こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

社会現象

2007-12-25 11:30:19 | Weblog
中君、はたの君の熱い要望に応え、競馬の話でも書きましょうか。
僕は小学生の低学年から毎週TVで見ていたし、
競馬場にも連れて行かれてたので、少しうるさいよ。

僕らが下福田小に居た頃、競馬界を騒がしていたのは、
TTGと呼ばれる3頭の競走馬。

競馬好きなら知ってると思うけど、TTGは馬の頭文字で、
T:トウショウボーイ(天馬と呼ばれてたね)
T:テンポイント(悲劇的な事故は毎日、TVニュースで流れてた)
G:グリーングラス(2頭に比べると地味だけど、強かった)

でも、子供の頃に最も記憶が鮮明なのは、ハイセイコーだよ。
白いメンコ(覆面の事)を付けた怪物、鞍上は増沢騎手。
地方競馬出身のハイセイコー(大井の怪物と呼ばれていたっけ)の
人気は物凄くて、後に増沢末夫騎手の歌ったレコード、
「さらばハイセイコー」は大ヒット!今でも一部だけだが歌えるぞ。

10戦全勝で迎えた日本優駿(ダービー)、
空前の1番人気だったハイセイコーを応援する声は最後の直線で絶叫に変わる。
この時のTV解説は凄かった。
ハイセイコーが負ける!ハイセイコー頑張れ!を連呼し、
ハイセイコー、ハイセイコー、ハイセイコー!!!
まるで、勝ったタケ・ホープは悪役(脇役)扱い。
(確か、タケホープには菊花賞でも敗れたと記憶している)

ハイセイコーの父親はチャイナロックと言うスタミナ&パワー型の馬で、
サンデーサイレンスが台頭するまでは日本を代表する種牡馬でした。
(チャイナロックは別名:性豪と呼ばれる程の子供を残している。)
ところが、ハイセイコーの記録を見ると、彼は1600~2000mが最も得意で
父親からステイヤーの血は継いで居ないようだ。
反対にライバル、タケ・ホープは完全なステイヤー血統だと思う。
(菊花賞、日本ダービー、有馬記念を勝っていたと記憶)

ハイセイコーは北海道に居たのだが、(これは引退後だったかな?)
当時子供から大人まで大勢のファンレターが届いたそうだ。
この時代、葉書に”北海道 ハイセイコー様”と書けば郵便屋さんは届けてくれたと言う。
確か新冠(にいかっぷ)牧場と言う場所だったと思う。

地方競馬出身のハイセイコーが中央競馬のエリートを破る構図に、
一般人は自分の姿を重ね合わせていたんだろうね。

そして、ハイセイコーに関しては、もう一つ鮮明に覚えている事がある。
引退し種馬になってから最初の歳の子供、カツラノハイセイコが
父に替わり、日本優駿(ダービー)を制覇した事だ。
(更に父が勝てなかった天皇賞も制している)
なんて親孝行な息子なんだろうと新聞も褒めちぎってた。

競走馬の名前は今でもそうだが、9文字以内と言うルールがあって、
その為、カツラノハイセイコーじゃなくて、カツラノハイセイコだったりする。

因みに、カツラノハイセイコもレコードが出たと記憶しているが、覚えていない。。。

その後もハイセイコーの子供は活躍し、種牡馬(種馬)としても活躍した。
皐月賞を制した、ハクタイセイもハイセイコーも子供だ。
エリザベス女王杯を制した、サンドピアリスもそうだ。
(ライバルのタケ・ホープの子供は活躍せず、若くして亡くなった)

また、ハイセイコーは長寿でもありました。
シンザンの長寿記録を更新するかと私は思っていましたが、
数年前に亡くなりました。(30歳を越えてたと思う)

ありがとう~友よ~、さらば~~ハイセイコ~~~♪

調子に乗って、テンポイントの悲劇も書こうか?