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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

電車の中の相対性理論

2006-09-03 08:43:42 | エッセイ
 
 これは、光速で走る電車から光を発射するだの、その光を鏡で反射させるだの、そういった超ムズカシイ話ではない。極めて簡単な話・・・。

 電車の連結部分近くに立っていると、隣の車両が大きく揺れるのが見えるかと思う。乗り物酔いするんじゃないかと思えるほどだ。
 しかし考えればすぐわかることだが、動いているのは隣の車両だけではない。自分の立っている車両も、当然ながら動いている。自分のいる車両がたとえば上に10cmしか動いていなくても、隣の車両が下に10cm動いていたら、相対的に相手の車両が20cm下に動いているように見えるのだ。
 ここで隣の車両に移ったならば、今まで居た車両が大きく揺れ動くのが見えることになる。そして移ってきた車両は動いていないように。今まで揺れに揺れていたのに。

 進学とか就職とか異動とか、生きる場所が変わるというのは、見る目が変わって、いいものだ。
 去年の『五月病の季節』にも書いたように、一ヶ所にずっといると、それはそれで過ごしやすいのかもしれないが世間が狭くなってしまう。立場を変えれば見方も変わるし、それが人間の幅を拡げるのだとしたら、あちこち動くほうが、人生面白いかもしれない。

 僕らは今、21世紀の日本に生きているわけだが、たとえば中世に生まれていたなら、あるいは中東に生まれていたなら、また違った考え方になっていたことだろう。それはそれで、その場所を基点としてモノを考えるわけだから、今現在の考えとは大いに異なっているに違いない。
 その場合、何が正しくて何が間違っているなんてのは、そう簡単に決められるものでもなくなってくる。アフガニスタンならアフガニスタンの、戦国時代なら戦国時代の、それぞれ“論理”というのがあるのだから。
 今考える“正義”なんてのも、本当に正しいのかどうかはわからない。何十年後かには“間違い”とされているのかも。いや、“本当に正しい”なんてものがあるのかどうかってことさえ、不確かな気がする。

 とは言え、どこかに足場がないと人は生きづらいから、今現在の何かを自分の拠り所にするしかない。それがたとえ、電車の連結部のすぐこちら側だとしても。
コメント
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