谷川俊太郎『こころ』(56)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
「絶望」という詩。この詩でも私は「本能」ということばをつかいながら読んでしまう。
この「君」を私は、途中から「本能」と読んでしまう。
引用した最終行では「本能」は「君のいのち」と入れ替わる。「いのち」が「本能」なのだ。あらゆる規制から無垢な「いのち」が「本能」なのだ。
「絶望」は「本能」の近くにまでおしよせてくる何かである。
それは「本能の肉体(いのち)」を傷つける前に、「こころ」を傷つける。「こころ」が傷ついて「絶望」する。その絶望に対して、「本能のいのち」は「本能の肉体」はまだ生きていると主張する。「本能のいのち」は「本能」に「肉体」があることに気がついている。知っている。
この4行を、私の「本能」は次のように「誤読」する。
「本能のいのち」を生み出そうとしている。君の肉体のなかに、まだいのちになる前の「本能のいのち」がうごめいて、生まれようとしている。無垢で純粋な力が生まれようとしている。
「絶望」は陣痛なのである。
「絶望」という詩。この詩でも私は「本能」ということばをつかいながら読んでしまう。
絶望していると君は言う
だが君は生きている
絶望が終点ではないと
君のいのちは知っているから
この「君」を私は、途中から「本能」と読んでしまう。
絶望していると君は言う
だが「本能」は生きている
絶望が終点ではないと
「本能」は知っているから
引用した最終行では「本能」は「君のいのち」と入れ替わる。「いのち」が「本能」なのだ。あらゆる規制から無垢な「いのち」が「本能」なのだ。
「絶望」は「本能」の近くにまでおしよせてくる何かである。
それは「本能の肉体(いのち)」を傷つける前に、「こころ」を傷つける。「こころ」が傷ついて「絶望」する。その絶望に対して、「本能のいのち」は「本能の肉体」はまだ生きていると主張する。「本能のいのち」は「本能」に「肉体」があることに気がついている。知っている。
絶望からしか
本当の現実は見えない
本当の希望は生まれない
君はいま出発点に立っている
この4行を、私の「本能」は次のように「誤読」する。
こころの絶望からしか
「本能」の現実(本能の肉体)は見えない
「本能のいのち」は生まれない
君の「本能」は出発点に立っている
「本能のいのち」を生み出そうとしている。君の肉体のなかに、まだいのちになる前の「本能のいのち」がうごめいて、生まれようとしている。無垢で純粋な力が生まれようとしている。
「絶望」は陣痛なのである。
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