goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『こころ』(28)

2013-08-23 23:59:59 | 谷川俊太郎「こころ」再読
谷川俊太郎『こころ』(28)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)

 「裸身」という作品。

限りなく沈黙に近いことばで
愛するものに近づきたいと
多くのあえかな詩が書かれ
決して声を荒らげない文字で
それらは後世に伝えられた

 「限りなく沈黙に近いことば」は、きのう書いた「直接」と置き換えられるかもしれない。「直接」近づけることばで近づきたい。「直接」近づきたい。そして、この「直接」が「裸身(裸)」。だから、1、2行目は「裸で愛する人に近づきたい」ということになるかもしれない。いや、まちがい。「裸のことばで愛する人に近づきたい」。
 でも、裸に近いことばって、どんなことば?

口に出すと雪のように溶けてしまい
心の中でしか声に出せないことば

 なるほど、そうかもしれない。でも、それにつづくことばが、私にはよくわからない。

意味を後ろ手に隠していることばが
都市の喧騒にまぎれて いまも
ひそかに白い裸身をさらしている

 「限りなく沈黙に近いことば」と「意味を後ろ手に隠していることば」は、私の中では「ひとつ」にならない。「直接」と通い合わない。「ひそかに(白い裸身を)さらしている」も、「直接」とはうまく結びつかない。なぜ、「ひそかに」なのだろう。「さびしく」なら「直接」を否定されて「さびしく」とつながるし、「沈黙(する孤独)」とも通い合うように思うが・・・
 私はこの詩を完全に読み間違えているにかな?

ミライノコドモ
谷川 俊太郎
岩波書店

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 池田順子「初夏」 | トップ | 岡島弘子「いちまい」、松岡... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

谷川俊太郎「こころ」再読」カテゴリの最新記事