寄ってたかって、と書くと、いじめるとかバカにするとか、あまりいい意味で使われることはないが、ここではいい意味でのお話。なお、話題の冥王星についてではなく、この地球についての話。
太陽系第3惑星がこの地球で、惑星の中では小さい方だ。外側には木星とか土星とか、質量で地球の何百倍もの惑星が控えているが、その木星や土星がなかったら、地球には大きな隕石がたくさん降り注いで、今のように生物は繁栄できなかったとのことだ。木星なんかは大きいぶん隕石が引き寄せられやすく、これらがなかったら、そこに落ちるはずだった巨大隕石のいくつかは地球へ、ということらしい。だから木星や土星は、「体を張って」地球を守っているのだと言える。
これは、2001年のNHKスペシャル『宇宙 未知への大紀行』でやっていた話だ。
ついでに言うと、地球の生命の元となる水や有機物も、隕石や彗星によってもたらされたものらしい。ということは、木星たちに大事に守られて育った地球に、有機物という“種”がまかれ、長い永い年月を経て育ったのが僕たち生命。(そのうち誰かが見に来るのかも。いや、もう見に来ているのかも)
おっとその前に、我らが太陽との距離のことも書いておかなくては。ご承知のように、太陽からの距離が今より近くても遠くても、暑すぎたり寒すぎたりして、生命は発生しなかった。木星たちがいくら頑張ろうが、彗星で有機物がもたらされようが、極端な温湿度なら、生命は育たない。
つまり、太陽系に意思があるのかどうかは知らないが、寄ってたかって地球に生命をもたらしているということになる。いがみ合いやら飲酒運転やら児童虐待やら、してる場合じゃないのだ。
もちろん、生命が生息可能な惑星の外側を巨大なガス型惑星が回るような、いわゆる太陽系というのは必然的な形なのかもしれないが、地球みたいにはうまく行かなかった場合も、この宇宙にはゴマンとあるに違いない。こうして生命と太陽系について考察できるのも、すべてうまく行ってくれたおかげ。感謝感謝。ついでにここまで読んで下さった皆さまにも感謝。
ところで、冥王星が惑星の定義から外れたのはついこの間のことだが、当の冥王星はそんなことお構いなしに、変わらず回り続けている。人間サマの定義なんか、どうでもいいことであるに違いない。
周りの評価にいちいち左右されることなく悠々としている、というのは憧れる生き方だ。
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