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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「さとるの化け物」

2005-07-10 08:17:11 | ショートショート
 もうイヤでイヤでたまらなかった。夫の良男のことだ。人が考えていることがすべてお見通しとでもいうように、どういうわけか何もかもわかってしまう。買い物に行き、すき焼きの材料を手に玄関を開ければ、「お、すき焼きか、こんな寒い日はいいよな」と出てくるし、今月のやり繰りが大変な時には「お金少し出そうか」と言ってくるし、友達の和美と少し息抜きに出掛けた日には「和美さん元気してた?」と聞いてくるし。
 どうしてわかってしまうのだろう。付き合い始めた頃はちっともそんな風には見えなかったのに。そういう能力を隠していたのだろうか。でもとても勘が鋭いようには見えないし、どちらかと言えば、お人よしの鈍感な男だ。それだけに、何から何まで見透かされたのでは、余計イライラしてくる。それとも、勘の鋭い人間というのは、見た目は鈍そうなものなのか。
 それでも最初のうちは我慢していた。そのうち慣れるだろう、あるいは、そんな勘もいずれ鈍ってくるだろう、と考えていたから。しかし弱まるどころか、次第に強くなっていき、今では心の中を隠すのがやっとである。
「もう限界だ」と思った。殺してしまうこともチラッと頭をかすめたが、悪い男ではないし、何だかそれもバレてしまいそうで怖かったのだ。別れればいい、という結論は、かなり前から出ていた。そしてそれを実行に移した。良男はこれも感付いていたみたいで、それでもかなり抵抗したが、結局は離婚届に判を押すことになった。幸い子供がいなかったせいもあり、そのあとはすんなりと事が運んだ。こちらが別れたがる理由もわかったみたいだが、いまいちよく理解はできなかったようだ。そういう無邪気なところが、好きになったところでもあるのだが。
 新しい生活が始まった。元の一人の生活に戻っただけだ、と自分を納得させていた。しかし、幸か不幸か、まずまずの美人であることから、新しいパートナーがやがて見つかった。良男とは顔つきも性格も違うが、今度の相手もやはり愚直そうな男であった。
 また新しい生活が始まった。一人暮らしの寂しさから開放されて、それはそれは楽しい毎日、のはずだった。が、また始まってしまった。考えを読まれることが、次第次第に増えてきたのである。良男の時と同じように。愚直な男はみなこうなのか、と考えていると、果たして相手が原因なのだろうか、ということに思いが到った。
 自分が原因ではないか。向こうの、念を受け取る力が強いからではなく、こちらの、念を送る力が強いからではないか。それが親しくなると、どっと溢れてしまう…。そこでこっそり、浮気をすることにした。夫に悟られないようにするのにかなり気を遣ったが、その結果は、考えていたとおりであった。浮気相手にも、付き合ううちに心を読まれることが多くなっていった。そしてその分、夫に読まれることは少なくなった。
 付き合いが深まれば深まるほど、その相手に心を見透かされてしまう…。もはや絶望的な気持ちにならざるを得なかった。

 Copyright(c) shinob_2005

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