『宝石の眠り』。
西脇の詩にはいくつもの層のことばがあらわれる。それは地層の断面をみるような印象がある。
「コップの黄昏」。
これは「コップの黄昏」というタイトルに反して、朝の町の風景だろう。朝の町でみかけたものを、そのままの(名づけられているままの)ことばではなく、別のことばで書いている。「比喩」ではなく、比喩であることを拒絶して、「いま」「ここ」を破る「もの」として書いている。西脇の詩は、比喩を超越して、ことばそのものになろうとしている。
こういう部分は、私の場合、精神状態が安定しているとき、とてもここちよく響いてくる。しかし、いろいろ忙しかったり、きょうのように、これから用事があるときには、ちょっといらいらする。(いま11時20分で12時前には家を出なければいけない。)ことばがうるさく感じる。
こういうときでも、あ、おもしろいと思うのは、どこか。
「切手をなめる」。このことばにはっとする。気持ちがよくなる。ふいにあらわれた「俗」。その前にも「おねいさんが小さな鏡を出して(略)紅をつけながら嘆いている」という女の描写が出てくるが、そうした「気取り」ではなく、生の「肉体」がふいにあらわれる瞬間、あ、おもしろい、と思うのだ。
それは地層をあれこれ見ていて、あ、これは自分のつかっていた茶碗だ(そんなことはあるわけはないのだが)というような発見をするようなものだ。
ふいに自分の生活が引っ張りだされるのである。
こういうとき、どっちが「ノイズ」なのだろうか。
「女神」や「真珠の耳飾り」がノイズなのか、「切手をなめる」がノイズなのか。
「切手をなめる」という「俗」なもの(芸術からするとノイズになると思う)が、「真珠の首飾り」のなかにある高貴(高尚?)なもののノイズとぶつかり、目障りなものを吹き飛ばすような快感がある。
こういうノイズを挟んで、詩はふたたび、
とつづいていく。
あ、もう一度、あの「切手をなめる時」ということばを読みたくなる。そういう欲望が私には湧いてくる。
こういう瞬間が私は好きだ。あの「切手をなめる時」というのは透明なイメージであったなあ、「脳髄」とは無関係な「暮らし」の透明さがあるなあ、と感じるのである。
西脇の詩にはいくつもの層のことばがあらわれる。それは地層の断面をみるような印象がある。
「コップの黄昏」。
あさのウルトラマリンに
もえる睡蓮のアポロンに
目を魚のように細くする
バスを待つビルのニムフの
前をかすつてヘラヘラと
失楽の車が走る……
これは「コップの黄昏」というタイトルに反して、朝の町の風景だろう。朝の町でみかけたものを、そのままの(名づけられているままの)ことばではなく、別のことばで書いている。「比喩」ではなく、比喩であることを拒絶して、「いま」「ここ」を破る「もの」として書いている。西脇の詩は、比喩を超越して、ことばそのものになろうとしている。
こういう部分は、私の場合、精神状態が安定しているとき、とてもここちよく響いてくる。しかし、いろいろ忙しかったり、きょうのように、これから用事があるときには、ちょっといらいらする。(いま11時20分で12時前には家を出なければいけない。)ことばがうるさく感じる。
こういうときでも、あ、おもしろいと思うのは、どこか。
あの深川のおねいさんは小さい鏡を出して
あの湿地と足もなくなつたことを
紅を漬け菜から嘆いている
人間はトカゲに近づいてくる
女神はやせて貝殻になる
真珠の耳飾りがゆれる時は
男への手紙を書いて切手をなめる時だ
「切手をなめる」。このことばにはっとする。気持ちがよくなる。ふいにあらわれた「俗」。その前にも「おねいさんが小さな鏡を出して(略)紅をつけながら嘆いている」という女の描写が出てくるが、そうした「気取り」ではなく、生の「肉体」がふいにあらわれる瞬間、あ、おもしろい、と思うのだ。
それは地層をあれこれ見ていて、あ、これは自分のつかっていた茶碗だ(そんなことはあるわけはないのだが)というような発見をするようなものだ。
ふいに自分の生活が引っ張りだされるのである。
こういうとき、どっちが「ノイズ」なのだろうか。
「女神」や「真珠の耳飾り」がノイズなのか、「切手をなめる」がノイズなのか。
「切手をなめる」という「俗」なもの(芸術からするとノイズになると思う)が、「真珠の首飾り」のなかにある高貴(高尚?)なもののノイズとぶつかり、目障りなものを吹き飛ばすような快感がある。
こういうノイズを挟んで、詩はふたたび、
脳髄の重さはたえがたい
運命の女神の祈祷書を一巻
ほりつけた李の種子ほどの庭に
ソケイの花が咲いて
石の上に蝶がとまる頃
とつづいていく。
あ、もう一度、あの「切手をなめる時」ということばを読みたくなる。そういう欲望が私には湧いてくる。
こういう瞬間が私は好きだ。あの「切手をなめる時」というのは透明なイメージであったなあ、「脳髄」とは無関係な「暮らし」の透明さがあるなあ、と感じるのである。
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