68 ギリシア病三
「ギリシア」と「コスモポリス」と言いなおされている。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ホンコンは「コスモポリス」であるがゆえにギリシア。
これは「定義」としては正しいのかもしれないが、詩は「正しさ」とは関係ないところにある。
それぞれの都市の、どこがコスモポリスなのか。高橋の「定義」がわからない。「定義」になっていない。ことばが動いていない。
だから「コスモポリス」と書いていたはずなのに、次の行は大きく違ってくる。
コスモポリスだからギリシアと言っていたはずなのに、突然、海に変わる。「エーゲ海」が出てきて、「故国の海」をギリシアにする。
こんなことを書くくらいなら、東京の坂さえアテネの坂のように入り組んでいる。ビルの影からソクラテスが若者を従えて下りてくる、とでも書けばいいのに、と思う。
目も耳も、足も動いていない。
と書かれても納得がいかない。
アテネから飛んだローマは ギリシアのつづき
そのあとのパリも ロンドンも ニューヨークも
ホンコンさえも コスモポリスという名のギリシア
「ギリシア」と「コスモポリス」と言いなおされている。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ホンコンは「コスモポリス」であるがゆえにギリシア。
これは「定義」としては正しいのかもしれないが、詩は「正しさ」とは関係ないところにある。
それぞれの都市の、どこがコスモポリスなのか。高橋の「定義」がわからない。「定義」になっていない。ことばが動いていない。
だから「コスモポリス」と書いていたはずなのに、次の行は大きく違ってくる。
帰り着いた故国を囲む海さえ エーゲ海の延長
コスモポリスだからギリシアと言っていたはずなのに、突然、海に変わる。「エーゲ海」が出てきて、「故国の海」をギリシアにする。
こんなことを書くくらいなら、東京の坂さえアテネの坂のように入り組んでいる。ビルの影からソクラテスが若者を従えて下りてくる、とでも書けばいいのに、と思う。
目も耳も、足も動いていない。
ひとたびギリシア病に取り憑かれたら 諦めろ
死んで骨になっても 癒えることはない
と書かれても納得がいかない。