす工夫だと思う。「わざと」おこなわれている行のわたりだと思う。
一〇九
ゐろりに
アカシアの木をたいてゐた
老人の忘らるるとは
「ゐろり」「いた」「ろうじん(ろーじん)」「わすらるる」。この、音の動きが気持ちかいい。間にはさまる「アカシア」というし異質な音、「アカシアの木をたいてゐた」のなかの「い」の音の動きと「ろ」の対比。
あ、「ゐろり」のなかには、最初から「い」と「ろ」がある。
この詩は、「ゐろり」という音に誘われて動いたことばなのだ。「ゐろり」からはじまる音の変奏なのだ。
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