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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(117)

2019-04-15 09:52:02 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
117 色ガラスの

イオテアニス・カンタクジノスと
アンドロニコス・アサンの娘イリニとの
ヴラケルナイに於ける戴冠式の細部にわたしは魅了された。
彼らはほんの僅かしか宝石を持っていなかった。
(我らが帝国は倒産に瀕し、極貧であったから)
二人は模造の宝石を身にまとった。
赤や緑や青のガラス玉。

 散文的なことばだ。余分がない。「細部にわたしは魅了された」と、「細部」を描くよりより先に「魅了された」という動詞で、「肉体」を描いてしまう。「動詞」が「音」を引き締めている。こういう響きをバネにして「論理」が動く。「意味」が動く。

そこには屈辱も不名誉もなかった。
まさにその逆なのだ、それらは
冠を授かろうとする二人を見舞った
不正と不運への抗議だった。

 「まさにその逆なのだ」が「論理」である。「屈辱と不名誉があった」と言う声を否定し、入り込む余地を消してしまう。そして、ことばを動かす。「論理」をつくっていく。すきのない「論理」は「事実」になる。「抗議 (する) 」ということばに結晶する。「真実」など、誰も知らない。「真実」というのは「事実」の解釈に過ぎない。つまり、何とでも言える。
 詩と同じように。
 これは「116 アンティオキアのテメトス 紀元四〇〇年」と重なる。「事情」と同じように「真実」は知っている人は知っている。
 カヴァフィスのことばは「事実」と「真実」の行き来の仕方にスピードがある。

 池澤は、こう書いている。

 この皇帝は評判が良い。この作品に見るようにカヴァフィスは明らかに贔屓にしているし、ギボンも彼の財産について「相続によって継承されたもので強欲による蓄財の結果ではなかった」(九の四一二)と書いている。

 「贔屓にしている」は「論理」で擁護している、ということか。
 いままで書いてきたことと矛盾するようだが、池澤のことばを読むと、「論理」をつくることよりも、「魅了された」と打ち明ける率直さにこそ「贔屓」を読み取るべきかもしれないと思う。



カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
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